人から必要とされるのは、

悪い気分じゃない。

 

「これをやってほしい」

と頼まれて、

自分にもできる。

実際にやれば相手も助かる。

そんなときは、引き受けたくなることもある。

 

最近、弟から頼まれた仕事を断った。

 

その仕事をなぜ断ったのかは、前の記事に書いた。

 

「できると、引き受けるは同じじゃない。」

 

でも最近、弟から頼まれた仕事を断ったあとに、

もうひとつ自分に聞いたことがある。

 

僕は、頼まれなくても、

この仕事に自分から関わろうとしただろうか。

 

答えは、はっきりしていた。

ノーだった。

 

頼まれたから動く。

それ自体が悪いとは思わない。

誰かを助けたいと思って、

自分にできることをするのもいい。

 

ただ、それを

「自分がやりたいこと」だと勘違いすると、

少しずつ自分の時間の使い方が変わっていく気がする。

 

相手が必要としていることが、

いつの間にか、自分がやるべきことに変わっていく。

 

頼まれる。自分にはできる。

だから引き受ける。相手が喜ぶ。

また頼まれる。また引き受ける。

 

その瞬間は、

それほど嫌な気分ではないかもしれない。

 

でも、それをずっと繰り返していたら、

あるときふと思う気がする。

 

「あれ、これ、僕の人生でやりたかったことだっけ?」

 

僕は昔から、

頼まれると引き受けたくなるところがある。

自分にできることなら、なおさら断りにくい。

 

でも、今回のことで改めて思った。

「できる」と「やりたい」は、まったく別のものだ。

 

だから、人から何かを頼まれたときには、

一度、自分の側に戻って考えることが大切なんだと思う。

 

頼まれなくても、自分から進んでやりたいことか。

自分が進みたい方向とつながっているか。

 

これを引き受けたら、

自分の時間を誰のために使うことになるのか。

 

そこで「違うな」と思うなら、

できることでも、やらないという選択があっていい。

 

冷たいことではない。

自分の時間を、自覚を持って選んでいるだけだ。

 

弟を助けたい気持ちはある。

頼ってくれたこと自体が嫌だったわけでもない。

 

ただ、今回は条件も含めて考えて、

引き受けないと決めた。

 

弟がそれをどう受け取るかまで、

僕が決めることはできない。

条件が変われば、そのときにまた考えればいい。

 

今はもう、

この件をずっと頭の中に置いておく必要もない。

 

もしあとになって、

「やっぱり手伝いたい」と自分から思ったなら、

そのときは引き受けてもいい。

 

ただ、その場合も

勢いで「やるよ」と答えるのではなく、

条件を確認して、自分が納得してから決める。

 

そうすれば、人に合わせて流されたのではなく、

最後は自分で選んだことになる。

 

人から必要とされることは、嬉しい。

誰かの役に立てることも、僕は大切にしたい。

 

でも、そのために、

自分が本当に進みたい方向を見失いたくはない。

 

一日は24時間しかない。

 

誰かの期待に応える時間も、

自分がやりたいことに使う時間も、

同じ自分の人生から使われていく。

 

だから、ときどき自分に聞いてみる。

 

これは、自分がやりたいことなのか。
それとも、誰かに必要とされているだけなのか。

 

どちらが正しいという話ではない。

 

ただ、その違いを分かったうえで選びたい。

 

「必要とされている」と「やりたい」は、別のことだ。