今期を終えると、10年間続けてきた事になります。
10年は、長いようで、短いものですね。あっと言う間でした。
フリーランスのプログラマとして、中小企業の業務システムや、パッケージソフトなどを一人で16年間、作り続けた後、会社を設立し、そこからはプログラミングから離れ、営業と管理と経営をやってきました。
その中では、やはりスタッフと一緒に何かを成し遂げるという事が出てきます。それが基本的な仕事の姿となってきます。そうすると、気づく事があります。
「なぜ人と言うのは、こうもそれぞれ異なるのだろう?」
と言うことです。
当たり前と言えば当たり前なのですが、本当に不思議だなと思うことしきりでした。
特に、ずっとピンで仕事をしてきた私には、その事実がとても新鮮で、また大きな驚きでした。
人をタイプで分類してみようと思った事がありました。
しかし、いくら分類してみても、一つの分類に人は収まりません。
皆それぞれに特徴があって、
皆変わっています。
「普通の人」というのを見た事がありません。
なぜ、人はそれぞれにこれほど異なるのでしょう?
いえ、おそらく、異なるから存在する、存在できていると考えるべきなのかもしれません。
ヒトの多様性が、現在の文明を構築し、地球を席巻する存在にしているとするならば、文明はなぜ、多様性を必要とするのか?という疑問につながります。
多様性の試みは、特別な一人を産むためにあるのではないでしょうか?
突出した能力を持つ人が居ます。その人が誕生するための条件というものは、どうも特にないようです。
ならば、突出した能力を持つ人が出現する確率に掛けて、とにかく、やみくもに、多様性の縦横を広げようとする必要があります。
この試みは、必ず多数の「エラー」を生みます。
人類はエラーの集まりであり、その認識のないまま、人は生きているのでしょう。突出した能力を持つ人以外は、全員「エラー」なのです。
そのように考えてみますかね。
私もエラー。
大好きなあの人もエラー。
どうしても馬が合わない、あの人もエラー。
上司もエラー。
部下もエラー。
社長もエラー。
自分と考えや行動が違っていて、なかなか理解できないでいる相手も、自分と同じエラーだと思うと、なんだか愛おしくなるというか、不思議な仲間意識が芽生えはしないでしょうか?
会社を10年近く経営してきて、最近よく思うのは、そんな事です。
人を活かすも殺すも、経営者次第。身に染みます。