社団戦最終日 | スピカの住み家

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社団戦最終日でした。3日目からちょっと空きまして、10月22日。長袖で戦う季節となり、私にとってはもう1年が終わってしまうかのような錯覚に陥ります。…もう終わりますね。


この日を迎えるまで、チームは7-5でした。ついに悲願の自力残留が見える位置でしたが、最終日の相手は強敵揃いだったのでまったく安心はしていませんでした。

2部もかなり強いですから、仮に入れ替え戦に回った場合、落ちている可能性が十分あります。しかもこの日はエースのゆーてんが不在でした。果たしてチームは助かるのか。私も気合を入れて臨みました。


13回戦 VS光OKACHI


きっと100年後も強いであろう御徒町チームとです。とある方から「我々最終日は6人なので」と聞いていたので、おっ不戦勝は大きいなと思っていたんですけど、蓋を開けてみたらしっかり7人揃えていました。情報戦ですねえ。


私は5将に座りまして、お相手はNさん。初対戦でした。全国大会で名前を見たことがあったので謙虚な気持ちで。するとそれがいい方向に作用してくれてリードを奪いました。


いつもならそこから転げ落ちるのが伝統芸能なのですが、この対局は違いました。妙に冷静で手がいいところにいき、自分とは思えない指し回しができまして、快勝譜でした。


今振り返ると、あの勝利は最後の灯だったように思うのです。ヒカルの碁の奈瀬じゃないですけど、たまにこんなに強い自分が出せるから、将棋を諦めきれないんですよね。でもこれで悔いはもうないかなと。


チームは残り全滅。1-6でした。

ええ。そう、私といえば強い人に勝ってもチームに貢献できない男なんです。でも問題は次です。切り替えて。


14回戦 VSオール明治


ここです。この日最大の勝負どころはこの明治戦と見ていました。どんなにほかのふたつでボロ雑巾にされようと、ここさえ勝ち点をもぎ取れば目標の自力残留が達成できるのです。


ただ、この日はゆーてんが不在でフルメンバーではありませんでした。そこで大事なのがオーダー決めです。リーダーとS浜さんと私であれこれ話し合いました。


まず、というかほぼすべてに費やしたのが対O岩さんです。このお方はどこで出るか毎回なんともいえない感じなので頭を悩ませました。そこに全力で当て馬をぶつけ、ほかで取りにいく感じです。


そうなるとチームの勝ち頭であるY内くんとH原くんに当たるのは最悪でした。よって少しでも出なさそうなところに。下なら大丈夫かなと。4以下になる可能性はないと見て、1〜3に当て馬年寄り群を並べました。


結果的に3将に座った私が引くことになりまして、読みは当たったけど複雑な感情。しかし今日の1局目のパワーが引き継がれれば勝負になるかなと。無理矢理前向きになるしかありませんでした。


序盤で轢き殺される展開にはなりませんでしたが、力勝負になりしっかり押し切られて敗戦。





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……すみません。そこまで書いたまま2ヵ月以上放置していました。慌てて冒頭で一部加筆しました。



実を言うと、この敗戦が実質引退試合だったからです。この日3連勝しなければ引退と決めていました。もう1部では通用しないということで、これ以上チームに迷惑をかける行為は自分が許せなかったのです。


これ以上を書くことは辛かったですね。完全に気持ちが切れてしまいまして、距離を置いて心を整えるしかできませんでした。


……最後にいろいろ吐き出すとして続きを。


チームは順当に1〜3を取られたものの、下で取ってくれるかどうか。ただ、助っ人Sさんが早々にやられてしまったのであっこれはダメだなと察してしまいまして。結果は痛い3ー4負けでした。大将で負けてしまっていたA井さんがかなり悔やまれていました。1と3逆だったかなと。

この結果、残留が怪しくなってきました。厳しい結果とはいえ仕方ありません。


15回戦 VS蒲田リトルギャング


お相手は優勝争いのチームで、恐らくフルメンバーかつ全身全霊かけてくると読んでおりガクブルでした。ただ、どうやら既に勝ち数差で他チームの優勝が決まっていたらしく、相手からそこまで本気の雰囲気は感じませんでした。とはいえ普通に厳しい相手です。


私は5将に座りWくんと当たりました。


これはもうね、今となってはいい引退の花道だったと思うのでした。彼とは同学年かつドラの穴の教室で一緒に指したこともある仲でした。でも当時から1枚以上抜けていまして、私は一度も勝ったことがありませんでした。棋士になった高野六段も「彼は強かった」と実力を認めていまして、それだけ周りから一目置かれる存在だったのです。


印象に残っている思い出が二つあります。


ドラの穴教室のとある日に、彼に終盤で大逆転負けを喫して悔し涙を流したことがありました。どうして彼に勝てないんだと。あまりに泣きすぎたのか、K島さんに「今日はもう帰る?」と促されて、早退しています。当時は小学校の高学年だったと思うんですけど、まだまだ幼かったですね。


中学で全国大会に出た時に、関東部屋で一緒に将棋を指したり遊んだりしたのもいい思い出です。向こうは覚えているかなあ。夜更かしして遊びまくった結果、コンディションがボロボロになった関東部屋の成績は見るも無惨の予選落ちだらけ。唯一予選を抜けたのはWくんだけでして、さすがだなと思ったものでした。


そんな彼も公式戦に出るなどめちゃくちゃ強くなられまして、もう当たることすら困難になりました。実に15年ぶりですね。まだまだこれから強くなるであろう彼と去ろうとする者。不思議な巡り合わせでした。


将棋はWくんの三間飛車に私の急戦。これが最近プロでもよく見られるかなり優秀な作戦でして、今回はそれをしっかりソフト研究込みで勉強してきました。


すると相手の対応が悠長だったため作戦勝ち以上から普通に優勢に。二枚飛車で攻める展開になり、二枚目の飛車を敵陣に打ったあと、思わず相手の顔を見てしまいました。本当にいま戦っているのはあのWくんなのかと。だとしたらこんなに弱かったかと。


しかしそこからがしぶとかったです。切れ負け特有の粘り腰ってあるじゃないですか。あれ級の頑強な粘りに遭いまして、横からでは潰れない格好になりました。


そんなときはゆっくりしていればいいのですけど、勝ちにいきたくなり、急いで端攻めで潰しにいきました。あのWくんに勝ちたい。昔から強かったWくんに、いまもし勝てたらまた将棋を続けているかもしれない。そんなプレッシャーがのしかかってきたのです。形勢は勝勢なのに余裕はまったくありませんでした。


するとやはり。攻めている過程でミスが出てしまいました。竜を切ってしまったこともあり9八飛の反撃を食らって一気に奈落の底に。飛車を切らなければ、攻め急がなければ楽に勝っていた。頭ではわかっていたのですが、気持ちが抑えきれませんでした。作ったように負け筋に飛び込んでしまったのです。


こんなことが起こってしまうのか。最後、自玉が寄せられるまでの十数手は心の中で泣いていました。下を向いたまま目をギュッと閉じるしかできず。本能で指を動かすだけでした。投了。


昔だったら泣き出していたでしょう。でもしっかり感想戦ができたのは、わずかに大人になれていたのかもしれません。


そしてチームは、S浜さんが強豪を相手に勝ちきり4勝目をもぎ取っていました。

常笑会戦では肩を揺らしにいきましたけど、この日は足が動きませんでした。S浜さんが本当に眩しく見えたのです。あそこで勝つのがチームに必要な人なのだと、どうしても比較せずはいられませんでした。この時に、もう完全にチームから去ることを決めました。



チーム通算成績 8-7 

チームは過去最高成績を収めました。1部で勝ち越しできたのは本当にチームメイト達のおかげです。すごく勝負強くて、4-3勝ちが多かったですね。


個人通算成績 5-9

こちらは過去最低成績となりました。チーム内最多敗数です。貢献度も少なかったですね。幸いにもチームの成績が良かったのでいまこうして書いています。




今年は大学1年以来、必死に将棋を勉強していました。いよいよ本気で衰えがきまして、実力を落としてしまわぬようあれこれ頑張ったのですが、成績低下してしまいましたね。相手がきつかったというのは1部では言い訳になりません。負けても内容がよくてしっかり戦えていればいいんですけど、それもボロボロになってしまいまして、気持ちが切れてしまいました。







「珍しいね。普通逆でしょ」


そう言われた男はなるほどと思いました。


普通は皆県大会で優勝して全国大会出場を目指しているんじゃないの。と。


確かにそうなんです。そう私に言った彼は全国大会を優勝し、プロの公式戦に出場するようになりました。


不思議なものです。私はそこまで自分の名誉や実績に頓着しないのかもしれません。

なぜか私の心を燃やしてくれたのはいつも社団戦でした。チームのため、という目標が何より大きかったのです。


毎年いろいろな思いを巡らせながら戦ってきました。コロナ禍前の最後の年に自身最高成績を残すことができて、実力以上の力が出せたのはいい思い出でした。


チームも2〜1部で毎年昇級or残留を目指して戦っていて、メリハリがありました。

個人戦だと対局後は孤独なものです。負けるとこれ以上ない絶望感に襲われます。しかし社団戦はいつもすぐそばに誰かがいて、勝っても負けても笑い合えました。本当に楽しくて、人生の大きな1ページになりました。


でももうこれから先は笑い合えない気がしてきたのです。チームの足を引っ張るということは、私にとっては絶対してはいけないことでした。すでに館長にもこっそりと伝えていまして、意向を汲み取っていただいています。


そして、このチームを去るということは、もう将棋を指さなくなると同義になります。ですが、悔いはありません。思えば将棋を辞めていた高校3年間は楽しかった。またあの日々に戻れたらと思うとワクワクすらしてきます。今後は他の趣味に没頭して楽しもうと思います。ありがとうございました。