マロ様「おお・・・皆の衆・・・お久しぶりじゃのぉ・・・。
元気でおったかのぉ・・・。
今の時期に・・・皆の衆が・・・よぉ頑張っておること・・・よぉ耐えておることを・・・マロ達神々は・・・よぉく知っておるからのぉ・・・。
今の時期は・・・善悪がかなりの面で逆転しておるから・・・よい人ほど苦しいことが多いのじゃ・・・。
しかしのぉ・・・マロ達神々を想えば・・・必ず加護があるからのぉ・・・。
そなたの歩幅・・・そなたなりのペースでよいので・・・できるだけ善良な心を大切にしていこうのぉ・・・。
それによって・・・そなたの運命・・・よりよい道も・・・だんだんと開けてくるものじゃからのぉ・・・。
この時に・・・マロは・・・今の難しい時期を乗り越える・・・一つの道を・・・お伝えしたいと思ったのじゃ・・・。
いろいろな人が・・・普段・・・マロの神社(※)に来てくれるのじゃが・・・マロ達神々は等しく・・・一人一人に運を授けておるのぉ・・・。
一人一人の人生が・・・よりよくなるように・・・小さな運なのじゃが・・・神社に来てくれて・・・手を合わせてくれるのも・・・何かのご縁じゃからのぉ・・・。
だからマロは・・・神社に来てくれた一人一人に・・・小さな運を授けておるのじゃ・・・。
このことは・・・以前も・・・チラッと伝えたことがあるがのぉ・・・。
授けた運を・・・すぐに使ってしまう人もいれば・・・少しずつ大きく・・・育んでくれる人もおってのぉ・・・。
普段から・・・心を込めて・・・感謝しているような人は・・・少しずつ・・・運が大きくなりやすいのじゃ・・・。
マロの神社に・・・よく来てくれる・・・小柄なおばあさんがいてのぉ・・・。
その人は・・・普段から・・・『ありがたい』・・・が口癖でのぉ・・・。
しかも・・・心を込めて・・・そう思っておるのじゃ・・・。
するとのぉ・・・そう思うほどに・・・少しずつ・・・運が大きくなっていってのぉ・・・。
そのおばあさんは・・・なぜ・・・日々心を込めて・・・『ありがたい』と思えたのじゃろうかのぉ・・・。
なぜなら・・・そのおばあさんは・・・何も求めていなかったのじゃ・・・。
今すでに得ているもの・・・生きていること・・・四季を感じられることなどに・・・満足して・・・『ありがたい』と思っていた・・・ということじゃのぉ・・・。
シンプルじゃのぉ・・・。
人はのぉ・・・案外と・・・何も求めなければ求めないほど・・・幸せに生きられるものじゃのぉ・・・。
しかしのぉ・・・じゃあ何も求めない・・・と思って・・・誰もが努力を止めてしまったら・・・それもまた違うのじゃ・・・。
つまりのぉ・・・そのおばあさんも・・・若い頃は・・・忙しかったり・・・大変だったりして・・・その中で・・・自分なりに精一杯にやってきたので・・・すると年齢が上がってから・・・自然と・・・『ありがたい』と思えるようになったのじゃ・・・。
ある意味では・・・魂がやり切ったと感じているから・・・自然と『ありがたい』と思えるようになった・・・とも言えるかもしれんのぉ・・・。
神には・・・その人の過去が・・・見えておるからのぉ・・・。
いろいろと・・・難しい状況の中で・・・自分なりにできることを・・・精一杯にやってきた人は・・・自然と・・・人生に満足していることが多いのじゃ・・・。
逆に・・・いろいろなことに妥協したりして・・・本当に魂がやりたかったことを・・・できなかった人ほど・・・なかなか神社に来てくれないのぉ・・・。
本人も・・・心のどこかで・・・神様に顔向けできないと・・・感じておるのかもしれんのぉ・・・。
しかしのぉ・・・お伝えしたように・・・マロ達神々は・・・誰にでも等しく・・・運を授けておるのじゃ・・・。
過去に失敗や・・・間違いがあったとしても・・・自分を責める必要はなくてのぉ・・・。
それなら今から・・・新たな一歩を歩み出して・・・できることを精一杯にやっていったら・・・それでよいのじゃ・・・。
するとのぉ・・・最初は苦労があっても・・・一つ一つ乗り越えた時に・・・その人はきっと・・・『ありがたい』と思えるようになっていくじゃろうのぉ・・・。
そして少しずつ・・・運を大きくして・・・家族や・・・縁のある人達と共に・・・幸せになっていけるのじゃ・・・。
とてもシンプルじゃが・・・ただ・・・必ずしも人生は・・・こういう面だけではないことも・・・マロは知っておるのぉ・・・。
それでもおおよそは・・・この通りで・・・本心から『やりたい』・・・『やるべき』と感じていることを・・・コツコツやっていくことが・・・人生なのじゃのぉ・・・。
きっとのぉ・・・これを読んでいるそなたも・・・人生の中で・・・本心のままに・・・コツコツとやってきた面があって・・・その経験はちゃんと・・・宝になっておるからのぉ・・・。
つまり・・・その経験を通して・・・そなたの魂は・・・美しく育まれた面があったということじゃ・・・。
するとのぉ・・・その分・・・そなたは自然と・・・人生に前向きに向き合えるようになっているのじゃ・・・。
他人と比べて・・・何か大きなことしたり・・・秀でる必要はないということじゃのぉ・・・。
たとえばのぉ・・・心を込めて漬け物を作ってみたりとか・・・そういうことでもよいかもしれんのぉ・・・。
『やってみたい』と・・・本心から思えることに・・・真っ直ぐに向き合えたのなら・・・それもまた・・・魂の成長の機会なのじゃ・・・。
それによって・・・そなたの魂はまた・・・一歩ずつ成長していけるからのぉ・・・。
そしてのぉ・・・一つ一つの魂の挑戦を・・・乗り越えていくほどに・・・少しずつ・・・心は静かに・・・あたたかくなっていくものじゃ・・・。
そのおばあさんも・・・静かで・・・あたたかい心を持っておったのぉ・・・。
それはまさに・・・心の奥にある・・・内なる神殿に・・・辿り着いたようなことじゃのぉ・・・。
これを読んでいる・・・そなたの中にも・・・ちゃんと・・・内なる神殿があって・・・魂を生きるほどに・・・その神殿に近づいていくのじゃ・・・。
その神殿は・・・清らかで・・・静かで・・・あたたかく・・・慈悲のエネルギーが宿っておるのぉ・・・。
もちろん・・・一人一人・・・神殿の雰囲気は微妙に違っていて・・・そなたらしい神殿なのじゃ・・・。
人間の世界はのぉ・・・今の時期・・・何かと騒がしいからのぉ・・・。
よかったらゆっくりと・・・魂を育んで・・・マロ達神々と共に・・・内なる神殿へと・・・歩んでいこうのぉ・・・。
時にのぉ・・・スッと・・・内なる神殿を感じて・・・そこに居られるようなことも・・・あるかもしれんのぉ・・・。
そういう時・・・心は静かで・・・『ありがたい』という気持ちに・・・なりやすいのじゃ・・・。
日本の・・・美しい四季を感じたりのぉ・・・。
人々の・・・優しい心を信じたりしてのぉ・・・。
そして・・・自分にできることはなんだろうなぁとのぉ・・・ゆっくりと考えながら・・・楽しく生きていけばよいのぉ・・・。
これからの時代・・・あまり・・・多くを得ようとする必要はないのじゃ・・・。
むしろ・・・拘りや・・・欲を手放して・・・何事も・・・強く求めない方が・・・よりよい流れに入りやすくなっていくのぉ・・・。
もしのぉ・・・疲れていて・・・何もやりたいことがなければ・・・それでもよいからのぉ・・・。
そういう人は・・・おそらく・・・過去に大きな負担を受け止めていて・・・自分にできる限り・・・周囲の人達を支えてきたのじゃろうのぉ・・・。
マロ達神々は・・・そういう人にまで・・・精一杯に頑張れとは・・・言えるはずがないのぉ・・・。
そういう人は・・・まずはゆっくりとして・・・心を落ち着けて・・・癒しを深めながら・・・自分を大切にした方がよいのぉ・・・。
心を静かにするということも・・・内なる神殿へと・・・辿り着くための道じゃからのぉ・・・。
もしのぉ・・・なかなか心が落ち着かないと感じたら・・・時には・・・何もしない時間を・・・多く持ってみるのじゃ・・・。
マロは思うのじゃが・・・多くの人達が・・・忙しい合間に・・・スマホを見たりしているのじゃが・・・実は・・・何もしない時間を多く持った方が・・・よいと思うのじゃ・・・。
最初はのぉ・・・何もしていないと・・・ちょっと心が苦しいのじゃが・・・それはスマホとか・・・世の中の流れに・・・心が慣れてしまっておるからじゃのぉ・・・。
何もしない時に感じるフラストレーションを・・・むしろじっくり消化してのぉ・・・すると少しずつじゃが・・・静かな時間に・・・心が慣れていくはずじゃからのぉ・・・。
それによって・・・だんだんと・・・何もしない時間を・・・より深く楽しむことが・・・できるようになっていくのぉ・・・。
特に・・・『やりたい』と思わなければ・・・必ずしも・・・瞑想とかをしなくてもよいからのぉ・・・。
窓の外を見ながら・・・ゆっくりと・・・自分の人生を・・・振り返ってみてもよいし・・・。
自分自身のよい面や・・・他人のよい面について・・・考えてみてもよいのぉ・・・。
あるいは・・・よりよい未来について・・・自分なりに・・・想像してみてもよいのじゃ・・・。
それはとても・・・有意義なことで・・・多くの場合・・・魂の成長に繋がっているのじゃ・・・。
そしてのぉ・・・やはり・・・一つ一つのことについて・・・『ありがたい』と思えたら・・・とてもよいのぉ・・・。
何もしない時間の中で・・・じっくりと人生を振り返ってみると・・・嫌なことだと思っていたけど・・・実はよい面があったと・・・気付けるかもしれんのぉ・・・。
大抵のぉ・・・嫌なことを経験したら・・・そなたは徳を積んでおるからのぉ・・・。
あるいは・・・人生を学び・・・心を学び・・・賢くなれたかもしれんのぉ・・・。
そういうよい面もあるので・・・嫌なことでさえも・・・心の中でじっくりと受け止めて・・・『ありがたい』・・・という想いを持てたのなら・・・。
そなたの人生はきっと・・・より豊かになっていくからのぉ・・・。
マロは・・・そう思うのじゃ・・・。
これからの時代は・・・そういう時代じゃからのぉ・・・。
無理はせんでよいし・・・自分にできる範囲でよいから・・・人生の中での・・・『ありがたい』と・・・心から思える時間を・・・コツコツと増やしてみようのぉ・・・。
するとのぉ・・・嫌なことを避けるよりも・・・何事も学びだと思えるようになって・・・少しずつ・・・楽しめるようになっていくからのぉ・・・。
もちろん・・・自分を大切にすることも・・・大事じゃのぉ・・・。
何でもかんでも・・・頑張ってほしいわけではなくてのぉ・・・自分が本心から・・・『やってみたい』とか・・・『やるべきだ』と思うことを・・・やってみたらよいと思うのじゃ・・・。
それによってのぉ・・・悔いのない人生となり・・・自然と・・・何も求めずとも・・・幸せな人生になっていくからのぉ・・・。
つまり・・・心が静かになってきて・・・内なる神殿の中で生きられるような・・・そんな状態に至っていくのじゃ・・・。
不思議に思うかもしれんがのぉ・・・人生とは・・・このようなものじゃのぉ・・・。
みんなが羨ましがるような・・・何かを得たり・・・賞賛されたりとか・・・そういうことは・・・これからの時代・・・あまり意味がなくなっていくのじゃ・・・。
もっと自分自身の中で・・・深い実感があることこそが・・・真に意味のあることなのじゃ・・・。
成功しても・・・たくさんお金や評価を得ても・・・心が虚しければ・・・何の意味があるじゃろうかのぉ・・・。
じゃから・・・ゆっくりとのぉ・・・そなたのペースでよいから・・・内なる味わいを大切にのぉ・・・。
少しずつ・・・マロ達神々と共に・・・心を静かにしながら・・・内なる神殿へと・・・辿り着いていこうのぉ・・・。
内なる神殿には・・・深い幸せと・・・優しさや・・・静けさ・・・智慧が・・・あるからのぉ・・・。
そこにいるだけで・・・自然と心が整い・・・よりよい道がわかったりするのじゃ・・・。
ただ・・・『心を静かに』というのは・・・必ずしも・・・本当に無心ではなくてもよいからのぉ・・・。
自然な考え・・・というのかのぉ・・・魂から出てきた考えは・・・肯定的で・・・余計な雑念に繋がりづらいのじゃ・・・。
そういう場合は・・・シンプルな考えだけで・・・不思議と心が満たされて・・・微笑んでいられるじゃろうのぉ・・・。
心配とか・・・不安とか・・・欲から考えると・・・だんだんと・・・心が騒がしくなっていくのぉ・・・。
この世の中には・・・そういう考えへの誘導が・・・多く存在しておるが・・・それは大抵・・・間違った方向性なのじゃ・・・。
焦ることはないからのぉ・・・少しずつ・・・そういう考え方を・・・手放していこうのぉ・・・。
騒がしく考えていると気付いたら・・・『この考えは要らない』・・・と思って・・・マロ達神々や・・・内なる魂を意識して・・・手放す意志を持てばよいからのぉ・・・。
その時もやはり・・・少し苦しいのじゃが・・・しばらく耐えていれば・・・徐々に・・・穏やかな心を・・・取り戻していけるのじゃ・・・。
なかなか難しければ・・・とりあえず・・・マロ達神々と・・・魂の力を信じて・・・『必ず内なる神殿に辿り着ける』・・・と決心してもよいじゃろうのぉ・・・。
そのように決心することもまた・・・内なる神殿へ進む力に繋がるのじゃ・・・。
そして・・・気持ちを切り替えて・・・肯定的な方向性へ・・・考えていけばよいのぉ・・・。
皆は・・・もしかしたら・・・すでに・・・薄々わかっておるかもしれないが・・・。
これから起きてくる・・・大変化は・・・いずれも人の心を・・・このような深いところへと・・・導くためのものなのじゃ・・・。
それはつまり・・・何かを強く求めなくても・・・なんとかなっていく・・・ということでもあってのぉ・・・。
しかも・・・案外と・・・そういう執着からくる心配とか・・・不安を・・・思いきって手放した方が・・・人生はずっと楽しくなっていく・・・ということでもあるのぉ・・・。
大変な時期に・・・みんなが魂から・・・『やりたい』ことをし合うからこそ・・・魂と魂が響き合って・・・自然と協力し合い・・・よりよい未来へ辿り着けるのじゃ・・・。
大きな変化が起きている時も・・・できるだけ心が落ち着いていれば・・・正しい方向性に気付きやすいからのぉ・・・。
じゃからのぉ・・・マロも・・・多くの神々も・・・今・・・心を落ち着けることの大切さを・・・伝えておるのぉ・・・。
そなたの内側に・・・ちゃんと・・・尊い神殿があってのぉ・・・。
それを・・・魂と言ってもよいのじゃが・・・マロ達神々は・・・その神殿と共にあるのじゃ・・・。
なぜなら・・・マロ達神々は・・・皆の魂を守る役目じゃからのぉ・・・。
じゃから・・・マロ達神々が・・・何かを要求しているとは思わないで・・・どうか楽にのぉ・・・。
マロ達神々は・・・ただ・・・そなたらしい本心・・・魂を・・・生きてほしいだけなのじゃ・・・。
このことを・・・よぉ理解してのぉ・・・。
時には・・・スマホを手放して・・・心を静かにする時間を持ってみると・・・きっと少しずつ・・・いろいろなことがわかってくるじゃろうのぉ・・・。
人生とは・・・本当は・・・とっても奥が深くて・・・とっても学びが多くて・・・とっても『ありがたい』ものだと・・・そなたならきっと・・・理解できるじゃろうのぉ・・・。
マロ達神々が・・・そなたの心に・・・寄り添っておるからのぉ・・・。
ぜひ共に・・・歩んでいこうのぉ・・・。
ありがとうのぉ・・・。
そなたはそのままで・・・この日本の希望じゃらかのぉ・・・。
これからの未来を照らす・・・その美しい魂を・・・大切にのぉ・・・。
そなたの人生が・・・ますます美しく輝いていくことを・・・これからも・・・願っておるからのぉ・・・。」
※少し前に、お客さんから問い合わせがあったのですが・・・メッセージの中で言われている「マロの神社」とは、埼玉県の大宮の氷川神社です。
僕が以前、氷川神社で参拝した後に・・・マロ様が見えない領域から、一人一人に小さな巾着袋(運)を授けて下さっている様子を見せてもらったことがありました。
マロ様はどんな人にも平等に、その運を授けて下さるようですので・・・もしお近くに行かれた際は、よかったら立ち寄ってみて下さいね(^^)
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・2018年11月の記事・・・マロ様より「幸せの道」
・2022年11月の記事・・・マロ様より「慈しみの時代」
・2023年11月の記事・・・マロ様より「あなたは・・・この宇宙の主役」
関連サイト
・YouTube版「神様達と共に」
・「ピースのnote」・・・最近の記事→「水龍さんの癒し」、「真実と心の安らぎ」
・ウェブショップ「神様達のアトリエ」(現在、断続的に・・・「神様からのお手紙」を販売中です。)