あるじ「わっはっは!!
少し久しぶりじゃな。
今の時期は・・・日本でも・・・世界でも・・・大きな変化が起きておる。
日本では総理大臣が変わったが・・・アメリカではトランプがコロナウィルスに感染し・・・しかも数日で回復したな。
菅はなかなかの切れ者じゃが・・・その心は日本人にとって・・・古き良き農民を思い出すような・・・中庸の心を持った人物と言えるじゃろうし・・・。
トランプの今回の件は・・・彼が試練に立ち向かい・・・しかも・・・心から神を信じることで乗り越えたことを示している。
ただ、まだ万全ではないかもしれないが・・・おそらく彼は・・・神と共に無事に乗り越えることだろう。
彼は・・・ワシら神々が言っているように・・・『コロナウィルスを恐れる必要はない』・・・と言っている。
まさにその通りだ。
内側に愛と奉仕の心があり・・・しかも心から神を信じていれば・・・何も恐れる必要はないのだ。
管もトランプも・・・人生の中で多くの困難を乗り越えてきており・・・中庸の魂の管と・・・神を信じるトランプと言ってもよく・・・彼らは今後も世界をリードする心の在り方を示していくだろう。
ただな・・・もちろん・・・彼らにもそれなりに課題はあるがな。
だからこそ、現実の中で試練があるのだし・・・そして・・・試練を乗り越えることによって・・・彼らはますます磨かれ・・・魂の輝きと・・・神との繋がりを・・・ますます強くしていくことができるのだ。
ここは結局・・・誰であれ・・・どんな立場の人間であれ・・・同じなのだがな。
日本のメディアは・・・相変わらずこの辺のことを全くわかっとらんが・・・まぁ彼らには彼らなりの大切な何かがあるのじゃろう。
わっはっは!!!
さて・・・管やトランプだけではなく・・・今は一人一人の心の中でも・・・大きな前向きな変化が見られるようになってきた。
一般の人達でも・・・心ある人ほど・・・今の時期は試練に遭遇しやすい時期なのだ。
この時期は・・・皆が大審判に向けて・・・心を磨き・・・心の整理をし・・・着実に魂の次元を高めているような状況じゃ。
まぁ・・・ここでの『皆』とは・・・主にブログの読者諸君のことじゃがな。
世界中には・・・かなり難しい地域や・・・難しい魂のグループも存在していてな・・・その場合、ワシら神々は・・・心苦しく見守っていることもある・・・。
だから・・・このような情報を発信できるということは・・・ワシら神々にとっても嬉しいことなのじゃ。
そんな中・・・先日は、月読命が出てきたなぁ。
あのような神は・・・普通は表に出てこないのだが・・・ここに出てきたということは・・・いよいよ大きな変化の時期が差し迫っているということだ。
ワシとしても自らの視点で・・・そのことが見えておるし・・・月読命は一つ上の次元の神だが・・・やはり、そのように見えておるのじゃろう。
この差し迫った時期に・・・ワシは今回・・・皆に何をどのように伝えようかと考えてきた・・・。
5月の時点でワシは・・・『中庸』の在り方の大切さを伝えていたな。
もちろん、その大切さは今も変わらないのだが・・・しかし、その上で・・・もう一歩先に進むべき時期かもしれないと思った。
ただ・・・『中庸』ということ自体が・・・人間本来の素朴さや・・・優しさなどの中核を言っているので・・・ここで言う『先に進む』というのは・・・狭い優劣の考え方では計れないものだ。
少し考えてみてほしいのだが・・・もし全世界、全ての人が『中庸』の心を取り戻し・・・優しく・・・素朴に生き始めたとしたら・・・。
その時に・・・この世界中の人々の関係性はどうなっていくのだろうか・・・?
全ての人が『中庸』を生きていれば・・・そこは天国であり・・・何の問題も起きず・・・心穏やかに・・・お互いに微笑み合って生きるだけじゃろう。
しかし・・・現状、この世界はそうではないのだ・・・。
だからな・・・ワシはできるだけ『中庸』を大切にしてほしいと言っていたが・・・完全に『中庸』を生きるのは難しいとも知っておる。
あの孔子本人も・・・その状態を保ち続けられたわけではないのじゃ。
だとすれば・・・『中庸』とはなんなのか・・・?
ワシは要するに・・・心の中にある・・・着地点のようなものだと思っておる。
人は・・・時に忙しかったり・・・ダラッとしたり・・・魂本来の穏やかで・・・落ち着いた『中庸』の状態を忘れやすいものなのだ。
だからな・・・少し前にワシは・・・高い次元まで魂を磨いた者達が・・・急に次元を落とす出来事に遭遇したと言ったな。
もしその者達が・・・心の中で『中庸』という着地点を大切にしていたのなら・・・そこまで落ちずに済んだかもしれない。
前回も言ったが・・・『中庸』は・・・心を保つための留め金のような働きをしてくれることがあるのだ。
つまり・・・難しい状況であればあるほど・・・できるだけ、そういう穏やかな心のスペースを意識して・・・その中にいることを大切にした方がよいということじゃ。
それはそのまま・・・魂を生きるということにも直結しておる。
魂とは・・・愛であり・・・優しさであり・・・生命力でもあるが・・・物事に捕らわれない・・・穏やかな『中庸』という面もあるのだ・・・。
そのため・・・『中庸』の在り方を着地点として持っておけば・・・いざという時に心が乱されづらくなり・・・落ち着いて考えることができるようになる・・・。
あの管も・・・確かに、この『中庸』の着地点を持っている人物なのだ。
この『中庸』の大切さは・・・これからの大審判の期間中は・・・ずっと変わらないだろう。
というか・・・これから時間が経つにつれて・・・ますます大切になっていくはずだ。
ただな・・・だとしたら『中庸』さえやっておけば・・・それで大丈夫なのか・・・という問題も出てくる。
これがな・・・心の難しさであり・・・ワシは5月にあえて『中庸』を押したが・・・実は本来は・・・心の一要素だけを・・・あまり強く押すべきではないのだ。
この時期だから・・・特殊な荒波の時期を乗り越えるために・・・ワシはこの時期にマッチした処方箋を用意したに過ぎない・・・。
今という時期は、心が波立ちやすく・・・感情的になりやすく・・・思い込みで動きやすい時期だからこそ・・・あえて『中庸』という在り方をプッシュしたのじゃ。
実は・・・孔子はハッキリ気付いていなかったが・・・『中庸』にも・・・対極となる在り方が存在している。
陰があれば陽があるように・・・『中庸』にも・・・その対極となる在り方があり・・・それはお互いに補い合ってこそ・・・より高度に安定するものだ。
だからワシはここで・・・『中庸』をさらに安定させるためにも・・・その対極について・・・少し伝えておかねばならないと思っておる。
『中庸』の対極は・・・『俯瞰』なのだ。
『中庸』とは・・・主に心の中の境地であり・・・素朴さや・・・優しさ・・・調和などを意味している。
それは・・・心の中が癒されていて・・・平和的であれば・・・自然と自分の現実も調和していくという意味でもある。
そういう意味では・・・『中庸』さえしっかりしていれば・・・自ずと現実もよくなっていくように思えるのだが・・・なにごとも極端にいくと・・・必ず盲点が出てくるものだ。
『中庸』に慣れてきた人は・・・今度は『中庸』に拘ってしまう場合があり・・・すると・・・自分の盲点も含めて・・・現実を『俯瞰』する力が衰えてくるのじゃ・・・。
神としては・・・その人の『中庸』がしっかりしているならば・・・大きな困難をもたらすことはないかもしれないが・・・。
だが・・・思い出してほしいのは・・・今の大審判の時期というのは・・・高い次元の神が・・・ワシら一般の神々も含めて・・・人類一人一人にも・・・大きな審判を届ける時期なのだ。
大審判とは・・・つまり・・・よいことであれ・・・悪いことであれ・・・過去世も含めて・・・これまでどのように生きてきたかの結末がやってくるということじゃ。
だからな・・・どうしても自分がこれまで生きてきた中で・・・盲点となってきた部分に・・・審判の結果がやって来やすいとも言える。
たとえば・・・とても勇敢で・・・真っ直ぐな心の持ち主で・・・現実を切り開く力を持った魂は・・・社会を改革したり・・・人々の魂を鼓舞するなど・・・素晴らしい奉仕をもたらす一方で・・・。
時に・・・相手の気持ちを思いやらずに・・・自分の強い方向性に巻き込んでしまったり・・・知らず知らず強い言葉で傷つけてしまったりするようなことが・・・多々あったはずなのだ。
そのような人には・・・やはり『他人の気持ちを大切にする』・・・という側面からの審判がやってくるはずで・・・すると『中庸』に拘るだけでは足りず・・・より謙虚に自分と向き合い・・・相手の心を思いやる努力が試されることになるじゃろう。
また逆に・・・心の穏やかさが強く・・・安定感があり・・・周囲を支える力を持った魂は・・・知らず知らず自分で考えずに・・・周囲の意見に流されるようなことが多かったと思う。
すると・・・そのような人には・・・『自分の気持ちを大切にする』・・・という側面からの審判がやってくるはずで・・・『中庸』だけに拘らず・・・自分は本当はどのように生きたかったのか・・・自分の魂が本当に望んでいることはなんなのか・・・という・・・より深い心の領域に気付くことや・・・それを大切にすることなどが試されるじゃろう。
だからな・・・ここで言う『俯瞰』というのは・・・現実的な段取りとか・・・スケジュールとか・・・そういう知的な意味での『俯瞰』ではなく・・・あくまでも心の領域のことで・・・特に自分の魂の成長において・・・多方面から『俯瞰』してみることが重要なのじゃ。
ここまでくると・・・かなり奥深いことを言っているように聞こえるかもしれんが・・・。
しかし・・・実はワシが言いたいのは・・・とても基本的なことでもあるので・・・あまり細かく理解しようとせんでいいから・・・そなたの心の中で感じるところや・・・気付くところを大切に・・・むしろ直感的にこのメッセージに触れてみてほしい。
そう・・・ワシが言いたい『俯瞰』は・・・むしろ『直感』に近いのだ。
頭で認識して・・・知的に俯瞰するというよりも・・・もっと大きく・・・目には見えない大きな流れを『俯瞰』して・・・その流れの中で・・・自分に足りない部分を直感的に感じ取ってみるとよいのだ。
今の時期はな・・・まさにジェットコースターの序章とも言えるような時期で・・・地球人はまだ・・・ジェットコースターの最初の一山を越えたに過ぎない・・・。
今後・・・もっと多くの山がやってきて・・・心が大きく揺さぶられる者が多くなっていくはずなのだ・・・。
だからな・・・今の時期は・・・『中庸』という基礎を大切にしながらも・・・時に・・・自分が向き合うべき部分について・・・正直に『俯瞰』してみるとよいのじゃ。
実は・・・このことはそのまま・・・神を信じることでもある。
考えてみてほしい・・・この世界で起きていることの全ては・・・神が案配したことではないだろうか・・・?
直接現実の中で選択をしているのは人間自身だが・・・神は全てを見ていて・・・必要だと思ったことだけを人間の世界で起こしている・・・。
神が不要だと判断したことは・・・人間の世界では起こらないようになっているのだ。
だからな・・・過去のいろいろな大災難の予言も・・・すでに外れている現実があるわけじゃ。
しかし・・・今回の大審判は・・・すでに人類と神がずっと大昔から約束してきたことなので・・・間違いなく大きなことが起こることになるじゃろう。
実際・・・すでに皆は・・・大審判のジェットコースターに乗っているのだ。
このメッセージも・・・ジェットコースターですでに揺られている皆へ・・・先のことへの心構えとして・・・伝えられるギリギリの内容を届けている。
『中庸』と『俯瞰』・・・これはある意味・・・『魂』と『神』・・・とも言えるかもしれない。
人類の哲学が・・・ここまで洗練されれば・・・実はそれだけで・・・人類は魂へと戻り・・・神と共に生きることができるのだ。
宗教的な要素はゼロだとしても・・・自然と神と繋がりを取り戻し・・・魂を蘇らせて生きていくことができるようになる。
天照大神は・・・以前からこの可能性を知っていて・・・あえて国民に宗教的な思想を届けなかったのだ。
それだけ彼女は日本人を大切に想い・・・日本人の可能性を信じていたとも言えるだろう。
だからな・・・ワシもその可能性を踏まえた上で・・・『中庸』と『俯瞰』ということを言っておる。
ただ・・・言葉だけで伝えると・・・少し高度に感じるかもしれないので・・・。
よりわかりやすくするために・・・短い物語として伝えてみるので・・・その内容を通して・・・そなたなりに感触を掴んでみるとよいかもしれない。
昔・・・ある心優しい年配の男性が・・・田舎に住んでいて・・・彼は心穏やかに・・・幸せに暮らしていた・・・。
彼はまさに・・・『中庸』タイプの人だが・・・すでに彼の中ではその生き方が当たり前になっていて・・・ごく自然体で周囲の人達と調和しながら生きていた。
日々の中で・・・農作業をするのだが・・・あまり多くを望まずに・・・自分が生きていけたらそれでよいと思っていた。
ただ・・・彼の中で・・・大自然から恵みを受けていることへの感謝は忘れずに・・・『ありがたい』という言葉が口癖だった。
しかしある日・・・突然、隣町の男性が彼の家を訪れて・・・『この家は本当は私の家なので返してほしい』・・・と言ってきた。
そして・・・先祖から自分が引き継いだという証拠の書面も持っていて・・・彼に見せ・・・『数日中に、この家から出ていくように』と言ってきたのだ。
彼は・・・なにが起きているのかよくわからずに・・・『それは大変なことですね・・・本当にここがあなたのお家でしたら・・・無断でこの家を使っている私を・・・お天道様が許すはずはないでしょう』・・・と返答した。
隣町の男性は・・・この言葉を聞いて・・・彼が家から出ていくことを了承したと思い込み・・・一旦去っていった。
しかし実は・・・彼自身は・・・その男性の言葉をあまり気にしていなかったのだ。
なぜなら・・・『本当に出ていく必要があるのなら・・・お天道様がそのように導いてくれるでしょう』・・・と信じていたからじゃ。
そして、彼は心の中で・・・『お天道様・・・私は不思議と出ていくべきだとは感じません・・・もし大切なことに気付く必要がありましたら・・・どうか気付かせて下さい』・・・と・・・心を込めて祈っていた。
翌日・・・彼の近所に住む友人が遊びに来て・・・彼からその話を聞いて驚いた。
その友人は隣町の有力者と繋がりがあったので・・・その有力者に、この件について相談してみることにした。
すると・・・その有力者は詳しく調べてくれて・・・実際は彼の家で問題ないことが明らかになったのだ。
彼は・・・友人と有力者に心から感謝したが・・・隣町の男性にも心から感謝した。
そして・・・一人一人に・・・自分が丁寧に作った傘を贈り・・・このように伝えた。
『私は今回の件で・・・一つ大切なことに気付かされました・・・それは・・・この世界の全ては・・・本当は自分の物ではないということです・・・この世界はとても広くて・・・とても美しいので・・・みんなで分かち合って・・・一緒に活用していくべきなのでしょう・・・このことに気付けて本当によかったです・・・。』
そして・・・隣町の男性には・・・『いつでも遊びに来て下さい』・・・と言って・・・その場を和やかに収めることができたのだ。
この物語はある意味で言えば・・・大審判の試練を体験した彼が・・・『中庸』と『俯瞰』によって乗り越えたと理解できる。
予想外の困難がやってきても・・・彼の中では・・・一つ一つの思考が非常に自然で・・・いずれも当たり前のように穏やかに考えていて・・・すると・・・物事も当たり前のように調和へ進んでいったことが伺える。
彼は終始・・・心が乱されることもなく・・・神を信じ・・・なるようになるだろうと思っていた。
家がなくなるのもよし・・・家が残るのもよし・・・どちらに転んでも・・・お天道様は全てをお見通しで・・・起こるべきことは起きるのだと・・・心の中で穏やかに受け入れていたのだ・・・。
つまり・・・なにが起きたとしても・・・結局のところ・・・神の大きな愛の中で・・・必要なことだけが起きるのであって・・・全てが学びのためであり・・・その学びをできるだけ大切にしようと思っていたわけじゃ。
学びというのは・・・今まで気付かなかった盲点だからこそ・・・本当に学びとなるものじゃ。
最初から・・・全く盲点がなければ・・・その人は審判を受ける必要はないし・・・そして、魂の成長もあり得ないのだ。
だからな・・・考えようによっては・・・大審判ですらも・・・貴重な学びを得るチャンスかもしれない。
落ち着いた『中庸』の在り方と共に・・・自分にはわからない学びがあるかもしれない・・・という謙虚な『俯瞰』の在り方も併せ持つことで・・・神からよりスムーズに導かれる面があるのじゃ。
ワシが見るに・・・『中庸』と『俯瞰』のバランスは人それぞれでな。
『俯瞰』から始めて・・・徐々に『中庸』を安定化させる者もいれば・・・『中庸』から始めて・・・徐々に『俯瞰』の範囲を広げていく者もいる。
自分が全てをわかっていると思い・・・完全によくできていると思ってしまえば・・・そこに『中庸』も『俯瞰』もなくっていくものだ。
謙虚さがあればこそ・・・目には見えぬ大きな存在への信頼を持つことができ・・・その信頼があればこそ・・・大きな困難に遭った時も・・・穏やかに切り抜けるための導きを得られるものなのだ。
これから次第に・・・ジェットコースターが動いていくと思うが・・・皆としては・・・どうか心を乱さずに・・・できるだけ落ち着いて・・・『中庸』と『俯瞰』を思い出して・・・ワシら神々と共に歩んでいこう・・・。
時には難しく感じることもあってよいから・・・どうかプレッシャーには思わずに・・・至らない自分を責めることもないからな・・・一つ一つの出来事を自分なりに・・・落ち着いて向き合っていけばよいのじゃ。
物語で示した彼は・・・あくまでも一つのヒントなので・・・実際にこの人物がいるわけではない。
このような心に関することでは・・・他人と自分を比べる必要はないのだ。
なぜなら・・・そなたの心にはすでに・・・知らず知らず『中庸』と『俯瞰』ができている面が必ずあるからじゃ。
要するに・・・この内容をきっかけに・・・さらにその部分の大切さに気付き・・・意識的になり・・・少しずつでも自分らしく心を磨いていけばよい・・・。
大切なのは気付くこと・・・学ぶことなので・・・どんなプレッシャーも・・・自分に課すことはない。
気付きを得ることによって・・・『中庸』も『俯瞰』も・・・自然とできるようになっていくもので・・・それはプレッシャーを課して・・・自分を追い込んで身につけるようなものではないのだ。
それではまるで・・・古い神々のように・・・かえって否定的なエネルギーを強く抱え込むことになってしまう。
だからもっと肯定的に・・・『きっとわかるはずだ』と・・・『きっとできるはずだ』と・・・前向きに信じ・・・気持ちを楽にして・・・自分なりの気付きを・・・コツコツ積み重ねていけばよいのじゃ。
このような歩みの中にこそ・・・きっとそなたらしい学びがあり・・・その学びによって・・・自分らしく穏やかに・・・この大審判の時期を越えていけるだろう・・・。
ワシら神々は・・・必ずそなたを見守っておる・・・。
素晴らしい人生が・・・そなたと共にあるように・・・!!
わっはっは!!!」
関連記事
・2017年4月の記事・・・田吾作さんより「田吾作さんのお話し」
・2018年11月の記事・・・あるじより「明るい未来のために」
・2020年5月の記事・・・あるじより「中庸が大切な時期」
おしらせ
いやぁ・・・あるじから大きなメッセージが降りてきましたが・・・今日は、ちょっとお知らせをさせて下さい。
僕の古くからのお客様で、hitomiさんという方がいらっしゃるのですが・・・このたび、ご自身で新しくアート創作の企画を始められました(^^)
その名もアートボードという企画で、下のような美しいデザインボードを、あなた様のご希望や、お心に合わせて作って下さるというものです。
とても優しく・・・繊細で美しい作品ですよね(^^)
このような優しく・・・繊細で美しい表現力が・・・hitomiさんの持ち味なのです。
hitomiさんは実は、以前ご紹介した「心のアートプロジェクト」のメンバーとなる予定だったのですが・・・最近「自分でやってみたい」というお気持ちが力強く出てこられまして、ご自身でブログとウェブショップを立ち上げられました。
元々「心のアートプロジェクト」は、自立支援のプロジェクトでしたので・・・hitomiさんは、参加する前に卒業された感じですね(^^)
(もしかしたら「心のアートプロジェクト」の期間限定イベントなどがあれば、hitomiさんもご参加下さることがあるかもしれません。)
それと、hitomiさんのアートボード企画に似たものとして、実は3~4年前に「SSさんの土台」という企画を、一緒に考えていたことがあります。
たとえば以下のように・・・神様やSSさんのイラストを飾るためのボード(土台)を作成するという企画です。
どちらもサンプルとして作って頂いたものですが・・・繊細な表現がとても美しく・・・クオリティーが高いですよね。
それもそのはずで、hitomiさんは服飾や小物作りなどの分野で、すでにプロとしてご活躍されている方なのです。
僕の自宅には、写真の千手観音さんのボードを壁に掛けて飾っていますが・・・やっぱり、このように飾りますと千手観音さんにも喜んで頂けるのが感じられます(^^)
hitomiさんのアートボード企画では、このように神様達のイラストを飾るためのボード(SSさんの土台)を作って下さることも可能だそうですので・・・もしご希望の方がいらっしゃいましたら、ぜひご相談なさってみて下さい。
いずれもhitomiさんのウェブショップより、お申し込み頂けます。
それにしても・・・友人やお客様が、自分らしく才能を花開かせていかれることは・・・嬉しいことです(^^)
もしよかったら、今後もhitomiさんのご活動を注目してみて下さい。
ご覧下さいまして、ありがとうございました。