時々 自分の当たり前が 当たり前でないことに
気づかされる
子育ての記事を 読んで
気づかされることもあるし
介護の記事を読んで
気づかされることもある

まぁ 実際 家族の中でも
年の違いがあれば 日々の生活で
気づき 驚かされることもある
例えば そろそろ あらシックス(⁉️)が
見えてきた 御大黒 柱 様
ダックスフンドのことを 伝えたくて
「ほら あの 足の短い
ドナルドダック? だっけ 、」
とか (濁音の感じが 同じ
❓)
トマト🍅と 言いたくて
なぜか 「イチゴ🍓」と 発言する
(色が 同じ❓
)
怪しい感じの発言だけど
本人は いたって 大真面目
2、3歳の子供も よく 言い間違えたりする
「みどり」が「よどり」だったり
TVで聞いた 「しれいちょう(司令長)」を
「しれちょう(しれ鳥?)」と言ったり
最近思うこと
大人と子ども で
時間の心地よい過ごし方が 全然違う
(我が家限定かも しれないけど
)
新しい土地に来たら
大人は 近くを探検したり
地理を覚えたりするのに
必死だし 興味を惹かれる
どこに 何のお店がある とか
見て面白いものはないか
美味しいお店はないか
自分達は どんな 所にいて
周りは どんな環境なのか
でも
彼らは 違う
(我が家の場合は 3歳 5歳)
ものすごく 長〜〜〜〜〜い時間の流れの中で
毎日同じような日々の中で
季節が繰り返し 遊びも その中で 繰り返す
反復してるようで
赤ちゃんが ある日 寝返って
ある日 言葉を 発し始めるように
刻々と成長し 変化していく
そういう 時間の過ごし方を 好むようです
だから 今回の流浪の旅
で 知ったのは
子供にとって 心地よいのは
動物園やサイエンスパークより観光より
日々のあまり変化しない生活と
生活パターンが
必要なんだなぁ
と
あぁ 来月から ゆったり 定住生活が
始まりますように









