オシドリ夫婦  | にぼしブログ

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引用

 

「オシドリ夫婦」という言葉がある。

 

鳥のオシドリがつがいになって子育てをする姿が、仲の良い夫婦のように見えることから、そのような夫婦のことの例えで使われる。

 

(画像 Cannon Bird Branch Project より お借りしました)

 

だが、当のオシドリは年ごとに次々と相手を変える(ポーンという。

 

 オシドリは冬になると群れで越冬する。一夫一妻制でありながらパートナーを生涯愛し続けることなく、越冬するまでの期間限定でつがいになり、子育てを終えると関係は消滅。そして翌年になると新しい相手とつがいになる。

 

 また、オシドリのオスは繁殖期になると、メスを惹き付けるたために羽が美しい色を帯びる。この姿が目立つために、オシドリの子育てが注目されたこと、さらには同じ個体かを見分けられなかったことが、誤った慣用表現が生まれた原因と考えられている。

 

引用 終わり

 

 

別サイトの説明によると、「野鳥は天敵に囲まれ、毎日がサバイバル。生存率が低いので、夫婦関係を長く続けられる種は少ないのです。」 そうです。

 

(已むに已まれぬ事情があるようで・・・デレデレ

 

ちなみに 『カラスは長期的な一夫一妻の繁殖形態を持つ』

らしいですよ

 

だから 仲のいい夫婦は カラス夫婦 

 

なよう … です よぉ

(いやぁ 鳥に例えること自体が 間違ってたのかな?)アセアセ

 

というのも 我が家は 中年の冷めた夫婦 もしくは 倦怠期ドクロ

 

けっ なんだよ オシドリ夫婦 って

 

そもそも カップルを 婚姻関係という法的関係で

拘束するのには 何の意味があるのよ

 

と やさぐれているので 真顔

 

いやぁ 開き直って

 

一生 同じ人間と暮らすというのは

美談でもなんでもなく 

 

そこに 耐えや忍びや諦め、我慢があれば

 

ただのひとつの選択

 

今や 結婚するのもしないのも

自由選択意志と 声高に言う時代じゃないですか

 

カナダでは そもそも 婚姻関係じたい 一形態

事実婚のコモンロー・リレーションシップ

果ては 性を超えたカップルも 受け入れてる時代

 

そして 多少の回顧趣味も入って

通い婚だった 平安時代懐かしんだり 

 

夫をATMと思えば といって 乗り越える話を

よく耳にしますが

 

相手(敵)も さるもの きっと同様

妻を定食屋と思えば と言い聞かせ 

乗り越えてる  気がする  昨今ゲラゲラ

 

全ては 時間と共に 変化するもの

だから 関係の変化は 

嘆かわしいことではなく 当然のこと

 

受け入れがたいお思いがあれば

それは つらいことだけれども

 

そこに もう 何の思いもなければ

もし そこに 婚姻制度という 拘束力がなければ

 

人の世は どのような 夫婦関係が

成り立つんでしょうか真顔

 

多種多様

 

子供がいる家庭は 子育てするものは残り

新たな可能性や夢に挑戦したいものは 旅立ち

ひとりで生きられない人は 関係消滅後も残り

友人関係に戻る人たちもいるかもしれない

 

などと 妄想する日々

 

ヨガの講師認定講座を受けていた時に

『自分とは何者か(Who aⅿ I?)』

という 問いがあって

 

自己紹介で使う:

「母親です」 も

「会社員です」 も

「女です」 も

 

『自分』そのものを 表すもの  ではない

 

『自分とは 何か』

じっくり この問いと 向き合ってみなさい

 

という 講義がありました。

 

そして 別に 母親という役に収まる ことはない

「収まらなければならない」思いは エゴ である

なぜ 「おさまらなければならない」 のか

 

同じく

 

そして 別に 女という役に収まる ことはない

「収まらなければならない」思いは エゴである 云々

 

人は 自分が 見たいものを 見る

自分が気になることしか 気にならない

 

つまり 何を気にしているのか、 

なににアンテナを張っているのか 見えてきます

 

去年、今年の騒動で 特に 強く感じます

何を信じるか

誰を信じるか

 

信じる基準は 何か

 

そして 最近 巷では

『自己責任』 という言葉が 急浮上

 

💉は『自己責任』

外に出るのは 『自己責任』

マスクも『自己責任』

学校の出席形態も『自己責任』

 

ピンチは チャンス虹

 

この苦しい時こそ なにかが 変わろうと している

生みの苦しみのようなとき

 

そして 講師認定講座で知ったもう一つの話

『永遠に変わらないもの』 こそ 

真実である 証

 

『永遠の 愛』 とは なにか

『永遠の 幸せ』 とは 

 

 

 

 

 

秋の夜長ではないのですが

 

 

こちら カナダでは 日に日に日が長く

朝は5時過ぎから明るくなり

夜は9時前まで暗くならない 日々ですよ

 

(写真を張るツールを持っていないので 

 お見せできないのですがうずまき