先日、弟から仕事を頼まれた。

ある倉庫にある大量の荷物を、

廃棄するものと残すものに選別してほしい、

という話だった。

 

一斗缶がパレットにぎっしり積まれていて、

パレットの数は10個ほど。

大変ではあるけど、

僕なら、できない作業ではない。

 

でも、話を聞いたときに最初に浮かんだのは、

「え、一人でやるの?」だった。

 

弟は遠方にいる。

僕は現地まで一人で行って、

その倉庫の関係者ですらないまま、

大量の荷物を一人で選別することになる。

報酬はいくらなのか、いつまでにやるのか、

何を持っていけばいいのか。

 

そのあたりも、まだはっきりしていなかった。

選別の見極めにも、少し自信がなかった。

 

だから、今回は断った。

 

断った直後は、それでいいと思っていた。

でも、そのあと、

「やっぱり引き受けた方がよかったかな」

という気持ちが出てきた。

 

僕は昔から、頼みごとを断ると、

こういうことがよくある。

 

断ったあとも、頭の中に残る。

「役に立てたんじゃないか」

「大変だけど、できたんじゃないか」。

今回もそうだった。

 

少し時間を置いて、考えてみた。

 

僕が嫌だったのは、

単純に作業が大変だったからじゃない。

 

自分ならできる。

 

でも、安心して引き受けられる条件が、

整っていなかった。

ここだったんだと思う。

 

信頼している相手からの頼みなら、

「何時から?」「いくらもらえる?」

と、いろいろ聞ける。

 

条件が分かれば、自分で判断できる。

 

でも、細かく確認すること自体が疲れる相手もいる。

 

「まあ、いいよいいよ」と

流されそうな感じがすると、

それだけで気持ちが重くなる。

今回も、そんな感覚があった。

 

ここで、ひとつ気づいた。

 

できることと、引き受けることは別なんだ。

「できるから、やらなければならない」わけじゃない。

 

それをやる価値があるのか。

条件に納得できるのか。

安心して進められるのか。

そこは、自分で決めていい。

 

弟は、僕を信頼しているからこそ、

無理を承知で頼んできたんだと思う。

 

だからこそ、頼ってくれたこと自体は嫌じゃない。

むしろ、役に立てるなら嬉しい気持ちもある。

 

でも、信頼されていることと、

引き受けることは同じじゃない。

ここは分けて考えていい。

 

気になる気持ちが残ること自体は、

悪いことじゃないと今は思う。

 

不快な気持ちが残ることと、

その判断が間違っていたことは、イコールじゃない。

 

断ったことを後悔しているように感じても、

それはただ「相手をがっかりさせたかもしれない」

という気持ちが残っているだけで、

判断そのものが間違っていた証拠にはならない。

 

これは、仕事の話だけじゃないと思う。

人から何かを頼まれて、

できるけど気が進まないとき、

断った後もずっと引きずってしまうとき。

 

そんなときは、「僕はそれをやりたいのか?」

と、自分に聞き返せばいい。

 

 

できると、引き受けるは同じじゃない。