『セカンドキャリアで活躍する、元プロ野球選手 ①』 !! | “ Ackee ” の ブログ !! ✒ (b^-゜)

“ Ackee ” の ブログ !! ✒ (b^-゜)

♪ 『 ⚾ 2025 プロ野球 Version ⚾ 』 ♪
【 Blog Site BGM 】
< Song > “ Crisis ”
< Artist > “ T-SQUARE ”
【 Profire Site Picture Header 】
“ 楽天モバイルパーク 宮城 ” ( 宮城県仙台市宮城野区 )

プロ野球も 『セ・パ交流戦』 が終わり、

再び各リーグともオールスター戦前までの、

リーグ戦が始まった。

一軍・二軍で活躍選手いる選手達も、

やはり未来永劫まで現役を続けられる訳でもなく、

当然の事ながら、

オフシーズンを迎えると必ず話題になるのが、

来季の契約問題 で、 最初からシーズン中、

または終了後に表明している、

今季限りでの現役引退表明は別にして、

否応がなしに戦力外通告、移籍、継続契約更改等、

悲喜交々であり、言わば現役引退後の、

セカンドキャリアと言う問題 も圧し掛かって来る。


(ドラフト1位に指名され、狗鷲の期待の左腕と、

将来性を嘱望された現役時代の森さん。

しかし、左肘の故障等が響き、10年間のプロ生活で、

僅か3勝しか挙げる事が出来なかった。)


今回は、嘗て現役で活躍していた野球選手達が、

今現在どの様な生き方をしているのかを、

スポットとして紹介して参りたいと思う。

現役引退後も野球に関わる職業に就く人が多い中、

元プロ野球選手の中で、

全くの異業種に飛び込んだ、

ひとりの元プロ野球選手がいる。

水揚げされた鮪(まぐろ)が並ぶ、

宮城県塩竈市の魚市場。

そこに嘗てプロ野球の世界に飛び込んだ、

一人の男性の姿 がいる。


(プロ野球選手のセカンドキャリアとして、

野球関連に就くのが多い中、

森さんは敢えて全くの新境地 へと飛び込んだ。

魚類選別関連のプロフェショナルの道 である。)


元東北楽天ゴールデンイーグルスの投手だった、

森 雄大(もり ゆうだい)さん(30) 、その人である。

森さん 曰く 「目利きです。もうどれに目星を付けて、

08時からの競り(せり)で、

どれを買おうかなと言う処」 と語る。


(朝早く魚市場に入り、自らの厳しい目で魚を選別する。)


塩竈市にある 『廻鮮寿司(かいせんずし) / 

塩釜港(しおがまこう)』 には、

地元で水揚げされた新鮮で大きなネタが人気を集め、

芸能人や各界著名人関係者、

スポーツアスリート選手は勿論、

スポーツ観戦等で県外から来たファン等が、

口コミやSNS等で話題にする 等、連

日多くの客が訪れると言う。

森さんは、2年前の令和05(2023)年から、

寿司店の魚の仕入れ等を担当していて、

仕事は朝早くから始まる。

「大体、午前02時50分位。こっちに午前03時50分位。

こっちから市場に行ってみたいな。そんな生活ですよ。

さすがにファームでもそんなに早くない」 と、

この様に話す森さんだ。


(現役時代とは違って、

最初はさすがに身体が慣れて行くまでは、

体力的にきつかった と、当時の事を語る、森さん。)


森 雄大さんは、九州・福岡県福岡市出身で、

小学3年の時から野球に打ち込むと、

東福岡高校時代に頭角を現し、

平成24(2012)年のドラフト会議で楽天と広島から、

それぞれ1巡目で指名を受けた。

当時の森さん 「日本を代表出来る様な左投手に成って、

ファンから森が投げるのであれば、

球場に見に行きたいと言って貰える様な、

ピッチャーに成長したい」 と、入団会見で語り、

楽天に入団するとプロ2年目の平成26(2014)年には、

初勝利を挙げる等、次期エース候補として、

華々しくスポットライトを浴びていた。

しかし、左肘の怪我等の故障があり1軍では、

僅か3勝と、思い描いていた様には行かず、

令和04(2022)年にユニホームを脱ぎ、

10年間に渡るプロ野球選手としての活躍を終えた。



(師匠でもある、鎌田秀也会長も絶賛。

将来性を大いに期待をしている。)


「自分ではユニホーム着たくなるのかなとか、

野球したくなるのかなとか思ってたが、

そんな事思う暇もない位に毎日仕事はあるし、

すっぱり辞めたのであんまりないかな」 と話す森さん。

日本野球機構(NPB)が公表している、

現役を引退した人達の進路に因ると、

約8割が野球関係の仕事に就いていて、

一般企業などへの就職は1割足らずと成っている。

森さんにも引退後、

楽天球団から球団職員としての、

オファーがあったものの、

選んだのは野球以外の道 だった。

森さんが勤務する 『塩釜港』 は、

令和04(2022)年から、楽天の元球団社長である、

立花陽三(たちばな ようぞう)さんが運営 している。

実は 立花さんにとっても森さんは、

球団社長時代にドラフトで獲得した、

最初の選手 でもある。

現在、塩釜港・ヤママサを兼任している、

立花陽三 社長(元・楽天球団社長)曰く、

「僕の予想、ちょっと遅刻したり辞めると、

言い出したりするかなと、半信半疑だった。

だけど彼は一年間全うして、

一回も遅刻せずにやってくれて、

魚の知識も凄く身に付いて、

元野球選手がこう言う事に、

チャレンジしていると言うのは、

今後のプロスポーツ選手の第二の人生に於いても、

良い道標になる」 とこの様に話す。

働き始めて3年目、

『野球』 を職業にしてきた森さんにとっても、

毎日が勉強の日々だ。

森さん曰く 「好きで始めた野球でしたけど、

10年やって手術も2回しましたし、

そういう意味では好きなだけではやってはいられない。

仕事になってきつかったし、

今は好きでと言うよりは、自分で選んだ道なので、

そこは正解にして行きたい」 と話す。


( 「好きでと言うよりは、自分で選んだ道。

そこを正解にして行きたい。」 と語る。森さん。

言葉の端端には、

魚の目利きのプロフェショナルとしての、

意気込みが感じられる。)


塩釜港の創業者である、鎌田秀也会長と一緒に毎朝、

市場に足を運ぶ森さんは、魚の目利きにも慣れて来た。

森さん曰く 「これ良いですね。高そう!」

塩釜港・鎌田秀也会長曰く、

「雄大は、最近ずっと見ているから、

かなり上達していますよ。

2年で6割くらいは覚えている。あと2、3割やれば…。

パーフェクトはないから」 と語る。

森さん曰く 「尻尾は脂乗りです。腹は深いか浅いか。

鰓(えら)は鮮度を見たり、目が白い奴は古い、

出来るだけ目は綺麗な奴を選んで、

目利きのポイント」 と、語る。

午前08時から行われる鮪の競りでは、

森さんらが目利きをした鮪を鎌田会長が競り落とした。

当初は魚の知識等、殆ど無かったと言うが、

今では、魚を締める作業も任される様に成ったと言う。

鎌田会長は 「締めるの凄い上手い。俺よりも上手い。

プロだもん2年もやってるとプロだからね」 と、

森さんの成長ぶりに、顔を綻ばせながらこの様に話す。

森さんは今年の03月から、塩釜港の関連会社である、

『ヤママサ』 の広報部長も兼務 している。

『ヤママサ』 は輸入品の鱈(たら)等を加工し、

総菜品として販売する会社だ。

この日の森さんはジャケットスーツ姿に身を整え、

仙台市若林区卸町にある、

仙台市中央卸売市場を訪れた。

この日は、魚の仕入れ等に付いての打ち合わせだ。

森さん曰く 「同じ魚なんですけど、

種類も違えば仕入れ方も仕入れ価格も違う。

海外の影響もあるので勉強しなければ」 と、

自らも戒めかつ向上心も忘れない。


(今年03月から子会社である広報部長に就任した森さん。

輸入した鱈を加工し惣菜として販売する業務に就いた。

新たなる役職に就いただけに責任も重いが、

将来性を期待されている。)


プロ野球選手としてのユニフォームを脱ぎ、

新しい新天地で活躍している、森 雄大さん。

故郷・九州福岡の地から、

憧れを持ってプロ野球の世界で、

ドラフト1位指名で持っての輝かしい入団。

しかし恵まれた素材でありながら、

身体への故障等が響き、

思う様な活躍が出来なかった現役時代。

そこに、当時球団社長でもありドラフトで指名してくれた、

今の社長でもある立花陽三さんに声を掛けられ、

セカンドキャリアとしてこの道へと足を踏み入れた。

以前、当 Siteでもご紹介した、

『廻鮮寿司(かいせんずし) / 塩釜港(しおがまこう)』 は、

現在、塩釜本店の他、マリンゲート店、仙台東口店、

東京の銀座極、国会議事堂店と5店舗を構えて いる。

このBlogをご覧に成られている皆様も一度は、

実際に店舗に入られ、その味覚を堪能した事であろう。

魚の目利きに拘りを持つ、

創業者である鎌田秀也会長の厳しい指導の元、

その甲斐もあって、

実は提供されている新鮮な寿司ネタである各種の魚が、

森さんの目利きでの提供品である事 は言うまでもない。

森さんが魚の鮮度を厳しく目利きして、

それを鎌田会長が競り落とす。

正に野球に例えれば、

がっちりとしたバッテリー と言っても他成らない。


(日々の業務を淡々と進めて行く、森さん。

今日も多くの食材が、森さんの手を経て、

食卓の元に届いていく。)


「仕事は好きなだけでは続けられない」 と、

プロ野球生活の10年で学んだという森 雄大さん。

第二の故郷・宮城でのイチからの挑戦。

新たなセカンドキャリアでの活躍。

地元チームを応援かつ、

現役時代から応援していた森さんが、

新しく踏み入れた世界で、正にMVPと誇れる日が来る事を、

心から切に願いつつ応援していきたい心境である。

【森雄大(もり ゆうだい)プロフィール】

平成06(1994)年08月19日生 金星人+

福岡県福岡市出身。

元 東北楽天ゴールデンイーグルス投手。左投左打。

小学4年生から 「福岡アストロズ」 で野球を始め、

福岡市立内浜中学校時代は軟式野球部に所属し、

2年生の時にはホークスカップで優勝投手となる。

軟式野球引退後はKボールの福岡県代表に選ばれ、

全国4強入りを果たす。

東福岡高等学校進学後は1年の夏からベンチ入りを果たす。

2年の夏前には、右膝の故障や急性虫垂炎等で、

ブランクを作ったが、

2年秋には当時の自己最速の145km/hを記録する等、

右のエースとなる。

2年秋・3年春の福岡県大会では、

背番号1をつけ初戦に先発したが、何れも敗退。

3年夏の県大会では、背番号は 「11」

福岡県大会ではベスト8まで勝ち進んだものの、

甲子園出場は成らなかった。

平成24(2012)年10月25日に行われた、

プロ野球ドラフト会議で、広島東洋カープと、

東北楽天ゴールデンイーグルスから、1巡目指名を受け、

抽選の結果、楽天が交渉権を獲得。

同年11月27日に契約金8000万円、年俸840万円で仮契約。

背番号は本人の希望により、 「16」

平成26(2014)年04月03日に自身初の一軍登録を果たすと、

同日の対オリックス・バファローズ戦(コボスタ宮城)に、

先発投手として一軍デビュー。

同月24日の対埼玉西武ライオンズ戦(東京ドーム)で、

先発投手として5回3分の2を1失点に抑えて、

一軍公式戦での初勝利を挙げる。

10代の投手による一軍公式戦勝利は、球団史上3人目、

左腕投手では初めてとなる。

しかし制球難から、一軍・二軍を交互に繰り返す等、

伸び悩んだ。

10月19日、令和05(2023)年シーズンの、

育成再契約を行なわないと通告され、

その後現役引退を発表。現役引退後は、

楽天球団前社長の立花陽三氏の下で、

ビジネスを学びたいと思い立ち、

同年11月からは立花氏が経営する、

回転寿司店 『廻鮮寿司 塩釜港』 の運営会社に就職し、

仙台駅前店で勤務。

昨年12月06日、塩竈市にオープンした、

『廻鮮寿司 塩釜港 極 鎌田 マリンゲート店』 で、

業務を担当。今年03月から子会社である、

魚加工販売 『ヤママサ』 の広報部長に就任。

現在に至る。


★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

【関連】

《動画》

〔tbc 公式チャンネル〕

https://www.youtube.com/watch?v=NKxYitYYUTQ

《廻鮮寿司塩釜港》

https://shiogamakou.studio.site/#store

《ヤママサ》

http://www.yamamasa.info/

《PR TIMES》

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000003.000159096.html

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

JG7MER / Ackee