いつだって時代は過渡期だし、キャンバスは真っ白なんだよ。

著者はホイチョイ・プロダクションズの馬場康夫。前回に続きかなり前の本で恐縮ではあるが、この本は僕の中で5本の指にはいる大好きな本である。今までに少なくとも3回は読んだし、今回書評を書くにあたってもう一度読み直してみたが、時間が経つのも忘れて読んでしまった。最近広告は元気がないと言われたり、この業界自体の将来性にも疑問符がつけられたりしている。だけどこの本を読むと、あらためてコミュニケーションという仕事を選んで良かった、と思わせられる。本当に僕に元気とやる気を与えてくれる本である。
内容としては、微妙に絡み合う小谷正一、堀貞一郎、ウォルト・ディズニー3氏の仕事ぶりを軸にしながら、日本におけるエンターテイメントビジネス黎明期のエネルギー溢れる世界を紹介している。高度成長期の中で、時代とともに歩き始めたエンターテイメントという世界の白いキャンバスに、自分達で筆をいれていった人たちが羨ましく、読みながら嫉妬と羨望を感じてしまう。特に小谷正一に関しては、こんな人がいたんだ、とその人物像に強く魅かれてしまった。
この本には様々なエピソードや人びとの関わりが紹介されているが、その中でも僕が好きなのはその登場人物たちの「人の心をつかむ」エピソードである。
冒頭に出てくる堀の「マジックボックス」の話。小谷が フランスのパントマイムの第一人者だったマルセル・マルソーを招いたとき、マルソー夫人が離日する際贈ったプレゼントの話。電通の吉田秀雄がヤング&ルビカムに行った時に、受け取ったゴルフバッグの話。同じく吉田秀雄が死ぬ直前に、自分の部屋にあった大きな机を病院に運ばせた話。ディズニーランドの反対方向につけられたふたつのノズルの話。ピノキオの先が丸くなった鼻の話。いっぱいありすぎて書ききれない。
またもう一つ心ひかれるエピソードは、プレゼンに関することである。最初に出てくる堀貞一郎の東京ディズニーランド誘致の時のプレゼンテーションの話。ウォルトディズニーが最初のディズニーランドを作るにあたり、銀行に融資を申し込む際に作った企画書の話。読んでいてワクワクさせられる。
この他にも日本にディズニーランドを作るにあたってのエピソードや大阪万博のエピソードなども、本当に面白く、また人と人とのつながりの不思議な縁みたいなものも感じることができる。
僕自身思い入れの強い本だけについつい文章も長くなってしまった。最後に僕が好きな部分でもあるのだが、冒頭の文章の種明かしをしておきたい。本からその部分を引用する。

 電通プランニングセンター時代、小谷の部下だった岡田芳郎は、小谷にこうつっかかったことがある。
「ボクは、小谷さんがうらやましいですよ」
「何で?」
「だって、今という時代は、広告でもイベントでも何でも形が完成してしまっていて、行き詰まっているでしょう。小谷さんみたいに、時代の過渡期に、真っ白なキャンバスに思い通りに絵が描けたら、ほんとうに楽しそうじゃないですか。うらやましくてしかたありませんよ。」
 小谷はまっすぐ岡田の目を見て、こう答えたという。
「岡田くん。いつだって時代は過渡期だし、キャンバスは真っ白なんだよ」

何となく近ごろ仕事にモチベーションがあがらないという方、是非読んでみてください。きっとこの仕事を選んで良かったと思いますよ。

「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た!/馬場 康夫

¥1,470
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君が人を好きになった時に取るべき最善の方法は、その人のことをきち
んと知ろうと目を凝らし、耳をすますことだ。そうすると、君はその人
が自分の思っていたよりも単純ではないことに気づく。極端なことを言
えば、君はその人のことを実は何も知っていなかったのを思い知る。
                    金城一紀著『映画篇』より


今更ながら、読んでみた。既に読んでいる方も多いことだろう。読むきっかけになったのは、以前にも書いたが著者である佐藤尚之氏の話を最近セミナーで聴く機会があり、多分に影響を受けたからである。3年以上も前に書かれた本ながら、僕に取っては十分に今現在の話として受け取ることができた。
内容としては、インターネットの普及のころから大きく変わり始めた消費者に対し、どのようにコミュニケーションすれば伝えたいことを伝えられるのか、ということをわかりやすく説明したものである。著者は電通においてCMプランナーから始まり、webプランナーなどを経て現在はコミュニケーションデザインを主たる領域とするクリエイティブ・ディレクターである。著者が関わった事例やその他の有名な事例などもいくつか紹介されているが、特にスラムダンクの井上雅彦氏とのキャンペーンは、ちょっと特殊な事例ではあるものの次のコミュニケーション展開のあり方を示してくれていて「俺もいつまでも今のままの意識ではイカン!」と痛感させられた。
この本で著者が言いたかったことは、変化した消費者にコミュニケーションするには、とにかく伝えようとする相手のことを徹底的に知ろうとすること、ということである。コミュニケーションデザインの基本のほぼすべてが、冒頭の金城一紀の言葉の中に入っていると書いている。そんなことは今までだってやっている!とおっしゃる方も多くいるだろう。僕自身もクリエイティブブリーフを書く際に、コンシューマーインサイトは・・・なんて書いている。ただもう少し考えてみるとこの本でも書かれているが、相変わらずターゲットの切り口をF1、F2なんて固まりで考えていたり、高校生=モバイルヘビーユーザーなど、ステレオタイプにくくってしまっているような気がしている。(今頃そんなのはお前だけだ!と言われれば素直にごめんなさい。)
「消費者は根本的に変わった」ということを前提に、今までの消費者イメージを捨てて、もっともっと消費者本位でコミュニケーションしていこう。そのために既存のやり方や考え方も少しずつ変えていかなくちゃ、との著者の意見には素直にうなずけるものがある。
なんてまとめたが、僕自信の実際の仕事では、まだまだ試行錯誤が続くことだろう。なんせ最近ターゲットの意識調査なんてトントやっていないからなぁ・・・。

明日の広告 変化した消費者とコミュニケーションする方法 (アスキー新書 045)/佐藤 尚之

¥780
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降りてきた!神が降りてきたぞ!
よし、回すぞ!回せ!回せ!


勝新太郎のことをご存知の方はどれくらいいるだろうか。名前は聞いたことがある、という方は大勢いるだろう。それ以外にも、中村玉緒の旦那。パンツに大麻を隠して捕まり迷言をはいた人。豪放磊落で昔気質の役者。そしてもちろん座頭市を演じた役者など。僕がこの本を読み始めたきっかけも、映画全盛期の昔のスターはどんな派手な生活を送っていたのかこの本で覗けるかな、という実に下世話な動機だった。
ところがどっこい読んでみると、「勝新太郎」という人間の波瀾万丈な生き方が描かれてはいるが、中心テーマは「製作者・勝新太郎について」であった。役者としてだけではなく、製作者として良い作品を作りたい、という凄まじいまでの執念。その結果、巨匠といわれる監督との確執。黒澤明とぶつかって影武者の主役を降りたこともそれが原因である。とにかく本書では制作の現場で勝と過ごしたスタッフの話から、どこまでも自分の理想を追い求めるその狂気を感じさせる製作者としてのこだわりを描ききっている。やがて自分が座頭市か、座頭市が自分かわからなくなり、また理想への追求から監督、脚本、主演、編集まですべて一人でこなし、予算の大幅オーバーもかえりみなくなってしまう。座頭市を演じることが燃え尽きてできなくなった後もその姿勢は変わらず、結果として会社をつぶし、自分自身も製作の場を失っていく。それでもその製作にかける純真な思いから、様々な役者に慕われ復活するも、前述のような大麻問題で自分から機会をつぶしてしまう。詳しく書かないが、晩年、中村玉緒の旦那的扱いの中でも、製作者としてのこだわりを通すくだりは胸にくるものがある。
僕も片隅とはいえ、何かコトなり、モノなりを製作するという世界にいる。もちろん映画のように純粋に観客を喜ばせたり、感動させるというのとは違い、クライアントの意図を達成するということを目的に製作している。そこは商売である以上、期限を守り、予算内で、求められるクオリティの少しでも上を目指して納品する、ということが当然のことである。そうでなければ二度と発注をもらえなくなってしまう。そこにはバランス感覚が求められ、その感覚が優れたものが優秀な広告マンということになるのであろう。
そういう業界にいる自分であるからこそ、破滅への道を歩きながら、それでも自分の理想を追い求めて作品を作り続けた「勝新太郎」という男の生き様に、激しく心を揺さぶられてしまった。

天才 勝新太郎 (文春新書)/春日 太一

¥987
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モノは使ってこそ
モノは、今、この時に、必要とされるところへ
モノは、あるべきところにあって、美しい


新聞の広告で「断捨離」という言葉が目にはいり、「なんだろう?」と気になっていた。本屋に行った時にぱらぱらと立ち読みし、最初は単に片付けや整理整頓に関する内容かな、と思ったが少し読み進めてみるともう少し大きな概念を説明した内容であることがわかり買ってみた。
断捨離とは一言でいうと「モノの片付けを通して自分を知り、心の混沌を整理して人生を快適にする行動技術」。「断」=入ってくる要らないモノを断つ。「捨」=家にはびこるガラクタを捨てる。その結果訪れる状態が「離」=モノの執着から離れ、ゆとりある”自在”の空間にいる私。ということである。
とにかく本を読み終わった後、自分なりに理解した内容で実践してみた。まずは自分の部屋を見回すと、読み終えた本が山と積まれ、棚の上にもパソコンソフトの空き箱が何十個も積んである状態。机の引き出しは紙が詰まって開けるたびに苦労する有様。そこで手始めに机の引き出しから片づけてみた。
その際留意したのは以下の2点。まずはモノ主体ではなく、自分主体で考えるということ。例えばコンビニでもらったプラスティックのスプーン。スプーン主体で考えると、当然モノとしては使えるわけで、捨てるのは持ったいない。ただ自分主体で考えると、家には金属のスプーンがいっぱいあるわけで、要らないモノとなる。
もう1点はモノの要、不要を時間軸で考えるということ。いつか使うからとか、過去のある時期使っていたので愛着があるではなくて、今使うのか、ということを基準に選別する。
引き出しをきっかけとして、部屋全体で実行した結果、本はもう一度読みたいと思う本だけが本棚のいつでも手に取れる位置に背表紙を見せて並び、結果としてこのブログを書くきっかけにもなった。その他の本はブックオフで2万円以上で売ることができた。洋服箪笥も今着るお気に入りのモノだけが入っている。引き出しの奥からは、その時はもったいないから後で大切に使おうと思って結局忘れてしまっていた手帳カバーを見つけて、今使っている。
やっぱりモノは飾るものではなく、使うものである。今使う、お気に入りのものだけがシンプルに並んでいるのは、非常に気持ちのいいものである。まずは引き出しから始めてみることをオススメする。

新・片づけ術「断捨離」/やました ひでこ

¥1,260
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「信頼できる紹介者は広告の至高の目標」

これは面白かった。

Facebookとは何か、あるいはソーシャルメディアが今後広告にどの様に影響を与えるのか、などが、この本を読む事でよく理解する事ができた。ただこの本はFacebookの解説書ではない。

マーク・ザッカーバーグという若きカリスマを主人公に、Facebookがどの様にネット世界のメインプレイヤーとなっていったかをストーリーでわかりやすく示してくれるものである。

映画「ソーシャルネットワーク」も面白かったが、映画はどちらかというとFacebookの創成期の出来事をちょっとスキャンダラスに描いており、エンターテイメントの要素が強くですぎていた気がする。

こちらの本は著者のデビッド・カークパトリックがAppleやGoogleなどIT企業について多数書いてきているフォーチュン誌のベテラン記者ということもあり、内容におもみがかんじられた。この著者はザッカーバーグと会ったことがきっかけで、本書を書くために何とフリーになったということである。

話は変わるが、自分自身ソーシャルメディアについてキャッチUPしなくてはならないという思いが強く、最近電通の佐藤尚之氏やADKインタラクティブの横山隆治氏などが講師となった日本マーケティング協会主催の「ソーシャル時代の歩き方」というセミナーに行ってみた。

「SIPS」や「ツッコミ広告」「トリプルメディア」などの考え方を聞くにつれ、まだまだ学ぶことが多いと実感させられたところである。
この本を読んだらきっとフェイスブックを始めたくなるよ。かくいう私も始めました。

フェイスブック 若き天才の野望 (5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた)/デビッド・カークパトリック
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