そこはうす暗く、霧がかかっていた。
知っているはずの場所なのに、どこだかわからない。
ここはどこだ?
……ゴゴゴ……ゴゴゴ…
遠くで風がうなっている。
その風の音の合間から微かに、微かに別の音が聞こえる。
……や……や…
俺はその声がするほうに足を向けた。
……ボ……や、……ボ…ウ……や
声は確かに聞こえた。
だが、聞き取れない。
霧で湿った足元に気をつけながら、俺は小高い丘を登った。
……ぼ…う……や、……ぼう…や……
丘を登り切ったところに女の人が立っていた。
……坊や、……坊や…
風の中で微かに聞こえていたのはこの声だった。
女の人が「坊や、坊や」と叫んでいた。
俺はその人がママだとわかった。
ウェーブのかかった綺麗な髪、仕立てのよい白いブラウス、
足首が隠れるほどのロングスカート。
後姿からでもその人の美しさがわかった。
俺は夢中で声を掛けた。
「ママ、ママ、僕だよ。ウォルターだよ!」
叫びながら、俺はその人のそばに行こうと走った。
懸命に走った。
なのに、ちっとも前に進まない。
「ママ、ママ、こっちを向いて。
僕のママでしょ?僕だよ、ウォルターだよ。」
心ははやるものの何故か足は思い通りに動かない。
「ねえ、ママ、ずっと待っていたんだよ。
なんで迎えに来てくれなかったの?
ママ!ママ!」
霧の中のその人は今にも消え入りそうだった。
そうして、ゆっくり振り返った。
クレオール特有の明るい肌、ほお骨が高く、鼻筋のとおった美しい顔、漆黒の髪、
全てが美しかった。なのに、その眼は哀しみにあふれていた。
「どうしたの?ママ、哀しいの?
僕だよ、やっと会えたんだよ!」
その女の人は哀しげに俺の顔を見つめたまま、長いこと口を利かなかった。
そして、ゆっくりと首を横に振った。
「……あなたはどこの子?
私が探している坊やはね、ほんの赤ん坊なの。
生れてまもなく父親に連れて行かれたまま生き別れになったの。
だから、こうして探しているのよ。
ああ、一体どこにいるのかしら…。
だからね、私の坊やはあなたのような大きい子じゃないの。」
その言葉は俺を黙らせるのに十分だった。、
そして、その女の人はとどめの言葉を放った。
「……坊やの名前、坊やの名前はね、マリオンというの。
私がつけたのよ。いい名前でしょ?
ごめんなさいね、ウォルターじゃないのよ。
あなたもお母さんに会えればいいわね。」
そういうと彼女は、霧の中にゆっくりと消えていった。
「待って!行かないで、ママ!
僕がそのマリオンだよ。大きくなったんだよ!
ウォルターっていうのはダッドが付けたんだ。
だから、行かないで!」
叫びながら、俺は泣いていた。
どんなに叫んでも、どんなに追いつこうとしても彼女には追いつけない。
足はまるで金縛りにあったように動けない。
すると、後ろから声がした。
「おい、また、言いつけを守らなかったな!
畑仕事を手伝えと言っただろう!」
振り向くと、怖い顔をしたおじいさんがいた。
パァパだった。
おじいさんはしつけに厳しい怖い人だった。
言いつけを守らないとお仕置きだといって鞭でぶたれた。
「さあ、手を出せ。出すんだ。」
そう言って、手の甲に鞭を喰らわせた。
「嫌だよ、嫌だよ。」
「いや、ダメだ。お前はいつも嘘をつく。
お前の父親もダメな男だった。お前もそうなのか?ああ、なりたいか?
刑務所に行きたいか?」
……やめて、やめてよ。お願いだから。
「……ウォルター!お前って奴は、俺が気に入らないのか?」
声が変わった。俺は思わず顔を上げた。すると、そこにはパァパじゃなく、ルイスが立っていた。
ああ…、夢か。どれくらい時間が経ったろう。シャツが汗でぐっしょり濡れていた。俺は泣いていたんだ。また、嫌な夢を見ちまった。
そうだ、ルイスの代りを探さなきゃならない。だが、一体誰がいる?ルイスの馬鹿野郎。何も抜けるこたぁないだろうに。
Little Walter&The Jukeの音楽活動は申し分なかったが、バンドの運営方法には問題があった。積りに積もった不満が爆発したのは、1954年1月、彼らが西海岸にいた時だった。当時のギャラは、最低保証金+客数×歩合で計算されていた。客が少なくても最低賃金は保証されていたから、客数が多ければ多いほどパフォーマーの儲けになるわけだが、正当な額を渡そうとしない悪どい連中も珍しくなかった。
西海岸のロード中もそうだった。ルイスとフレッドがたまたまプロモーターたちが悪巧みの相談しているところに行きあったおかげで未然に防ぐことができた。
そうでなければ、Little Walterは900ドルではなく、その3分の1の300ドルを握らせていたに違いない。二人は、感謝されることはあっても無下に扱われるいわれはひとつもなかった。なのに、Littleが彼らに支払ったのはたったの10ドルだけだった。これにはさすがのルイスも頭にきた。
「おい、ウォルター!
お前って奴は俺たちが嫌いなのか?
いや、お前って奴は、俺たちだけじゃなく、どんな奴も気に食わないんだろうな。
つまり、お前には俺って人間は必要ないってわけだ。」
「どういう意味だ?」
「俺たちは、お前がもらいそこなうとこだった900ドルをものにしてやったんだぜ。
なのに、お前って奴は、たった10ドルしかよこしやがらない。
きっと、お前は、その10ドルだって取り上げるんだろ?
シカゴに戻ったら、次のギタリストを探すんだな。
俺は、俺という人間をちゃんと評価してくれる連中とやる。
これは最後通告だ。わかったな。」
そして、言葉通りルイスはバンドから離れていった。
ルイス脱退後、後継者を見つけるのは容易ではなかった。それはLittle Walterと他の連中との考え方の違いだった。マディ・ウォーターズなら上手くやっていたろう。マディはどんな連中とやっても給与水準にみあった金額を渡していたから、もめることはなかった。
では、Little Walterはどうか。Littleがバックバンドに求めるのは、自分のサウンドを表現できる一流のミュージシャンだった。しかし、自分よりも格下だと思えば、ギャラをほとんど渡さなかった。この扱いに不満を持つのは当たり前だ。彼らは音楽的には格下かもしれないが、立派にバンドリーダーとして活躍できる力量を持っていたからだ。
では、Little Walterという人間はひどい吝嗇だったかといえば、そうでもない。気が向けば酒場にいる全員に奢ってみせたり、高級な衣装を突然プレゼントしたり、気前の良さも大いに発揮している。そのおこぼれを頂戴して、良い目を見た者は多かった。
ただ音楽仲間に対しては妥協をしなかった。彼が一目置くのは、確固とした自分のスタイルを持つアーティストだけだった。それ以外は、全て小器用に楽器が弾けるミュージシャンでしかなかった。彼の基準でいえば、ルイスも一流ではあるが、決してアーティストではなかったのだ。だから、ギャラもそれに見合った額しか渡さなかった。それが10ドルだった。だからこそルイスは腹を立てたのだ。
……俺にはLittleほどの才能がない。
ルイスもこのことはよくわかっていた。だが、いくらバックバンドでもプライドはある。それをLittleはコケにした。ルイスの最も触れてほしくないところを見事に突いた。結果、ルイスは出ていった。マディほどの大人ならこのあたりの機微がわかるのだが、いかんせんLittleは若いながら人生の大半をストリートで過ごした人間だったから、努力をしない者には厳しかった。
彼が才能を開花させたのはやはり努力を続けたからである。誰もしたことがないことをやってのけたのは、絶えず音楽のことを考えていたからだ。他の連中が遊んでいる間に、思いついたフレーズを封筒に走り書きすることはよくあったし、新しい曲を試しているところを見られるのを嫌がった。
Little Walterにはストリートで培ったプライドというものがあった。
……俺は同じことは二度しない。
だが、バックはどうだ?毎夜、同じことばかり演っている。
マディのところならそれでいいだろうが、俺は違う。
思いついたフレーズを試し、気の利いたカッティングを入れ、
客を半狂乱にさせる、これが俺のやり方だ。
ルイスが文句言うのが俺にはわからない。
食費も部屋代もガソリン代も俺が出してやってる。
酒代は店持ちだし、後は遊ぶ金くらいのもんだ。
俺が毎日、頭を使っている間、連中は何してる?
いぎたなく寝ているか、博打をしているかだろう。
満杯の客を前にしていい気持になれるのも俺がいるからだ。
あいつ一人で客が呼べるか?
勝手にしろ。他の奴を当たる。
だが、ルイスから事情を聞いていた他の音楽仲間はこぞってLittleの誘いを断った。ロードに出て一日たった25ドルでは割に合わなかったからだ。※画像はフロイド・ジョーンズ
フロイド・ジョーンズも誘われた一人だった。
「……ウォルターか。ルイスに逃げられた後、
俺にどうかって誘いにきたけど、断ったよ。考えてもみな。
あいつは、日に375ドルをものにしても仲間にくれてやるのはたったの25ドルさ。
もちろん、ロードでの部屋代だの、運搬費だの、食費なんかを払ってたさ。
それでも仲間に25ドルはなかろう?
俺たちは、奴の車と運搬の車の運転なんぞも含めて面倒みなきゃならんのさ。
だから、あいつにこう言ってやったのさ。
『お前は週に2.3回だけの仕事だろう。
だが、お前のバックをやる俺たちは、それだけじゃないんだぜ。
自分のバンドの面倒をみなきゃならんし、誰もいなくてもシカゴの家の家賃も
光熱費も払わなきゃならんのさ。
だから、25ドルじゃ割にあわねえのさ。』
『そうだよな。でも、俺はあんたの面倒をみるつもりでいるよ。』
『じゃ、衣装はどうなんだよ?散髪は?ほら、どうなんだよ?』
『……そうか、そうだな。あんたもバンドを持ってるんだよな。
わかったよ、他の奴を当たってみるよ。』
と、まぁ、ウォルターはそう言って諦めたってわけさ。」
ルイスの後釜が決まるまでの苦労を弟のデイブが語っている。※画像はデイブ・マイヤーズ
「兄貴はもうウンザリだって言って出て行ったんですよ。僕はもう少しいましたけどね。でも、ルイスの後が決まるまではたった3人でロードに出たことだってあるんです。こんな状態を続けるなんてできやしませんよ。
これはウォルターが一番感じてたんじゃないかな。シカゴに戻るとロバート・JR・ロックウッドと初めてセッションをしたんです。フレッドと僕とで懸命に彼がやりやすいようにお膳立てしたんですよ。それがロバートにわかったかどうかは知りませんけどね。」
デイブもフレッドもロバートは初対面だったが、ロバートが加わったのには理由がある。Littleが頼んだのだ。以下は。1955年のロバートのインタビューからの抜粋である。
「ウォルターのことはほんの子供の頃から知っていたせいで、
あいつは私のことをある意味父親のように思っていたんでしょう。
ルイスが脱退したことは知ってました。
ある日、あいつが私のところに来て、涙を流しながら頼むんですよ。
『お願いします。どうか俺と一緒にやってください』ってね。
まあ、実のところ、私にはハープに対してこだわりはなかったし、
かといって好きってわけでもなかった。
だから、あいつは私にとって初めて組んだハーピストってわけですよ。
それで、こう言ってやりました。
『オーケー、わかった。
他の人間が見つかるまではやってやるよ。
だが、俺にしちゃ、数年を無駄にするってことだ。
高くつくぜ。』ってね。
ロバートのこの発言に疑問を持たれる方も多いと思う。それは、Littleが子供の頃、すでにロバートがハープのライス・ミラーと共にユニットを組んで演奏していからだ。彼の言う『正真正銘初』というのは、レコーディングも含めて真面目に向き合ったという意味ではないだろうか。
そして、ルイスの後をロバートが継ぎ、デイブは以前と同じようにベースラインを弾いた。
1954年2月22日、Walterがユニバーサルスタジオに再び戻ってきた。この日に録音したのは、
"Come Back Baby" "Rocker""Oh, Baby" バックはデイブ、フレッド、そして、ロバートである。
では、最後にLittle Walterの魅力をあますことなく伝えているRockerをお聴きください。
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