母から、叔父のお通夜に
一緒に行ってほしいと頼まれた。
正直、気は進まなかった。
でも、母が一人で行くのも大変かもしれない。
そう思って、「行くよ」と答えた。
次の日の朝、
母から「随時でいいみたいだから、一人で大丈夫」と言われた。
その瞬間、僕はほっとした。
本心は、行きたくなかったからだ。
その叔父親戚とは、もう5年以上会っていない。
以前は長い間、農家の手伝いに通っていたけれど、
今はもう関わりがない。
手伝っていた頃は、ほとんど無遅刻無欠勤だった。
休みも農家の予定に合わせていたので、
不定休のような働き方だった。
嫌だなと思うこともたくさんあったけれど、
それでも「役に立てるなら」と思って、
自分なりに一生懸命やっていた。
ある時、諸事情があって急に仕事を休んだ。
電話で連絡することができず、メールを入れた。
ただ、そのメールに気づいてもらえたのは翌日、
僕が仕事に行ってからだった。
その時、叔母の態度に強く引っかかるものがあった。
それ以前にも、叔父の言葉に傷ついたり、
嫌な気持ちになったことは何度もあった。
それでも、それまでは仕事を続けていた。
でも、その日のやり取りをきっかけに、
「もう十分やったな」と思った。
帰る時には、一緒に働いていた息子の親方夫婦から
「またいつでも手伝いに来てね」
と温かい言葉をかけてもらった。
それは嬉しかった。
でも、僕はその日を境に、
農家へ手伝いに行かなくなった。
あの15年間には、嫌だったことだけではなく、
良くしてもらったことも本当にたくさんある。
親方夫婦にも、とても良くしてもらったし、
今でも感謝している。
だから、最後に嫌なことがあったからといって、
それまでの時間まで悪いものにしたいとは思わない。
それでも僕は、あの日を最後にしようと決めた。
自分なりにできることは十分やった。
だから今は、恩はもう働きで返したと思っている。
世間的には、これだけお世話になったのだから、
最後くらいは顔を出すべきなのかもしれない。
もしかしたら、久しぶりに顔を見せたら、
親戚は喜んでくれるかもしれない。
それは、本当だと思う。
でも、考えてみると、
僕は「行かなければ困る人」ではない。
母も、一人で大丈夫だと言っている。
取り仕切る役でもない。
僕だから行かなきゃいけない、
という役回りではないのだ。
行く理由もある。行かない理由もある。
その両方を考えたうえで、今回は行かないと決めた。
相手が喜ぶかもしれないということと、
自分が行きたいかどうかは、
別々に考えていいと思う。
相手の気持ちを想像することはできる。
でも、その気持ちを理由に、
自分の答えまで変える必要はないと思う。
こういうことは、葬儀だけではないのかもしれない。
行かなきゃいけない気がする集まり。
返さなきゃいけない気がする連絡。
断ったら申し訳ない気がする誘い。
その「気がする」の中に、
自分の気持ちとは別のものが混ざっていることがある。
もちろん、周りの気持ちを無視したいわけじゃない。
世間の常識にも、それなりの理由があると思う。
ただ、それも一度考えたうえで、
最後は自分に戻ってくる。
自分は、どうしたいのか。
行くか行かないかを、誰かに決めさせない。
窓の外を見ながら、
そのことだけを、静かに思っていた。