今月最後のBlog更新と参ろう。
管理者が居住している仙台と聞くと、
何を想像するだろうか?
七夕、牛タン、笹かま等、
様々なイメージを持たれてる方が多い事だろう。
主に観光やグルメ等がイメージ戦略として、
先行している様な感じがしている。
しかし観光以外の目玉以外にも、
実は世界的に通用している発祥の場所である事も、
忘れては成らない。
それが “フィギュアスケート発祥の地” でもある。
その中から、オリンピック金メダリストを輩出した事は、
読者の皆様の記憶にもある筈。)
〔左が、羽生結弦さん、右が荒川静香さんのモニュメント〕
【仙台市地下鉄・東西線 / 国際センター駅前】
その始まりは、明治23(1890)年、
仙台市在住の外国人がスケートを滑った事が、
事の始まりだった。
現在の仙台国際センターの南側にある、
五色沼(ごしきぬま)が発祥の地である。
当時はの五色沼は冬に成ると厚く凍結し、
天然のスケートリンクとち成っていた。
近年は地球温暖化の影響で、
薄く沼の水面に氷は張るものの、
人が氷上で乗る事が出来なく成り、
昭和31(1956)年に開催された、
アイスホッケーが最後の大会競技と成り、
五色沼のアイススケート場としての、
歴史的使命の幕を閉じた。
五色沼。仙台国際センターの道路を挟んでの
真南に位置する。)
それから歴史は流れ、
昭和63(1988)年11月に民間のスケートリンクが開設、
平成16(2004)年に一時閉鎖に成ったが、
3年後の同19(2007)年に、
全国規模でアイススケートリンクを、
管理運営を行なう事業者の手で持って、
再び運営を再開。
ここから世界的に名を連ねる、
五輪金メダリストを輩出している。
既存の民間のアリーナ施設を改修し通年を通して、
使える様に仕上げた。
リンクの広さは、国際規格に対応した設計と成っている。)
しかし、フィギュアスケート発祥の地とは言っても、
これまできちんとした公設での、
スケートリンク施設が無かっただけに、
どうしても民間だけのスケート施設リンクに、
頼らざるを得ず、スケートの技術力向上のためには、
どうしても他県への、
常設スケートリンクが整備している地域への、
移住等を余儀なくされていた事 があった。
長年の懸案と成っていた、
公設民営のスケートリンクの開設に漕ぎ付けた。)
嘗てオリンピック等で過去に本県と縁のある選手達は皆、
その様な経験を重ねている からだ。
そう言ったこれまでの不遇の環境だった状況から、
払拭すべく新しいスケートリンクが、
この程オープンし記念のアイスショーが執り行われた。
『仙台市アリーナ』 がそれである。
平成24(2012)年に開設した多目的施設で、
現在、プロバスケットボールチームである、
B1・仙台89ERSのホームコートである事に加え、
コンサートやイベント等にも使われていたが、
そこに新たにスケートリンクも併設 され、話題と成った。
スケートリンクは、
フィギュアスケートの国際規格に対応した、
30m×60mの大きさ で、
リンク上に移動式の断熱フロアを設置する事で、
これまで通り行なっているプロスポーツの試合や、
コンサートやイベントにも対応出来る様に、
改修されている。
練習環境は格段に整った。
この新しい環境の中から次世代を担う、
オリンピック選手が、誕生するのか?注目される。)
改修工事終了とアリーナ完成を祝し、
先般、06月05日に祝賀記念イベントとして、
フィギュアスケートのアイスショー 『The First Skate』 が、
執り行なわれた。 イベントには、
冬季オリンピック男子2連覇者のプロスケーター・
羽生結弦さんを始め、
仙台市に縁のあるオリンピアンの本田武史さん、
鈴木明子さんや、本郷理華さん、らが出演し、
国際規格で整備された “新聖地” での、
開館記念の舞いを披露 した。
アイスリンク仙台も含めたスケーター、
総勢28人が真新しい氷に乗った中、
オープニングの最後に羽生さんが登場すると、
場内は大歓声。
(アリーナ完成を記念して、羽生結弦さんに因る、
華麗なる舞が披露された。)
仙台市民と一般で計3万件超の応募があり、
高倍率抽選の末、
プラチナ化したファーストチケットを手にした、
3,378人のファンの前に、青を基調とした衣装で登場。
名作オペラ 『トゥーランドット』 のアリア、
『Nessun Dorma(誰も寝てはなら)』 をBGMに、
いきなりイナバウアーを披露して、
待望の新リンクを沸かせた。
仙台に縁のある4人のフィギュアスケーターと地元で、
スケートを習う子供達に因る、
アイスショーが行なわれた同リンク会場、
スケーター達は、凡そ3分ずつ、
それぞれのプログラムを披露し、
このうち羽生さんは、
白色にピンクの模様が入った衣装を見に纏い、
『春よ、来い』 の音楽に乗せて表情豊かに、
しなやかな滑りを披露した。
サービス精神いっぱいの舞にアリーナは、
スタンディング・オーベーションに成り、
会場は大いに沸き上がった。)
最後のアンコールでは、再び羽生さんが登場し、
今度はアップテンポの音楽に、
細かいステップを踏みながら力強い演技を披露し、
演技が終わると、
観客は一斉に立ち上がっての、
スタンディング・オーベーション大きな拍手を送った。
大トリも任された羽生さんは、
「五輪2連覇、世界選手権優勝2回、
グランプリ(GP)ファイナル4連覇など実績は、
枚挙にいとまがなく、
男子シングル史上初めての、
スーパースラムも達成しました」 と紹介されて再登場。
「開館おめでとうございます。新しいアリーナで、
どんどんどんどん仙台市のスケーター達が、
練習出来て上手く成る事を願いながら、
今回のショーに参加させて貰っています。
また仙台市から、
五輪の金メダルを夢見て頑張って欲しいと思います」 と、
映像でコメント。
続いて姿を見せ 『春よ、来い』 を舞って記念すべき、
オープニングイベントを彩った。
新しいアイスリンクの門出を集まった観客と共に、
お祝いをした。)
3回転ループや代名詞のハイドロブレーディングも、
惜しみなく披露した。
拍手に促されてのアンコールでは、
『Let Me Entertain You』 を披露 。
プロバスケットボール、B1・仙台89ERSの試合は勿論、
音楽ライブも可能な新アリーナをロック空間と化し、
盛り上げた。
その後 「初めてスケートの歴史が刻み込まれました」 の、
アナウンスに続き、フィナーレへ。
全スケーターが勢ぞろいした中、
羽生さんが何度も何度も周回し、
手を振り、笑みを振りまき、
新スケートリンクの門出を祝った。
出演後、報道陣の取材には、
「やっぱり地元のスケーター達と、仙台の地で、
やっぱり皆で何かを作り上げる事の楽しさと、
それを仙台の方々、
また仙台に集まって下さった方々に対して発信出来て、
凄く実感として良かったなと思います。
世界のトップを狙うため(カナダへ渡った)僕も含めて、
寄り恵まれた環境へ行かざるを得なかった中で、
(新リンクが誕生し)やっぱり、好きな場所で、
好きな仲間と、好きな先生と、
一緒にずっと出来たら良いなって思いました」 と、
喜びを噛み締めた。
式典当日の午前中には開館記念式典が行なわれ、
郡和子仙台市長らがテープカット。
記念イベントには出演出来なかったものの、
荒川さんや、
2026年ミラノ・コルティナ五輪を目指す佐藤駿選手、
千葉百音選手からの祝福メッセージも届けられた。
因みに同アリーナは、所有者である、
ゼビオホールディングス(HD)が改修した後に、
仙台市へ06月02日付けで寄付。
開館後は同HDの子会社が指定管理者として、
運営する事が決まっている。
フィギュアスケート発祥の地でありながら、
これまできちっとした、
公設民営方式のアリーナが無かっただけに、
季節の民営のアリーナとの共存も含め、
これまでスケート競技人口からの、
上積みも期待出来ると言える。
今回記念式典に出演したアスリート諸氏達の時代、
恵まれたスケート環境とは決して言えず、
他の地域へ活動拠点を移すせざるを得ない等、
金銭面的な問題や技術的練習面も含め苦労を重ねた。
そう言った不遇な環境から脱出すべく、
きちんとした設備の元で次世代のスケーターの、
人材発掘にも寄与出来る様にと、
所有者の全面協力の元に仕上がった、
今回のアイスアリーナの完成。
このアリーナ―から次の世代を担う、
アスリートの登場が成るのか?
新しくアリーナに刻まれる歴史的幕明けのスタートは、
始まったばかりと言っても過言ではない。
【関連】
『仙台市アリーナ』
https://www.sendaicityarena-op.jp/
『X』
『Instagarm』
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
JG7MER / Ackee