ヨットデザイナー木原さんとの出会い | す~でらトーク

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豪華帆船 SUPER DELUXE号のキャプテンが、海や街を航海するおはなし。                  写真は的矢湾

運命の時


今から思うとそれはこの時だったに違いない。


18歳頃の日本のヨット界は熱かった。


今よりもレースは盛んで ヨットデザイナー達が


どんどん新しい艇を生み出していた。




その中でまず登場したのが 木原俊男氏。


伊勢で、なかよし造船というビルダーを展開し


神風エキスプレス


ハイグレース33


なかよし295


アリカシリーズ


コテルテル2


月光


シンドバット



など名艇を数多くデザイン・製造してきた。


日本のレース艇の歴史を刻んできたお方。



 


私は この木原氏と知り合い


休みになると 造船所まで出かけていき


デザインの作業場 造船の現場に、くぎ付けでした。


木原氏は非常に面白い方でした。


どう見てもデザイナーにはみえません。




す~でらトーク-kihara
シーボニアで パールレース終了時の写真
左が小生 右が木原氏 裸の写真ですみません。




そうしていつの間にか ヨットデザイナーになりたい夢を

持ち始めていたのでした。



自分で模型を作っては走らせ

自分なりにこんなヨットが速いぜ!

こうすればいいのに。。。。なんて

弟とよく議論したものです。


す~でらトーク-kihara2
これがその模型

発砲スチロールやバルサでつくりました。




実はヨットの設計がしたくて 東京の専門学校で図面を学び 

就職は 絶対になかよし造船だ と決めていました。


しかし、はかなくも その夢は砕け散ります。


22歳になるころには海外より安くて優れたヨット


が多数輸入されるとともに 国内のヨット造船は


一気に下降線をたどるのでした。


木原氏もそのことは予測されていて


いち早く造船所をたたんでしまったのでした。


その後、木原氏は建築家へ転職

http://hitechomes.co.jp/




私は夢は夢でもちつつ とにかく働かなきゃならないので


同じ設計でも プラスチック製品(ラジオや電化製品)


の設計事務所へ就職したのでした。


やがて独立

いまの職業になっていきます。 



でもね ヨットデザインへの夢は捨ててはいません

自分のヨットを設計する夢は今なおあります。