判事の自殺未遂 | 「アジアの放浪者」のブログ

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提示された物証を客観的に見れば、どう考えても確定的ではない…。

かといって、疑わしきは罰せずの原則に則ろうとすると、上から圧力がかかってくる…。

 

裁判官としての良心と、組織の圧力の板挟みにあった一審裁判官が、判決の直後、自殺を試みました。幸い命は取り留めましたが、この裁判官が下院議会法務委員長宛に送付した25ページに及ぶ上申書が、大きなニュースになっています。

 

拳銃自殺を試みたタイ南部・ヤラー県裁判所のカナコーン・チアンチャナ判事(49歳)。上申書を受け取った同委員長が公表した主な内容は、以下のとおりです。

 

 

カナコーン判事は、昨年6月に発生した殺人事件の裁判を担当していました。

この事件。ヤラー県の民家に集まっていた5人のイスラム教徒男性が、午前1時頃、武装した集団に襲われ、全員が射殺されたというものです。警察は、現場からM-16ライフルやサブ・マシンガンの薬きょうを発見しています。

 

この殺人事件には、警察本庁からシワラー副長官(警察大将)が派遣され、陣頭指揮を執りました。それだけ重大な事件だと受けとめられたわけです。しかし捜査の結果、「個人的な恨みによる犯行」とされ、5人の容疑者が逮捕されました。個人的な怨恨で M-16ライフルやサブ・マシンガンが使われる…。少なからぬ人々が違和感を覚えましたが、もちろん深入りして関わろうとする人はいません。次第にこの事件は世間から忘れ去られていきました。

 

しかし、担当判事にとっては簡単な事件ではありません。

検察側が重要証拠品として提出した携帯電話。主犯格が連絡用に使っていたものだとされていますが、逮捕時に主犯格から押収したのではなく、後日、犯行現場近くの納屋から見つかったというのです(つまり、誰かが意図的に置いた疑いが残ります)。しかも、主犯格のDNAは付着しておらず、登録名義も別人のもの。これでは、携帯電話が主犯格のものであったと確証するに至りません。

 

それ以外の証拠も、何やらあやふやなものばかり。それゆえカナコーン判事は悩んでしまいます。

「有罪となれば、5人の被告のうち実際に銃撃したとされる3人は死刑になる。5人の殺人事件となれば、量刑を軽くすることはできない。補助的な役割をしたとされる残り2人の被告も、重い禁固刑を科すしかないだろう。しかし確定的な物証はない。ここは『疑わしきは罰せず』の原則が尊重されるべきだ」。

 

結局、カナコーン判事は、無罪の判決文を書き上げました。

ところが「重要案件だ」ということで、カナコーン判事は上司にあたる第9裁判所管区長に彼の判決文を事前に送付することに。判決文を受領した管区長判事は、部下である上級判事2人に、判決文のチェックをさせました。すると2人の上級判事はカナコーン判事の事実誤認をいくつか指摘し、有罪判決がふさわしいと結論。この2人のメモが、「機密」の印を押されてカナコーン判事に送られました。

 

「おかしい」。カナコーン判事は悩みます。

判決文をチェックした上級判事の1人は、カナコーン判事が判決文案を書き上げる前に、個人的に助言を求めていた人でした。上級判事は、細かい部分でカナコーン判事の誤認を指摘したものの、主意には同意してくれていたのです。その判事が、なぜか突然意見を変えた…。「この事件には何か裏があって、どこかから強い圧力がかかっているのではないか」。カナコーン判事はそう考え、上申書の作成を始めました。

 

そして10月4日。判決当日。

カナコーン判事は、判決文を書き直さず、5人の被告に無罪を言い渡しました。そして閉廷後、裁判所内に飾られている国王の肖像画前で一礼した後、所持していた小型拳銃で左胸を打ち抜いたのです。

 

銃弾は左胸を貫通しましたが、幸い命を取り留めました。彼が死を覚悟して書き上げた上申書は、現在、下院法務委員会で対応協議中です。カナコーン判事は、上申書でこう提言しているそうです。

 

①上級判事が、1審判事の判決文を事前に審査することを禁止する(さもないと、三審制の意味がなくなる)。

②判事に対しても、残業手当など正当な賃金を支払うこと。公立病院医師などと異なり、副業が禁止されている裁判官は、正当な諸手当が支給されないと生活が十分安定せず、そのため金銭的な誘惑に負けてしまうこともある。

 

そして最後に、「裁判官に、正当な判決をさせて欲しい。そして人々に正義を与えて欲しい」。

カナコーン判事の命がけの訴え。無駄にされなければいいのですが。