タイならではの、「不逮捕特権」 | 「アジアの放浪者」のブログ

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東南アジア、南アジアを中心に、体験・見聞したことをレポートします。

国民の多くが、怒りを感じているようです。特にSNSでは、政府や警察を非難するコメントで溢れています。マスコミも同様です。

 

事件は2012年9月3日の未明に発生しました。

バイクを運転していた出勤途中の警察官が、後ろから猛スピードで飛び込んできた黒のフェラーリに追突されました。

フェラーリは現場から逃走。その際、バイクの警察官を100m以上引き摺っています。お気の毒な警察官は、即死でした。

 

逃走したフェラーリの追跡は簡単でした。車からオイルが漏れ、道路に帯状につながっていましたし、大きく破損した高級車ゆえ、その行方は多くの市民が目撃していたからです。所轄のバンコク・トンロー署の捜査官は、事故後数時間でフェラーリが逃げ込んだ家屋を特定。なんとその家は、栄養ドリンク「レッドブル」で一代で財を成したユ-ウィッタヤー一族の豪邸でした。

 

捜査官が門を開けて中に入れるように求めても、門番は「まだ早朝で家人が寝ている」ことを理由に開門を拒否。結局、警察高官が出向き、朝7時頃に邸宅の中に入ることができました。もちろん、事故車をすぐに発見。

 

当初、ユーウィッタヤー家の運転手が自首したのですが、供述がまったく事実と合わず、すぐに嘘であることがバレてしまいました(後日この運転手は捜査妨害で逮捕されています)。そして次に浮上したのが、レッドブル創業者の孫で、当時27歳だったウォラユット容疑者(通称はボス)。彼はすぐに容疑を認めましたが、警察が事情聴取した時にはかなり酔っていたそうです。明け方の事故ということもあり、恐らく飲酒運転だったと推測できるのですが、本人は、事故を起こして動転したため、帰宅後に大量の飲酒をしたと供述。捜査当局は、お抱え運転手が虚偽の自首をしたことで、上手く時間を使われてしまいました。

 

結局、警察は飲酒運転による過失致死傷罪の立件ができず(そんなことはないのですが、忖度ですね)、速度超過、公的資産損傷(亡くなった警察官の乗っていたバイクは警察所有のものでした)、事故被害者を救護する義務違反、それに運転過失致死傷の4件につき立件。裁判が始まる…かと思われました。

 

ところが、罪状認否のために裁判所が出頭を求めても、ボス容疑者は体調不良、海外出張などを理由に出頭を拒絶。その数は7回に及び、ついに検察も、2017年4月27日に逮捕令状請求に踏み切りました。実に事故から5年近く経ってのこと。これも十分に忖度だった訳ですが、収まらない世論に押され、検察も一歩進まざるを得なかったのです。もちろん、裁判所はすぐに逮捕令状を発行しています。

 

ところが、この金持ち息子。

逮捕令状が発行される2日前の4月25日に、一族の所有する自家用ジェットで、シンガポールに向けて出国していたのです。しかもその自家用ジェット、タイに戻ると証拠品としていろいろ面倒くさいことになると、シンガポールで処分してしまったのです。実に、計画的。カルロス・ゴーン容疑者逃亡の比ではありません。以後、ボス容疑者は法の裁きを逃れ、タイ国外で人生を大いに謳歌していたようです。

 

タイ政府は、インターポールを通じて同容疑者を指名手配しましたが、私が見ている限りでも、まったくもって本気度ゼロ。マスコミが、ウォラユット容疑者が某国のナイトクラブで目撃されたと報じても、警察は「事実関係を調査中」と言い逃ればかりしていました。

 

こうした経緯の中で、検察による控訴取り下げ。警察も同意してのことですが、トンロー警察署長がマスコミ取材の前面に立って、「検察が控訴を取り下げるということで、警察庁長官もそれに同意したという報告を受けた。よって、ウォラユット容疑者は自由の身となり、いつでもタイに帰国できることとなった」と説明しています。一方、このブログを書いている時点では、法務大臣も、検察庁長官も、警察庁長官も、マスコミの取材要請に応じていません。ちなみにタイは今日から4連休…。

 

なんだ、それ。と思う半面、まぁ、そうなるのだろうなぁ、とも感じています。

なにしろこのレッドブル一族、コロナによる経済的落ち込みでプラユット首相がタイの大富豪たちに支援を要請したのですが、それに応じて10億バーツ規模(34億円)の寄付をしたと報じられています。その際に、「そろそろあいつのことも、よろしく頼みますね」という取引を持ちかけていたのかもしれません。

 

タイミング的にも、よく検討したのでは。

タイ政府は、新型コロナウイルスの感染拡大を抑えるという名目で、今月いっぱいは大規模集会を禁じています(実際には所々で既に行われていますが、今月末までは、警察がいつでも取り締まる事ができます)。そして、7月28日は国王陛下のお誕生日。8月は初旬に内閣改造があって、8月12日は皇太后陛下のお誕生日。マスコミも、レッドブル一族のことばかり追っていられません。控訴取り下げに反対する人たちも、行動を起こすにはタイミング的にちょっと難しいところでしょう。

 

大事なことを一つ指摘しておきます。

今回の控訴取り下げについて、遺族のコメントが取れていません。レッドブル一族は、亡くなった警察官の遺族にも相当手厚い補償をしています。そのため遺族は、ウォラユット容疑者に対して民事告訴をしていませんし、遺族はもうしばらくの間、マスコミの前に登場していないのですが、こちらも多分、十分な補償を得る引き換えに、レッドブル一族と何らかの合意をしたのでしょう。カネの力で…と義憤を感じる一方で、遺族の生活が守られていることには安堵感を覚えます。

 

タイならではの、不逮捕特権。

好むと好まざるとに関わらず、これがタイです。それを改善して、より民主的な法治国家に変容させていくのか否か。選択は、タイ国民のものですが、時間がかかることは間違いないでしょう。

 

下の写真は、①事故車の検証をする警察  ②亡くなった警察官の葬儀に参列したボスと母親 ③現在も国外で豪遊するボス