Studio Lotus 8のヨガ講師養成講座(通称TT)
再受講が可能と言うのが決め手で
受けたのが かれこれ 4年ほど前
それから 数年で
先生達の大きな代替わりが
そして コロナでオンラインクラスとなり
そんな激変があったにも関わらず
我がアシュタンガヨガの師
ゴビンダ·カイは唯一そのTTに残り
今でも再受講できる
ただ一つの講座になってます
先々週と先週末 3時間ずつ
講義がありました
昔は 同じ空間で
ヨガの伝統的あり方や
チャンティング
そして アシュタンガヨガの実技
といった構成だったのですが
今は ヨガの伝統的あり方の講義と
それを踏まえての 師との一問一答
ただ 本当に
生き方としてのヨガやヨガ哲学が
本当に奥が深く
一度や二度聞いただけや
言葉だけでは
分かったようで
その実
私が理解できる以上の事を
常にゴビは伝えていて
おかげで何度再受講しても
その度 学ぶことがあります
例えば
「ヨガを学ぶ道は
各個人、個人の旅のようなもの
スピードもその過程も
それぞれ全く 異なるのです」
その言葉の本当の意味に
合点がいったのは
つい最近
朝の練習をしてて
どれだけ 自分にストレッチを課すか
それも 個人個人に委ねられ
毎日 練習しようが
週3で練習しようが
個人個人に委ねられ
どう向き合うか どこまで向き合うか
それは ヨガのポーズに限らず
日常での8支則の取り組みも
ヨガ哲学の理解の深め方も
放任ではなく
恐らく 色々な個人の旅であることを
知っているからこそ
余計な指導はせず
本人の気づきを待つ
レッドクラスで受ける
アーサナ❨ポーズ❩のアジャストと同じ
どちらかと言うと 抽象的で
毎年同じテーマに同じ内容
時にまどろっこしいと感じたこともある
ゴビの話は 実は
個人の歩みを尊重する
そ~いう深〜い想いが教えの裏に
あるんでは無いかなぁと
朝の自主練をしながら 思いに至り
自分の視野が変わることによって
捕らえられる世界観が変わることを
知りました
ヨガの学びは 私にとっては
螺旋状に 段々と登っていくようなもの
毎日同じポーズをし
毎年同じ講義を聞き
けれども 知らずしらず
同じ行為の中に
芽生え育てられるものがあり
気がついたら 同じことを
違う味方で捉えるようになる
それが マインドの曇りを
なくしてできたことであるのかどうかは
わからないけれども
そして ゴビ曰く
ヨガは終わりのない旅
彼も ひとりのヨギーとして
我々のずっと先を
我々と同様 毎日精進する
先生であり 同士であり
頼もしい存在
そんな事を感じた今回の講義でした
世界は愛に満ちている!!
