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"Food for Thought"

日々考えていることを、自分の思考をまとめるためにも書きつづっています。

父の訃報に接したのは、シンガポールのホテル。夜の9:45に実家から電話が入った。既に年内はもたないと知らされており、来る時が来たかという印象だった。出張の予定をキャンセルして、実家の鳥取に戻り、葬儀を済ませた。


慌ただしい時期が過ぎ、落ち着いたところで考えるようになった。「いったい、親父の人生は何だったのだろうか」と。色々な事業に手を出してはうまくゆかず、結局思い通りにはいかなかった。フランスの哲学者は、「人は泣きながら生まれ、苦しみ、そして死んでゆく」と語ったそうだが、まさにその通りの人生だと思った。


そんなことを考えていると、考えはネガティブな方に動き、仕事にも身が入らなくなっていった。メランコリックな日々が1年くらい続いたある日、日○ビジネスの「経営者が読むベスト10冊」の特集記事をめくっていた。「文芸書」と「ノンフィクション」に分け、著名な経営者が投票した結果を掲載したものだ。


「文芸書」では、「竜馬がゆく」「坂の上の雲」(司馬遼太郎)に続き、「徳川家康」(山岡荘八)が堂々の第一位。この並びは順当と納得し、「ノンフィクション」の方に目をやると、カーネギーの「人を動かす」「道は開ける」を押さえ、圧倒的な得票数で1位になった本があった。出版元は、日本経営合理化協会という聞きなれない版元。しかも(当時は)一般の書店では販売しておらず、1万円という高額の代金とともに出版社に申し込まなければならなかった。


多少悩んだものの、これほどの支持を得ているのであればと思い切って購入。やがて届いた封筒を開けてみると、帯には、「東郷平八郎、ロックフェラー、松下幸之助、稲盛和夫、…らに影響」を与えた「人生開眼の書」とあった。


半信半疑で、ページをめくり…、


そして、開眼した。


口述した内容を書いたものなので、文章は平易。言っていることも、「積極的な心構え」が重要というだけであるが、著者の経歴や語り口から、大いに勇気づけられた。


初版は1988年ながら、現在までに129版まで重ねるという超ロングセラー。「成功の実現」(中村天風)。人生を変えた一冊である。

「○○○○○国の学校作りに参加しませんか?」 ある人から、こんなお誘いを受けました。かつて戦火にまみれ、いまでも地雷が埋まっている国です。国が貧しく、学校建設もままならないので、NPOが学校を作っているのです。その人も別に生計は立てているのですが、NPOにも入って休みはボランティアをやっています。

広報で会社担当の日○新聞のW記者が、突然「退職」すると聞いて、慌てて送別会を設けました。日○新聞の記者ともなれば、30歳で高額所得者。それを投げ打って何をやるのかと聞けば「日本とブラジルの懸け橋になりたい」とか。企業の情報を追っかけるより、自分で両国の役に立つ仕事がしたいのだそうです(報酬は問わない)。

米系コンサルティング・ファームにいるY氏。20代で同社・戦略グループで企業経営のコンサルティングをやっています。夢は、「アフリカへ行って貧民救済をすること。いまはそのためにお金を貯めているだけ」と言うのです。「僕ら生まれてこの方、景気がいいって経験したことないんです。だから、地位や報酬のアップより、自分が如何に人の役に立つかを考えたいんです。」

そんな話を同窓会でしていたら、仲間の学校教師も同調しました。「道徳」の授業で、戦前に出てきたのは楠正成や二宮尊徳。「護国豊穣」に寄与した人たちです。戦後の成長時代には、ソニー・盛田氏や松下幸之助氏などの経済的な立身出世の人たち。ところが、1990年のバブル崩壊以降、経済成長は期待できなくなり、「やりがい」や「社会貢献」、「心のつながり」が指導要領に出るようになったというのです。金銭的な価値から精神性、特に社会や他人への奉仕という観点に移ったのではないかと語っていました。

たった3名で全てを語ることはできませんが、いまやNPOは急成長。若い方のコメントは如何でしょうか。

最近、テレビで西岡京治氏が紹介された。ブータンの農政を改革し、自給率を60%から90%近くまで向上させたとのことだ。その後もブータンに留まり、国王から「ダショー」という称号を授与され、「ダショー西岡」と呼ばれるようになった。雷竜王4世が大喪の礼で日本に来られた時にも同行し、その後、ブータンで息を引き取るが、葬儀はブータンでの国葬。一人の日本人が、国と国とをつなぎ、日本へのいい印象を残してくれた。そのことについて、もっと日本も世界も知ってよいのではないだろうか。


「海賊とよばれた男」という著書。内容は、出光佐三氏の物語だ。セブン・シスターズや英国に蹂躙されるイランを救うため、タンカーを派遣して原油の購入を行ったとある。これも、現在のイランと日本との関係構築に役立っているのではないか。


和歌山県沖で難破したトルコ軍艦の話。明治時代、近くの大島村民が、流れ着いた69名の乗組員を発見。村民は貧しい生活を顧みず、大切な食べ物まで提供して親身に世話をした。この話を聞いた明治天皇は、間髪を入れずに医師団を派遣。遭難者に手厚い看護を施した上で二隻の軍艦を提供し、トルコまで護送した。そして、その後日談。100年たった1985年、イランとイラクが戦争していたとき、イラクは「これから48時間以降、イラン上空を飛ぶ飛行機はすべて打ち落とす」と宣言した。世界各国は素早く対応し、同国にいる自国民の引き揚げを早々に完了。ところが、日本だけが対応が遅れ、215名が取り残された。そのとき、飛行機を派遣し、取り残された日本人を救い出してくれたのがトルコだ。それは、かつての大島村民の厚意に対する恩返しだったと言われている。


ユダヤ人たちを救った杉原千畝氏は、既に有名になった。しかし、まだまだ世界の人を救った日本人は多い。そうした記憶は、トルコの例ではないが、長くその国の人々の心に残り、日本に対していい印象を持ち続けることとなる。東京裁判で、一人異を唱えたパール判事をもって、我々がインドに好印象をもつのと同様だ。そして、実はそういう人々がいまの日本を築き上げたといっても過言ではない。


政治の表舞台だけではなく、本当に世界に貢献した人々をこそ、広く紹介したいものである。

日韓の領土問題を巡って、発言の応酬が続いている。気になるのは、最近になって、中国・韓国・ロシアとの領土問題がクローズアップされたことだ。しかも、要人などの訪問などで、敢えて挑発しているようにも見受けられる。この背景には何があるのだろう。


やはり要因は、日米関係の冷却化であろう。米国は、こうした挑発行為にはほとんど関心を示していない。中韓露も米国がどう反応するのかを見ながら動いているのだろうが、反応がないためか過激化している。消費税はやっと上げることになったものの、外交・防衛については未知数の民主党のなかに米国との密な関係を築いている政治家は見当たらない。米国側も、アーミテージ氏、マイケル・グリーン氏などのかつての親日家たちは政権内におらず、関心は中国に移っている。沖縄の領土問題、オスプレイの配備、TPPへの参加問題など、いずれも日本国内で紛糾が続き、米国側から見れば「本当に同盟国なのか」と疑問が湧いても致し方ない。フィリピンやグァムに人員をシフトし、日本の位置づけが相対的に低下しているなか、同じく財政赤字を抱える米国としても「もういいよ」という雰囲気なのだろう。


日本としても「日米再構築」なのか、(国内事情を優先して)「独立自尊」でいくのかの「踏み絵」を突き付けられているのだと思う。前者を推進できる人物は思い当たらず、後者の場合には、それこそ軍備拡張を選ばざるを得ない。もしかしたら、いまの米国の沈黙は、「そろそろ独り立ちしたら?」とメッセージを送っているのかもしれない。


そうしたなか、原発をゼロにするという今の世論はどうなのであろうか。もともと、原発は、1954年の第5福竜丸事件に由来すると言われている。この事件を契機に、反核の日本に対し、「反核→反米」とならないよう核へのアレルギーを減らす目的で、正力松太郎氏率いる読売新聞が世論を引っ張り、「日本に原発が必要」キャンペーンを張ったものだ。従って、電源バランスの問題とは別に導入され、やがてコストに見合うことから加速したというのが実情だ。その意味では、(コストは別にして)原発なしでもやっていける。ただ、現在の国際環境を考えた時に、原発をゼロにし、何の後ろ盾もないまま丸裸状態となって大丈夫なのか、自分自身は少々心配である。

ブータン国王が来日され、連日ご訪問先のことが報道されている。イケメンご夫婦のためかもしれないが、少しブータンについて記述したい。

まず、世界銀行の元・副総裁だった西水美恵子氏の著書「国をつくるという仕事」のまえがきを引用したい。

「企業の運命は指導者に大きく左右されるが、それは国家も同じこと。世界銀行での「悟り」はそこに尽きた。指導者の資質が国のガバナンス(統治管理)のよしあしを決め、良いガバナンスは貧困解消を促進する。一世代で貧しさを断ち切ることも、決して夢ではない。仕事柄、多種多様な指導者に出会った23年間、リーダーシップ理想像をいつも継ぎはぎ細工にしていた。人を引きつけるビジョンと情熱、右ならえをせぬ勇気。人の上に立つは下に居ることと知る謙遜。異なる視点や反対意見を重んじる寛容。信念鉄の如く、ほれぼれとするほどつながる頭とハートと行動。まことの力は、自ら権力を放棄してこそ授かるものと熟知する人徳。まとめてカリスマ、重量感。そんな指導者などこの世にいないと思っていた。ところがいたのだ、ブータンに。それも一人や二人どころではなかった。」

これは、お父上にあたる先代ワンチュク国王のこと。国民と同じ環境に身をおきたいということから、宮殿には空調はなし。王政でよいという国民に対峙し、「一人の判断では誤ることがある」と民主制に移行。国境紛争があったときには、敵味方を問わず、人命を傷つけない配慮をする姿勢。当然、国民総幸福量という指標を打ち出したのも、先代の国王だ。実は、「虎(中国)と象(インド)にはさまれた蚊のような国」の危機感は相当なもので、厳しい国家運営を強いられている。そのなかで、山々を歩き、国民一人ひとりの声に耳を傾け、国民の98%が「幸せである」と回答する国づくりをした先代国王のことは、西水氏の書籍に詳しい。

昭和天皇が崩御され、大喪の礼が催されたとき、先代国王も急遽来日された。まだ経済大国であった日本には多くの国の指導者が駆けつけ、大喪の礼が終わると弔問外交と称して、経済支援を日本に求めた。ところが、ワンチュク前国王は早々に帰国する。不思議に思った記者たちが、空港に駆けつけ、「経済支援などの打ち合わせをしないのか」と聞いたそうだ。そのとき、前国王は「日本の天皇・国民に弔意を表しに来たのであって、ものごいに来たのではありません」と颯爽と帰国され、記者一同も爽快感を覚えたという逸話もある。

まだまだお若いが、皇位を来日されている現国王に譲られた。こうしたお父上のもとで育ち、思想を受け継いでいらっしゃるので、同様にブータンの幸福度は高いままであろう。来日中の国王が、ブータンの国民に語られた言葉を最後に書き残したい。

「私がこの地位にいる間、王としてあなたを支配するつもりは決してありません。親としてあなたを守り、兄としてあなたを慈しみ、息子としてあなたに使えます。」

「私には、自分のための目標はありません。私は、あなたの夢を自分の夢とし、それが叶うように働きます。なのでみなさんは、この国に対して、大きな志と希望を、持っていなくてはなりません。」




円相場に続いて、経済ネタをもうひとつ。国債と代表選についてだ。今回の代表選による経済への影響について、国債を通じて考えてみたい。

<国債と金利の関係>
まずは、国債と金利の関係について。先日、日本の国債の格付けが下げられた(恐らく、まだ下げられる)。理論的には、国債の格付けが下がると、金利が上がる。これだと「?」なので、以下では、やや乱暴に(細かいことは無視して)カラクリを書いてみたい。

ゼロクーポン債を例に取ってみよう。これは「利子がゼロ」というもの。つまり、「今日、国債を買ってくれたら、1年後に100円戻すよ」ということが決まっている。100円でこれを手に入れようと思う人はいないので、90円などの額面以下の価格で買う。「今日、90円で買って、1年後に100円が戻る」ので、利回りは(10円÷90円=)11%となる。

格付けが下がれば、高く購入する人は減る(安く買いたくなる)。「今まで90円だったけど、リスクも高くなったので、80円で安く買って、1年後に100円が入ることを期待しよう」となるので、利回りは(20円÷80円=)25%だ。最後にもらう金額は決まっているので、「国債価格が下がると、利回り(金利)は上昇」する。このように「国債格下げ=>国債価格下げ=>金利上昇」となるのが一般的だ。

<日本の現状>
一方、日本の場合、国債の95%を国内の銀行・投資家がもっている(金融庁から「手放すな」というご指導がある?)。更に、世界的に投資案件がないので、国債にお金が流れる傾向にあり、格付けが下がったからといって即・金利上昇とはならない。しかし、更に国の信用が落ち、国債が急落すると、銀行も営利企業として、そのままもっているわけにもいかなくなる。

因みに、日本の銀行は、ほかに投資先がないために、資金の多くを国債で運用している。そのため、国債の利子が全体の金利水準になっている。国債の利子が上がれば、我々の住宅ローン金利もあがるのだ。国債の格付け云々の議論は、実はひとごとではない。こうしたリスクは徐々に積み上げられ、そのエネルギーが大地震の前兆のように蓄積されているのが現状とも言える。

<格付けと政治>
「格付け」というと、まるで国のランキングのように聞こえるが、これはあくまでも債券の「償還可能性」に着目したもの(1年後に必ず100円が無理なく還ってくるかということ)。ただ、今回の格下げの要因は、「震災影響」と「政治的混乱」だ。震災そのものは防ぎようもないが、その後の混乱を収拾させるのは「人の力」だ。どのような事態になろうとも、政治的リーダーシップが確立し、「言っていること」と「やっていること」が整合し、投資家が安心してくれていれば万事OK。しかし、国の意思決定がグジャグジャだと、「本当に自分のお金は還ってくるのだろうか」と周りは心配になる。そのような心配のない国の国債と比較すれば、心配のある国債のほうは「格」を下げざるをえない。

ここで、今回の代表選である。現在のグジャグジャ意思決定を正してくれそうな候補者は、私の目には皆無である。勿論、雌伏していて、トップに立つと本領を発揮する人もある。しかし、仮にこのまま混乱が続くと、更なる格下げが待っている。国債価格の下落に留まらず、売り浴びせられて外人が所有することも考えなければならない。実は、中国は徐々に日本国債を買い増しているのだ。

国債の格下げも政治的な混乱も、新聞やワイドショーの問題ではなく、我々の課題である。そうした論調のものは少ないが、国民一人ひとりがもっと声をあげていかなければならないことだと思う。

(つぶやき)
いまの財政状態を放置していれば、2013~2015年には財政破綻もあり得る(詳細の理由は略)。見事に政治的リーダーシップが働いて、自浄作用が働けば別だが、恐らくこれを回避するのは難しいだろう。すると、その先に待っているのは、1997年の韓国と同様、IMFの介入だ。公務員の人員・給与削減、社会保障費大幅削減、金利急上昇、失業率の急増、と悪夢のような数年間が待っている。そこまでの大手術した韓国は、いまや急成長だが、恐らく日本もここまで行かなければ、経済を反転させることはできないだろう。「外圧」を頼みにするのは残念だが、現状を見ているとそう確信せざるを得ない。悲観的な見通しかもしれないが、行くところまでいって、一旦大手術をし、数年間療養後のその先に、元気な日本が待っていると信じるしかないのかもしれないと、今回の代表選を見て思った。
円高が喧伝されている。円安を望む声が強いのかもしれないが、「円」についてリビューしたい。個人的には、短期は別にしても、円安に触れることはないと考えている。

<円の歴史>
日本の通貨として「円」になったのは、1871年(明治4年)。このときは変動相場制で、レートは「1ドル1円」。その後、1ドル2円程度にまで下落し、1897年(明治30年)に「1ドル2円」の固定相場となる。1931年(昭和6年)に再び変動相場へ移行して、1941年(昭和16年)の戦争直前相場は「1ドル4円26銭」。以降、米ドルと日本円の取引は停止状態となった。戦前までの円相場のグラフは以下がまとめてくれている。
http://blogs.yahoo.co.jp/suzukieisaku1/11083223.html

戦後の1949年(昭和24年)から「1ドル360円」(闇では400~500円)の固定相場となり、1971年(昭和46年)に「1ドル308円」に変更。やがて、1973年(昭和48年)に変動相場制へ移行して、現在に至っている。

360円/ドルとした時代背景は、ソ連・中国などの共産勢力が日本を取り巻いており、輸出による経済復興を米国が重視したものと推察される。しかし、ブランクがあるとは言え、当時は4円/ドルから360円/ドルへと90倍のもの円安に振れたこととなる(今で言えば、1ドル7000円になったということだ)。戦後、日本が「輸出立国」と称されるようになったのは、技術力もさることながら、多分に通貨の影響が大きいとも言える。

⇒ここで見ておきたいことは、360円という数値が異常なる円安水準であったということである。

<他通貨との関係>
現在、1ドル75~76円である。一方、ユーロ対ドルは約1.4レベル。ポンド対ドルも1.6の水準だ。人民元対ドルでさえ6.3といったレベル感である。ユーロ圏・英国・米国といった国々との生活水準はほぼ同レベルと仮定すれば、円相場はユーロなどと同様に1ドル1.○○円となっても不思議ではない。当初、1ドル1円と設定した明治政府は、勇気ある決断をしたともいえるのである。

⇒360円という超円安水準を長い時間をかけて、徐々に補正しているとも見える。

<円と日米金利差の問題>
1973年の308円を起点に、2011年は75円をつけている。長いトレンドで見ると、円相場はドルに対して「年率3%」で円高になるといわれている。1973年から2011年は38年間であり、試しに、308円に0.97の38乗(=0.3143)を計算してみて欲しい。現状の円相場は96.8円となる(年率3.5%とすると、現状水準は79.5円となって現実を帯びてくるが説明を簡単にするためここでは3%を使用する)。

これまで米国のほうが金利が高く、為替リスク(=年3%の円高)を加味しても、金利差がこれ以上ひらいていれば米国に資金が流れていた。例えば、日本の金利が0%で、米国が5%とすれば、3%の為替リスクを考えても、2%(=5%-3%)は稼げることになっていた。ところが、最近では金利差がほぼゼロか長期で2%となり、米国に投資をすれば必ずリターンがあるという状態ではなくなってきた。こうなると、資金はリターンを求めて、あちらこちらを徘徊することになる(その時々で儲かる通貨や資源にお金が移動する)。

⇒米国が金利を大幅に引き上げない限り(可能性は低い)、この状況は続く。

以上の3点を考えるに、個人的には円安に触れることはないと考えている。

新聞紙上で円高になると大騒ぎをするのだが、長い時間軸ではずっと円高基調である。円安で苦しむ業者は声高に叫ぶが、これまでに急激な円高に触れたことは何度もあり、その準備を十分に行っておくのが経営者の責務とも言える。実は、グローバルに展開している企業では為替リスクは調整するように工夫されており、もはや影響は軽微ともいえる。また、円高によって利益を得る企業は、ことさら騒ぎ立てる必要もない(ガソリン価格は原油価格が下がって円高になってもあまり下がらないがこれも円高のメリットを享受しているのであろう)。準備を怠っている人だけが騒ぎ立て、それを新聞で書き立てるのだが、愚の骨頂。もはや、円高になるということを前提に経営も生活も考えていかなくてはならないのである。

円が高くなってそれほど悪いのであろうか。今後、原油を始め食料や資源が高騰することが見込まれているのに、円安に触れてはたまらない。強い通貨をもつ生活に考えを切り替え、それこそグローバルな活動を企業でも個人でも取り入れたいものだ。