世界一素敵な学校(予定日1日後!まだかな〜) | 気持ちいい人生創造のコツ

「 サドベリー・バレー校の希望のレシピは、いたってシンプルです。自由と尊厳と責任と援助をワンカップずつ一緒に混ぜ合わせて、あとは出来上がりを待つだけです。この通りにすれば、成功間違いなしー。」

 

『世界一素敵な学校〜サドベリー・バレー物語〜』

ダニエル・グリーンバーグ著

大沼 安史訳

 

 

ほとんど、泣き出しそうになりながら読みました。

これこれこれこれだよ!

と嬉しくなり、そして今まで先生として子どもにしてきたことを振り返り反省し、日本の教育に思いを馳せました。

 

【ここから思い出】

バイキンくん振り返れば、私は小学校1年生、公立学校に通い典型的な登校拒否の症状を出していました。朝起きると、「頭痛い、お腹痛い、気持ち悪い」トリプルコンボ。それでも登校。言葉の出てこない同級生は、すぐに手足を出してきました。私が手を挙げても先生が

「うまこちゃんに当てると答え言っちゃうからな〜」

と当ててくれませんでした。当時「発達障害者」「知恵遅れ」と呼ばれていた男子の隣に座って、勉強を教えるように言われて授業中にひらがなを教えていました。それは楽しかったのを覚えています。お別れの作文の挿絵の私の顔だけが色とりどりだったなぁ。

 

UMAくん小学校2年生の夏休み明けから、私立小学校に転校しました。そこは、頻繁に畑仕事や米作りをするようなところでした。教科書もオリジナルで、先生が良いと思ったものは、どんどん取り入れてやっていました。お昼の時間に連続ドラマ小説を見たり、チョコレートを使って九九の学習をしたり、蚕を育てたり。運動会では、何時間もみんなで作戦会議をし、練習後フィードバックをし勝って嬉しかったことを覚えています。4年生までは楽しかったな〜。5、6年生では先生に恵まれずクラスが荒れました。いじめたりいじめられたりしました。

 

クマムシくん中学校・高校と生徒の力の大きい女子校で過ごしました。やりたいことには、とことん協力的な先生達。職員室にバンバン入って行って、言いたいことを言う傍若無人なみんなと文化祭、体育祭などに本気で取り組む楽しさを学びました。「なんでもできる」自分の可能性を自然に信じられる環境だったと思います。色んな人がいて大変だったけど、それよりも楽しかったし、良い出会いがありました。

 

宇宙人くん私が先生になったのは、恩返しの面が大きいです。

高3受験生で塾に通う中、他の受験生と比べて、

何になろうかな〜あれもいいそれもいい♫とワクワクしている自分で居られるのは、はて、なんでかな?と振り返った時に受けた教育のおかげだと気付きました。特に、母と小学校3、4年生の担任の先生には感謝してもしきれません。

 

・・・というわけで、公立小学校に久しぶりに通うようになったのですが、カルチャーショックの日々!幸い、私の配属先は通常級ではなく帰国子女・外国人に日本語の支援をする学級だったので「自分で考え、工夫する」ことが多くできました。それでも脳<!????って思うことばかりでした。また、「なぜ?どうして?」に納得する答えが返ってきたこともありませんでした。

【思い出ここまで】

 

その答えがここに!!!目

・子どもが求めるまで与えない

・無理やり教えない

・年齢ミックス

・責任をもたせる

・時間は自分でコントロールする

・ひとり一票の権利

            などなど

何よりも今の教育システムが出来上がった歴史をおさらいすると色んな裏カラクリが見えてくるので、

「21世紀の学校をつくる〜日本語新版への序文」

読んだ時点でもうよかった(最初の最初)。

日本にも同じ考えで運営されている学校があるようなので、落ち着いたらすぐ見学に行きたいと思います。自分が勤めている学校に自分の子どもを通わせたくない、なんて現状を変えたい。

 

 

PS:ゆかちゃん、「サドベリー」のキーワードくれてありがとう❤️