ICT授業の講師の方が、熱心にパソコンの使い方とか、ネット・マナーの話などをされていて、授業の最後に、生徒に向かって「皆さんは、将来どんな仕事がしたいですか?」という問いかけをしました。
すると一人の男子生徒が「楽な仕事〜!」と発言。他の生徒も、俺も、私もと、賛同の声をあげます。
講師の方と、学校側の方の顔がみるみる引きつっていきました。
生徒にしてみたら、冗談だったのだと思いますが、大人の反応が、滑稽なほど過剰でした。
そこから、講師に変わり、学校の先生方が代わる代わる、仕事のやりがいやら、努力の大切さやら、最後には労働は国民の義務だ!みたいな話になっていました。
「楽な仕事がしたい」という、実は誰もが当たり前に考える事を、なぜこんなにも封印しようとするのでしょう。
楽な仕事は、あってはいけないんでしょうか?
仕事とは、辛くしんどい思いをしないと、ダメなものなのでしょうか?
そして、どうして「楽な仕事」を認めてはいけないのでしょうか?
コンピュータは仕事を楽にする?
コンピュータは仕事を楽にしてきました。
私たちプログラマも、仕事を楽にする事を目的に、システムを作ったりする事がよくあります。
例えば、携帯やスマホ。
これがない時は、帰社の連絡を、わざわざ公衆電話を探して行っていたのですが、今や電話も不要。スマホからメールでOKです。楽ですねー。
いちいち書類をFAXで送ったりしてましたが、今はメール添付で簡単、楽チンです。
今や仕事を楽にするためのモノやサービスに溢れています。
なのに、「楽な仕事」は、なぜダメなのでしょう?
それはきっと、仕事を楽にすることと、楽な仕事は関係が無いからでしょう。
仕事が楽になるということは、楽になった分の仕事が無くなった、不要になったということです。
例えば、昔しは事務の人が代わりにFAXを送ってくれたり、コピーをとってくれたり、お茶まで入れてくれたりしていました。
それは、事務の人には悪いですが、簡単で楽な仕事です。
それが無くなったのです。メール添付や、コピー機のプリント機能や、コーヒーメーカーに取って代わられたのです。
無くなる仕事が増えるという宿命
つまり、そういう事なんですね。
楽な仕事は、無くなっていくのです。
需要が無くなった仕事は、無くなります。
産業革命以降、単純な労働は機械化されてきました。
機械化する事で生産性を向上させ、より小さな労働力で、より大きな収益を上げる事で、企業は成長してきました。
その象徴的な存在が、ITビジネスで、昨今では、商品やサービスを提供するにあたって、直接的な労働力を必要としない、メルカリやUberなどのプラットフォーム・ビジネスが大きな成長を遂げるようになっています。
可能な限り、労働を排除する事で、大きな利益を得ようとする考えは、人間社会の未来を考える上で、良い考えかどうかは別にして、ビジネスの世界では大いに肯定される考えで、多くの企業は多かれ少なかれ、このような考え方を持っています。
子どもには、すぐに機械化されてしまうような仕事を勧めることはできない。
という考えから、大人は「楽な仕事」に否定的なのではないでしょうか?
しかし、経験や技能を要する仕事だから、将来も安心できるという事はありません。
間も無く、A.I、人工知能が私たちの社会で稼働し始めます。
A.Iは、人間にしかできないと言われる、知的創造活動にも確実に進出してきます。進出できない仕事などありません。
つまり、絶対に無くならない仕事というものが、無くなるのです。
やがてどのような社会が訪れるのか、怖いような、楽しみなような。いずれにしろ、子どもたちはその未知の社会で生き、働くことになります。
私たちの大人は、そんな子どもたちに対し、人生の道しるべになる言葉を、やがて失ってしまいます。時間の問題です。
教育に携わる者は、まず、このような社会の変化に対して、どのような考えを持つのか。そこを明らかにしなければ、子どもたちの道しるべを示すことができないのです。