奥新川駅での取材を終えて次なる目的地へ…。
今回訪れた目的地がここ、 『旧 奥新川直流変電所』 である。
実はここの変電所は、東北地方で最初に直流電化が施された、
作並~山寺間の勾配区間による、蒸気機関車の無煙化対策として、
直流専用の電気機関車を通す為に設けられた中核変電所である。
(昭和43(1968)年 9月 7日まで稼働していた、
旧 奥新川直流変電所)
開業当初のこの区間で使用された電力は、
宮城県電気局から当時の鉄道省が購入したもので、
大正11(1922)年 8月に開設された
『人来田(ひときた)発電所<水力>』(宮城県仙台市太白区)
から33,000Vの送電線(延長24.6km)を設置し、
そこから交流で受電したものを当変電区で直流1,500Vに変換して、
線路上の架線に饋電(きでん)していた。
変電区の用地面積は約2,500㎡ (約756坪 強)。
実際に変電用の機器を収めたコンクリート造の主建家の他、
事務室・倉庫等が設けられていた。
昭和43(1968)年 9月 8日、仙山線の全線交流電化への変更に伴い、
前日の 9月 7日を以って同変電所はその使命を終えた。
(以下、写真下の解説を参照にご覧下さい。)
(当時の稼働していた様子を伺うかの様に、
高圧碍子が取り付けられている。)
ご覧の通り碍子とそれを支えている金具を足元で発見。(ノ゚ο゚)ノ
碍子にはニクロム線らしきコイルが碍子に巻かれていた。)
残念ながら盗難防止の為施錠されているため、
外側からの見学。)
日本の家庭用電気はご存じの通り、交流<AC 100V>である。
当時の、鉄道の電化は直流方式しかなかった為、
ここで交流を直流に変換する設備が不可欠だった。
正面の画像は、直流に電気を変換させる大型整流器。)
※…鉄道に於ける直流(DC)電化の電圧は、1500V。
交流(AC)電化の電圧は、在来線は20,000V。
新幹線は、25,000Vとなっている。
※…電気の周波数は、富士川(静岡県)を境に、
東日本は50Hz、西日本は60Hz。
東海道・山陽・九州新幹線は全線60Hz。
富士川の東側(50Hz)の東海道新幹線部分は、
JR浜松町(東京都)変電所で50Hzから60Hzに変換するシステムがある。
東北・上越・北陸(長野)・山形・秋田の各新幹線は、50Hz。
尚、 北陸新幹線延伸の際には、50/60両Hzに対応した車輛導入の構想がある。
(直流に電気を変換させるために、
様々な碍子が使われていた。)
当時の変電所構内の見取り図。)
(作並~山寺間は無煙化計画の為、開通当初から電気機関車による
運転方式が採用され、直流電化されていた。
しかし交流に比べて電気の容量も大きかった事から、
使用する送電線も太かった為、頑丈な造りが必要だった。
直流電化区間で見られる、“V型トラスト”の単線版。)
※…現在は交流電化に変換され、電柱の耐用年数の関係から
片持ち式ビームに順次取り換えられこの型式の電柱は、
作並~山寺間では段々と少なくなってきている。
何事もなかったかの様に交流電化された脇を、
仙台行の普通電車が通り過ぎて行く。)
(旧変電所を横にしている、blog 管理人&筆者。(;^ω^A)
平成20(2008)年秋、老朽化により同変電所を解体。)
【旧 奥新川直流変電所の運転歴】
自 昭和12(1937)年11月10日
至 昭和43(1968)年09月07日
(稼働日数) 11,259日。約30年10ヶ月。
(旧 奥新川直流変電所の所在地)
【旧 奥新川直流変電所】
JR奥新川駅より西へ500m。
林道を徒歩でおよそ10分程。
途中、仙山線の橋下を2回通過する。
林道渓谷の為、足元が悪くぬかるみのある個所がある為、
長靴とかの持参があれば良い。
JG7MER / Ackee