魂のプロセス 「犠牲」 | 神様達と共に

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やっとこさ、魂のプロセスを進めようという気持ちになりました。

どうやら、僕自身が本日説明します「犠牲」のプロセスについて、理解が十分ではなかったようです(;^ω^A


ということで、説明に入りたいと思いますが、どうやら魂やら精神やらの説明のときは、あるじに繋がるしかないみたいですね~。

あのおっさん、頭いいからね(笑)


あるじぃー(* ̄Oノ ̄*)


あるじ「ひさしぶりだな。」


あるじ、ずいぶんいろんなところに顔出してるみたいだね(^^)


あるじ「ふむ。いろいろ面白くてな。それよりも、いい加減進めてくれないかと思っていたところだ。さっさと『犠牲』のプロセスを終わらしてしまおうではないか。」


わかりましたぁ。

まず、おさらいですが魂のプロセスというのは、つまり魂(ハートの力)が成長するプロセスなのですよね。

基本的には心のままに生きるということが、魂の成長に繋がる道だと理解していますが、よろしいですか?


あるじ「そのとおり。それができなくなる、さまざまな誘惑や障害がこの世にはあるわけだ。」


つまり「犠牲」のプロセスということは、周囲の誘惑や障害に負けずに、心のままに行動して「犠牲」で生きるということでしょうか?


あるじ「そういうことだ。それもベストは自然体でな。その前のプロセスがなんだったか覚えているかな?」


もちろんです。

第一段階が「生存」で、第二段階が「欲」でしたよ。


あるじ「つまりな、人間は特定のサイクルを生きている。

それが、数カ月周期だったり、あるいは数年であったり、一つの人生の全期間であったり…。

そのサイクルの中で、自然と直面していくのが魂のプロセスじゃ。

生きる上で大切なこと…、まず「生存」すること、つまり生き残ることが最初の関門になるだろう。

次に、自分の願望というものが出てくる。それを満たしてあげること。子供は親に満たしてもらうが、大人ならば、自分の手で満たすしかない。

それが「欲」のプロセスだ。

そして、その次に人間は何を望むのか。「欲」が満たされたのなら、今度は他人の為に何かをしたいと願うのではないだろうか?

それが、つまり「犠牲」のプロセスということだ。」


ただひたすらに「欲」を満たすのではなく、心のままに生きていたら今度は「犠牲」を望むようになるということですか?


あるじ「その気持ち、わかるだろう?」


特に自発的にそういう気持ちになったことはないですけど、でも、いろいろな出会いなどから影響を受けて、気がついたらそういう気持ちが自分の中にあったという感じです。


あるじ「Kはまさに犠牲の人間だったろう?その素晴らしさをお前に教えるために現れたのだよ。」


K君は自分が苦しくても辛くても、相手の為に愛のエネルギーを注ごうと必死になる人間でしたよ。

当時の僕は「愛」って何なのかさっぱりわからなかったですが、彼と会って、彼の発するエネルギーを感じてはじめて「愛」ってこういうことかとわかりました。


あるじ「たとえ、自発的に他者愛を持てなくとも、時期が来れば自然と自分の心がその様な人間から影響を受けるようになっている。

例えば『勝つことが全て』と思っていた人間が、深い優しさを持った人間と出会って『人に何か大切なことを伝えたい』という人生に変化したりな。」


なるほどです。

実は僕、「犠牲」のプロセスを誤解してまして、なんというか自分はどうなってもいいから相手が優先…という超自己犠牲的なイメージを持っていたんです。

実際、K君の影響で僕もそういう時期が数年ありました。

今考えるとそうとう不器用だったなぁと思います。

魂を成長させるためだとしても、そのやり方はむしろ不健全だったと今は思っています(;´ω`)


あるじ「お前が気付いたように、魂を成長させるためには自己愛と他者愛のバランスが大切なのだよ。

素直な心の持ち主はそれが自然にできている。

嫌なことは嫌だと言えるし、やりたいと思ったことなら損得抜きで他人の為にできるものだ。

大切なのは、やはり自分の心がどう感じるかなのだよ。

この「犠牲」のプロセスに日本人が留まりがちなのは、一つは人目を気にしすぎることがあげられるだろう。

相手の為に行動したいと思っていながら、恥ずかしさや世間体を気にして行動出来ない。

もしくは、合理主義に縛られ、自分自身の行動を制限してしまっているか、ひとつ前のプロセス「欲」にまだ必要以上に捕われているか…。

このいずれかだろうな。」


よく『人の為』と書いて『偽り(いつわり)』と読むと言いますが、このことについてはどう思いますか?


あるじ「その奉仕の気持ちが心からのものであれば偽りなどではなかろう?

人からよく思われたいなど潜在的な願望からの行動であれば、それは自分の為にも相手の為にもならない。

そのことわざはそういう意味だろうな。」


なるほどです。

確かに日本人は空気読みすぎというか、自分らしくふるまうことが変なことみたいな風潮があります。


あるじ「いや。それも変わってきている。とくにお前の周りではな。

素直な心を持った人間が増えてきているわけだ。

しかし、もし周囲の環境を変えたいのなら『自分らしく正直に生きる』や『自分は自分でいい』などと決意して、自分から素直に、少しずつでもふるまっていくことだな。」


あ、そういえば、去年は僕特にそんな決意をして、本音を話すようにしていました。


あるじ「そうすることで、魂の力も引き出しやすくなるし、出会う人間の種類も変わっていく。この世で最も安全で、絶え間なく、無限に使える力…それが魂の力であり、つまり愛の力なのだよ。」


魂=愛ということでよいのでしょうか?


あるじ「いや、現段階ではそう言い切らない方がよかろう。魂というのは個々で個性がある。

それは愛にもさまざまな形があるということと一緒じゃよ。

それを言いきるとしたら、愛にはさまざまな側面があることをきちんと説明してからになるだろう。

たとえ愛だと周囲が感じていなくても、深いレベルで見ればそれは愛からの行動である場合は多い。

つまり、特別人の為に何かしようと思わなくても、自然と『犠牲』のプロセスを乗り越えて、高い魂のステージに到達している人はたくさんいるということだな。」


僕もそうなんだろうなぁと感じています。

僕やK君のやり方は、ちょっと歪んでいるやり方だったかもしれません。


あるじ「しかしな、決意を持って愛の行動をすることは立派なことだよ。君たちに足りなかったのは自己愛だったな。」


そうですね…。

他人を愛する分、自分も愛して、ケアしていかないといずれ潰れちゃいます。

もしくは、自分の社会活動や生活に支障が出てきます。


あるじ「その通り。信念は時に大切だが、何事もバランスだよ。

頑なになりすぎた信念はただの凶器になってしまう。

それが、自分を傷つけるのか、他人を傷つけるのか、もしくは凶器(信念)を捨てるのか…。

来る日も来る日も、その選択肢が突きつけられる人生になるだろう。」


まさに、そんな時期がありましたねぇ(笑)

当時は人の為になることが良いことだと強く信じ込んいるところがありました。

そのせいかネガティブな存在を引き寄せたり、人間関係もゴタゴタしたり、いろいろあって大変でしたねぇ~(´Д`;)


あるじ「そのため、自分が本当に正しい方向を向いているのか常に自問自答することは大切なことだろうな。

そういう時に、守護の側もインスピレーションを送ることができる。」


なるほどです。

自分と向き合いながら、心が望んだ行動は積極的にやっていくと成長に繋がるわけですね。

僕もまだ身を保身したい傾向があって、ちゃんとできていませんね。

でも、魂の力を引き出すためには確かに必要なことだと思います。


長くなりましたが、やっとこさ「犠牲」のプロセスを説明できたかな?


あるじ「まぁ、こんなもんでよかろう。あとはエネルギー法則を説明する時や、他のチャネリングの情報でもフォローできるだろう。」


なんか、あるじが勝手に命令を出している気がしましたが、無視しておきます(笑)


それにしても、ブログをやっていると自分が理解していなかったことが段々と理解できていく気がします。

これは、応援していただいている読者のみなさまのおかげさまのような気がしていますo(^-^)o



長くなりましたが、最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました(*^_^*)