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抗がん剤ってどんなものなの?

今回は抗がん剤についてお話しします。
抗がん剤は字のとおり、『がんの増殖を抑える』ことを目的にした薬剤で、
私に投与されたのは5-FU(フルオロウラシル)と呼ばれるものです。
※画像は5-FUのイラスト

『おくすり110番』によると、『がん細胞の核酸代謝に作用して増殖を抑制する為、
代謝拮抗薬に分類されます。胃がん、大腸がんに一般的に用いられる他、
乳がん、子宮頸がんにも使われるポピュラーな抗がん剤』だそうです。

5-FUの副作用は、吐き気、嘔吐、食欲不振、白血球減少、味覚障害、疲労感、
皮膚の色素沈着、口内炎、脱毛などがあります。
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抗がん剤ときいてまず思い浮かぶ副作用がひどい吐き気と脱毛ですが、
最近はそれほどでもありません。
特に吐き気に関しては、吐き気を抑える『イメンドカプセル』があります。
上の画像がそれですが、新薬とあって結構高い!
とはいえ、これがあるとないとでは大違いですから仕方ありません。

外来抗がん剤投与の半日

では、外来の抗がん剤投与について私の場合です。
1.採血(白血球数、その他を調べるため)結果が出るまで小一時間待ち。
2.リンデロン錠(抗炎症剤)・パリエット錠(胃腸薬)・イメンドカプセル(吐き気予防)
などを点滴前に服用
3.いよいよ点滴開始:5種類
・デキサート注射液6.6㎎(抗炎症剤)×2= 2ml
・アロキシ静注0.75㎎(鎮吐剤)×1= 5ml
・生理食塩水 100ml
5-FU 250㎎(抗がん剤)
・生理食塩水 100ml
エビルビシン塩酸塩注射用50㎎(抗がん剤)×2 
・生理食塩水 350ml
注射用エンドキサン(抗がん剤)500㎎×2
・生理食塩水 100ml
4.約2時間後に終了

抗がん剤としては3種類、その他の薬剤は抗炎症剤や鎮吐剤です。
これらをスムーズに体内に流すために生食(生理食塩水)が使われます。
外来の処置室の椅子は長時間座っていても疲れない豪華椅子で、
退屈しないようにTVやDVDを観ることもできます。
でも、大抵は寝てしまうのですが…。
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途中、トイレに行く場合は、点滴をしたままガラガラと押しながら
用を足します。結構、面倒ですが、生理現象ですから仕方ありません。

さて、外来の抗がん剤投与は、まず『採血』からです。
ところが、なかなか検査結果が出ない。必ず小一時間ほど待つことになります。
本を読んだり、コーヒーを飲んだり、散歩したり、
とにかく結果が出るまで待つのですが、これがいつも上手くいくとは限らないのです。

せっかく病院まで来たのに、白血球数が上がらず、
そのまま帰宅ということも珍しくありません。
私の場合、最初の1月から3月までの計4回は一度も帰宅命令がありませんでした。
これはラッキーでした。

がん治療が始まれば、何かといえば採血です。
最初こそ簡単に静脈注射ができた私でしたが、回を重ねるごとに
血管が弱り、細くなっていきます。
免疫力が落ちるので血管の回復もおぼつかなくなるのです。

叩いたり、温めたり、しまいには手の甲に注射したり、痛みが増していきます。
これは私だけではなく、がん治療を行っている方なら誰にもあることです。

ですが、当時は、何もかもが初めてで、ほとんど物見遊山気分でした。
というのもすぐに治ると思っていたからです。
本当はそんなことなかったのですがね。


治療の基本は『病を知る』ことにあり
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上のバッチは、『乳がん看護認定看護師』のものです。
認定看護師、専門看護師制度は1997年に開始されました。
看護師のブログ『コノミの部屋』によると乳がんの認定制度は2006年に
始まり、2014年度現在では、全国に200人ほどいらっしゃるそうです。

全国で200人ですからかなり少ないにもかかわらず、
私が通う病院にはいらっしゃったのです。
その看護師さんが声をかけてきたのは、2014年1月初旬、2度目の通院の時です。

『細胞診』という病巣の中心部に穴を空け、
そこからストローのようなものを入れ、悪性腫瘍の細胞を吸い取る簡単な手術の後でした。

手術後、気分が悪くなった私は別室で横になっていました。
そこへ主治医からの依頼を受けて、彼女がやってきたのです。
容態など様々なことを尋ねられた後、こんなことを言われました。
『これから治療を受ける際にあまり病気のことは調べないでください。』

要は余計な心配をしてはいけないからという配慮だったのでしょうが、
大病をするのが初めてだった私は素直にその言葉に従いました。

しかし、これは大失敗でした。
治療は、『病気を理解する』ことから始まります。
この時、こんなアドバイスを受けなければ、私は手術に前向きに臨み、
無駄な時間を過ごすこともなく、病気と対峙していたに違いありません。

1年前の私は、炎症性乳がんの恐ろしさを知らず、
すぐに治るものと思い込んでいたのです。
ですから、手術に対して懐疑的でしたし、手術するにしても
温存手術が可能ではないかと愚かなことばかり考えていたのです。

認定看護師なら、命にかかわる病であればあるほど、
『病気を知る』ことの重大さを患者に伝えるべきではないでしょうか?

例えば、抗がん剤を『マスタードガス』として批判するような
いたずらに不安をあおる情報に対してしっかりした説明をするなどです。
抗がん剤とマスタードガスは分子配列が似ているだけで同じモノではありません。

乳がん看護認定看護師さんなら、アドバイスすべきはこういうことなのです。
あの時、しっかり知らせてくれていれば…と今でも悔やまれます。
ですから、皆さんには私のような愚かな過ちはせずに、
しっかり病と対峙していただきたいと思っています。


抗がん剤の功罪
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さて、最初の抗がん剤5-FU計4回は、うまい具合に私の身体に合いましたが、
ここで問題になるのが抗がん剤の攻撃が『がん細胞だけではない』ことです。
免疫細胞である白血球の中のNK細胞(ナチュラルキラー細胞)まで攻撃してしまい、
身体の回復力を阻害してしまうのです。

抗がん剤を長期間にわたり投与し続けると、免疫細胞のほうが
先に参ってしまい、治療ができなくなることがあります。
これが問題なのです。

何もできない期間が長引けば長引くほど、がん細胞は増殖します。
治療しているはずなのに放置しているのと同じ。
逆にがん細胞を増やす結果に他ならないというジレンマに
私を含めて多くの人が直面しています。

患者のみならず医療関係者も手をこまねいて見ているしかないという
状態は大変つらいものです。


血液免疫療法が注目されるのは?

この問題を解決するために今、注目を浴びているのが
『血液免疫療法』です。
簡単にいえば、血液中の白血球を培養し、数を増やしてから
再び体内に戻すことで、抗がん剤の欠点を補う治療法です。

抗がん剤と併用してこそ本来の力を発揮するのですが、
健康保険の対象ではないので、かなり症状が進んでから試みるので、
思った通りの結果にならないのが実情です。
健康保険でカバーすることになれば、一挙に広まり、完治する人も増えることでしょう。

現在、私もこの免疫療法を利用していますが、
これについては別の機会に書かせていただきます。


抗がん剤を使ってみたら
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抗がん剤投与後の数日は身体がだるく、急を要しない限り、自宅で寝たり、起きたり
TVや音楽を聴きながら、まったり過ごします。
5-FUは4週間に1度ですが、前半の2週間はがん細胞攻撃期間、
後半の2週間は白血球回復期間になります。

最初は効いてるのか、効いてないのか、よくわかりませんでした。
右乳房は相変わらず固いし、本当にこれで効くのかな…と不安にもなりました。
しかし、点滴から1週間も過ぎると、だるさも解消され、
天気が良い日などは散歩でもしようかという気分になってきました。

「薬が効いてる」とはっきり感じたのは、眠っている時に後頭部が急にのぼせ、
寝汗が出た後です。これは個人差があるでしょうから、全ての人にあてはまるわけでは
ありませんが、とにかく私の場合は、寝汗をかいた後は、病巣が明らかに柔らかくなり、
少しづつ小さくなっているのを感じることができたのです。


脱毛ってどうなの?

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そのうちに副作用もぼちぼち出てきました。
『脱毛』です。

最初の検査入院後、転移が認められなかったことを報告しに
主治医とその上司である副病院長のお二人が病室に来られたときのことです。
この副病院長は、ほとんど頭髪がないため年齢の割にかなりのお年に見えたのです。

その彼が何度も口にするセリフは、
「ウィッグを作りなさい。」でした。
入院前からもずっとこればかりなのです。

よほど言うものだから、ひょっとして先生がかぶりたいのでは…と
先生がウィッグをかぶった姿を想像して、一人で笑うほどでした。

まあ、これも患者さんの関心度が高いせいでしょうが、
私は特に気にしませんでした。一度、丸坊主になってみたかったし、
それに永久に生えてこないわけじゃありません。

抗がん剤の投与をやめれば生えてきます。
毛根からリフレッシュしたと考えれば、スッキリします。
1万円前後のおしゃれウィッグで治療期間を楽しむのもいいじゃありませんか。

どこまで脱毛するかというと、やはり頭髪が最も早く、治療が長引けば、
眉毛、まつ毛、体毛に至るまで抜けるそうですが、私の場合は頭髪だけでした。
ものの3ヶ月程度だったからでしょう。

今はすっかり生え揃い、先日、サロンでカットしてきたばかりです。
入院する前からショートにしていたので、イメチェンという感じではなかったですね。

アドバイスとして治療前にショートカットにしておくことくらいです。
ロングだと風呂場の掃除が大変だからです。
あとは、帽子をかぶることくらい。

そうそう、医療用ウィッグはまだ医療費控除の対象にはなっていないし、
それにかなり高額なので、安くて遊び心があるおしゃれウィッグがお薦めです。

では次回は、『急転直下、計算どおりにはいかないガン治療』です。
お楽しみに。
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「君はLittle Walterじゃないか?私は君の大ファンなんだよ。」
目の前に現れた屈強な男がLittleに声をかけてきた。彼の名はエザード・チャールズ。戦前、戦後にかけて活躍した元黒人ボクサーで、1949年のヘビー級世界チャンピオンだ。
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戦績は119戦93勝25敗1引き分け内52戦KO勝ち。1年の兵役を経て、世界チャンピオンになった。その偉業は記念切手まで発売されるほどだったというから、文字どおりブラックヒーローだった。

1953年10月のある夜、シカゴに遊びにやってきた姉のリリアンを伴い、全身純白で統一したLittle Walterはシカゴの名門クラブにいた。神様のような英雄にいきなり握手を求められたのだから、さすがのLittleも感激のあまり言葉を失った。画像はその時のものだ。

「さあ、お二人、こちらを向いて笑ってください。」
クラブお抱えフォトグラファーが声を掛けた。
「フラッシュ焚きますよ。」
さすがのLittleも笑顔を作る暇もなかった。
そばにいたリリアンは驚いた。
「あの子ったら…あんな素晴らしい人に声を掛けてもらうなんて…。本当にスターになったのね。」

zephr1まさに絶頂の極みである。1953年初夏、2週間程度の入院をしたことがあったほかは順調だった。この入院は暴力沙汰ではなく、ちょっとした遊びから起きた事故だった。

買ったばかりのLittleの中古のリンカーンゼファーは目立った。高級車だったからではない。ドアがなかったからだ。エアコンがなかった当時、シカゴは初夏とはいえ暑かった。少しでも暑さをしのぐための苦肉の策だったが、地元の警官を怒らせるには十分だった。※画像は普通のリンカーンゼファー

「おい、そのふざけた車は何だ!
そんなもんで表通りを走るんじゃねえ。
二度とそんな車で戻ってくるなよ!」

traffic-island1警官たちに目を付けられていたのはわかっていたが、Littleはまたその車でメイン道路を疾走した。この時は、ビッグ・ウォルターと一緒だった。チャイナタウンの近くまで来た時に警官の姿が目に入った。

小言はまっぴらとばかりハンドルを切ったが、勢い余って「島」と呼ばれる中央分離帯に乗り上げ、爆音を立てながら横転した。

ビッグ・ウォルターは、Littleが死んだと思い、Littleもビッグが死んだと思ったが、二人はサッサっと車から飛び出し、大急ぎで車を元に戻して、アッという間に逃げ去った。芸能ニュースでは入院2週間とされていたが、ほんの数日で病院から逃げ出したに違いない。※画像はシカゴの中央分離帯

fred1Little Walterの将来は前途洋洋に見えた。だが、53年の10月から約1ヶ月半ほどシカゴに滞在した姉のリリアンは、弟の変貌ぶりに少なからず驚かされた。後年、Littleのイメージとなる『粗暴』で『粗野』な一面である。

母親亡き後、10歳ほど年の違う姉リリアンを母のごとく慕うLittleは、リリアンをことのほか大切にした。その思いが高じ、姉を行きつけのクラブに招いた時のLittleの態度は尋常ではなかった。

「いいか、俺の姉貴をじろじろ見るんじゃねえぞ。
姉貴は育ちがいいんだ。
だから、お前らなんぞが見ちゃいけねえ!
いいか、わかったな。」

そう息巻くLittleはまだ23歳の若僧だったが、誰も口答えはしなかった。飛ぶ鳥を落とす勢いのヒットメーカーだったし、何より粗暴だったからだ。だが、気の毒なのはリリアンだった。せっかくシカゴに来たというのに彼女に話しかける者はなく、ただ店内を眺めるだけだった。弟が自分を大切にしているのはわかったが、これはやり過ぎだと思った。

しかし、家庭内ではとても家族を大切にした。夜の仕事だから昼間は眠っていることが多かったが、リリアンがいる間、Littleは一緒に住んでいた恋人のエラと共に手料理を振る舞ったり、3人で外食したり、リリアンがシカゴにいる間、面倒をよくみた。

jacob2彼女が滞在中、こんなこともあった。バンド仲間のフレッド・ビロウとLittleが些細なことでもめ、とうとうクラブ内で殴り合いをはじめたのだ。フレッドは大男だったから、勝負は目に見えていたと誰もが思うだろうが、結果は逆だった。

小柄なLittleは、フレッドに身体を持ち上げられながらもアゴにパンチを喰らわせ、リリアンの目の前でフレッドを病院送りにした。だが、そんなことがあってもエイシーズはLittleのバックを続けた。1954年の年が明けるまでは……。

1953年から54年の年末年始は、忙しかった。Littleの"You're So Fine"とマディ・ウォーターズの"I'm Your Hoochie Coochie Man"が同時にトップ10入りを果たしたからだ。Little Walter脱退後、一時低迷していたマディもウィリー・ディクソンとLittleのハープによって息を吹き返した。以後、この曲はマディ定番の一曲になる。

hoochie1蟻の一穴という言葉がある。『どんなに堅牢な堤でも小さな蟻が開けた穴から破滅が始まる』という譬えだが、Little Walterの状況はまさにそれだった。気づかないのは本人だけ…だが、確実に足元は脆くなっていた。それは音楽だけではなく私生活にも忍び寄っていた。

『……さよなら、Little。
私、もう疲れたの。』

冷蔵庫の扉にマグネットで押さえられたメモ。Littleと一緒に暮らしていたエラ・メイ・テイラーの文字だった。彼女はリリアンを見送った後、Littleのロード中に出て行った。

「…なんでー、ちきしょう!」

ロードから戻ったLittleを待っていたのはうす暗いキッチンだけだった。手にはエラへのプレゼントを抱えていたが、それを受け取るエラはもういない。

Littleにはあちこちに女がいたが、エラは別だった。ただのラブメイトじゃなかった。彼なりに愛していたが、その思いは通じなかった。毎日、毎日、押しかけてくる熱狂的なファンや鳴りっぱなしの電話をあしらうのにエラは疲れ果てたのだ。

「…いいさ、女なんて…いくらだっているんだから。」

Littleはメモを掴むとくしゃくしゃにしてゴミ箱に放りこみ、ついでにドレスの入った箱も放りこんだ。
その時ふとリリアンと話し合ったことを思い出した。

『エラっていい娘さんね。ねえ、あんたたち結婚しないの?』
『なあ、姉ちゃん、俺には黙っていても寄ってくる女がたくさんいるんだぜ。
なぜ、一人に決めなきゃならない?
例えばさ、乳牛があたりにたくさんいるっていうのに、
その中からわざわざたった一頭だけの乳を搾るみたいなもんさ。
だから、俺は結婚なんて考えないのさ。』

…結婚してたら、エラは去かなかったかもしれない…。
いや、ダメだ、ダメだ。俺にはできない。
Blues with a Feeling
Blues with a Feeling
ハハハ…ざまあねえ、俺の歌じゃねえか。
いいさ、明日になったら忘れるさ…

feeling1確かにLittleはエラを愛していたが、結婚は考えていなかった。Littleの女性観は複雑だ。身体的にも精神的にも女性がいなければ一日たりとも過ごせないというのに、どこか女性を見下しているところがあった。それは幼い頃受けた心の傷のせいだろう。

Littleが選ぶのは若い女性だけではなかった。いや、むしろ年上の、それも母親に近い年齢の女性をことのほか好んだ。この性癖は無意識だが、まだ赤ん坊の時に生き別れになった母親への思慕であり、根深いマザーコンプレックスの表れではなかろうか。

それに反して、自分と母親とを離れ離れにした実父を憎んだ。母と再会してからは折り合いの悪かった義父を憎み、しつけに厳しかった祖父を憎んだ。Littleにとって女は、特に年上の女は、甘えられる存在だが、男は『闘うべき敵』でしかなかった。

『無口だが、女には優しく、男にはひどく愛想がない』これがLittle Walter像だが、このねじれた心情はスターになってからさらに増長される。天才ハーピストとして君臨し続けるには、常に新しいサウンドを求めなければならず、他者の追随を許すことができないからだ。したがって、Littleが安らぎを感じるのは女のところしかなかった。

彼が心を開くのはごく限られた男だけ、それも音楽的にも人間的にも信頼できる者だけだった。マディやビッグ・ビル・ブルンジ―、師匠のサニー・ボーイ・ウィリアムスン、ロバート・Jr・ロックウッド、そして、レナード・チェスくらいのもので、それ以外は敵だった。

こういった生き方しかできなかったのは、Littleが生涯『捨てられる』ことを怖れたからだ。だから、『女も捨てられる前に捨てる』これが彼の流儀である。同様に結婚しないのも自分が捨てられるのが怖かったからだ。

そう考えれば、Little Walterという天才が神からの祝福を受けながら、破滅の道をはからずも選んだ理由も見えてくる。

Little Walterは表面的には敬虔なクリスチャンではなかったが、アメリカ人の規範として心には常に神がいた。だが、母に捨てられたという傷が『自分は神にも愛されない』という不安となり、ひとつところに落着けない根なし草人生を選ばせ、言葉の代わりにハーモニカを選らばせた。

その結果、Little Walterという天才は、神の祝福を受けたわけだが、『その神もいずれ自分を捨てる。母のように。ならば、その前に自分を捨てよう』とどこかで思っていたのではないだろうか。そうでなければ好んで破滅の道を選ぶはずはない。彼の生き方をつぶさに見ていくとそんな気がしてならない。神に祝福されながらその神に背いた男、それがLittle Walterなのかもしれない。
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保険、入っていますか?

「生命保険」「医療保険」「傷害保険」「自動車保険」「火災保険」…
皆さんはいくつ保険に入っていらっしゃいますか?

心配があればあるほど保険の数も増えていくものですが、
是非、入っておきたいのが医療保険です。
何もなければよいのですが、不幸はある日突然やってきます。

昨日まで元気だったはずの私も突然のがん告知に一時は動揺しましたが、
女性専用の医療保険に入っていたおかげで随分助かりました。

ですが、ただひとつ失敗したのが「通院保障」です。
加入する際、細かいところまで確認しなかったせいですが、
これから医療保険に加入する、あるいは、乗り換を検討中の方には
是非、「日帰り入院・手術・放射線治療保障」などを含むものがお薦めです。

医療の進歩は日進月歩。数年前まで入院が義務付けられた治療が
外来受診でOKになることも決して珍しい話ではありません。

事実、数年前まで入院が必要だった「抗がん剤の投与」も
「細胞診(がん細胞の性質を見極める簡単な手術)」も外来でできるようになりました。
ただ問題は治療費です。
たとえ3割負担でも通院回数が増えれば治療費もかさみます。

例えば、抗がん剤投与は1回あたり約2万円前後はしますし、
MRI検査(磁気共鳴画像)やPET検査(陽電子放射断層撮影)となると
クレジットが使えるとはいえかなり高額です。
ですから、月々の保険料が多少高くなっても「通院保障」がお薦めです。

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「医療保険」か「がん保険」か?

さて、保険を選ぶ際、迷うのが「医療保険」か「がん保険」かです。
ここ数年、保険会社は「がん保険」の売り出しに熱心ですが、
実はこの保険、当たり前ですが、「がん」しか保障しません。
それに比べて医療保険はがんを含めた病気一般を網羅します。

確かに日本の死亡原因の第一位は「がん」ですが、
それ以外の病気にならない保障などどこにもありません。
ならば、医療保険を充実させればよいだけのことです。

もうひとつは「先進医療特約」の是非です。
これを売りにしている保険会社を多いのですが、実際はあまり利用価値はありません。

なぜなら、先進医療を行っている病院が全国的に少ないこと、
また、先進医療に指定されている病気になる確率が非常に低いからです。
ですが、わずかな金額(数100円程度)ですから付けておいても損はないでしょう。

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利用しよう「高額療養費制度」

もうひとつ利用していただきたいのが「高額療養費制度」です。
この制度は「所得や年齢に応じて高額療養費の自己負担額に上限を設ける」ものです。

2015年1月の改正によって、これまでの3区分から5区分に細分化されましたが、
いずれにしても治療が始まる前に地方自治体に申請しておけば、
どんなに月々の治療費が高額になっても上限以上は請求されないという
非常にありがたい制度です。

私の場合は、改正以前の区分Bでした。
計算方法は、以下のとおりです。
80,100円+(総医療費-267,000円)×1%
簡単に言えば、月8万円以上は請求されないということです。

例えば、A病院で5万円、B病院で5万円を支払った場合、一旦支払いますが、
3ヶ月以降に役所から通知が届き、過払い金が還付されるというわけです。
ちなみに歯科治療費は、この限りではないので注意が必要です。

申請はとても簡単です。
市役所で手続きすれば、6ヶ月有効のカードがその場で支給されますから
そのカードを毎月病院で保険証と一緒に見せるだけです。
更新手続きも同様です。

肝心なのは「事前に申請する」これだけです。
後から申請すると手続きがとても煩雑になり、
しかもなかなか還付されませんから必ず事前に申請しておきましょう。

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年間10万円超えたら医療費控除を申告しよう

医療保険、高額療養制度を利用してもまだ治療費が負担なら「医療費控除」があります。
医療費控除は世帯全体で医療費が10万円を超えた場合、確定申告ができます。
控除には、「治療費全般」以外に「交通費」や傷テープなどの「備品」も
含まれますからレシートや領収書も1年間分を保管しておきましょう。

1月から12月まで支払った医療費の計算も国税庁のエクセルフォームを
使えば、簡単に反映できます。

また、わざわざ税務署に行かなくてもe-taxを利用すれば、
受付期間内なら24時間いつでも送信可能です。
ただし、準備に多少費用がかかります。

まず、市役所で住民基本台帳カードを作らねばなりません。
カードにはパスポートと同等の身分証明書になる写真ありと写真なしの2種類があります。
その際、新規ならカード代500円と機能許可代500円の合計1000円が必要です。

申請して、その場で発行してくれる自治体と受理だけで発行は
別日になる自治体があるので、早めに作っておきましょう。

さあ、晴れてカードを手にしたら、すぐに送信できる!と思いきや
もうひとつすることがあります。カードリーダーの購入です。
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なんじゃ、そりゃ?と思われるでしょうが、
これを買わないと最寄りの税務署とあなたのパソコンとは繋がらないのです。
しかも結構高い!

カードリーダーには「非接触型」と「接触型」があり、
非接触型はe-tax以外に電子マネーの用途がありますが、
接触型は、文字どおりカードを挟み込んで読み取るだけです。
価格も接触型なら平均2000円前後、非接触型なら5000円以上するものがあります。
※画像は接触型

というわけでe-taxは事前準備や投資が必要ですが、居ながらにして申告ができるので便利です。
さて、気になる還付金の時期ですが、やはり早いです。
確認でき次第、メール等で連絡が入りますから、指定の口座に振り込んでもらうか、
郵便局等に受取に行くかを選ぶことができます。
一度支払ったお金が返ってくるのは嬉しいものです。

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「同意人」「保証人」身近に頼れる人はいますか?

「コンビニ、スマホがあれば大抵のことはできるし、別に『おひとりさま』でも構わない」
とお考えの方は男女ともに多いと思われますが、
病気や怪我などで入院という事態になるとそうもいきません。

MRI検査などは本人の同意だけで済みますが、手術や入院となると話は別です。
『親族の同意書』『支払の保証人』『手術前後の説明の同席』『手術の立ち合い』
などが求められます。

大抵は、親族一人で済みますが、手術する本人が高齢で、配偶者も高齢の場合は、
その子供の同席が求められます。理解力に不安があるからでしょう。

病院によっては「同意書がなければ手術できない」というところもあります。
しかし、実のところ、この「同意書」なるものに法的根拠はないのです。
『医療同意権』より)
ですから、本人さえ納得していれば手術は可能なのですが、
病院側との関係がまずくなることが考えられます。

では、なぜ医療機関はこの「同意書」にこだわるのでしょうか?
それは『医療訴訟を未然に防ぐ』為です。

同意書というものは、家族も本人も医療機関も納得した上で手術に臨んだという
いわば互いの『免罪符』のようなものと考えればよいでしょう。
ただ、既に書いたように『同意書』には法的根拠はありませんから、
サインしたとしても訴訟は可能です。

入院時の保証人も同様に法的根拠はないのですが、
やはり医療機関としてはもしもの場合を想定して「保証人」を求めます。
保証人がいない場合、入院を断るという病院は約3割にも上ります。
『つなごう医療中日新聞』2014年5月15日記事より


ことほど左様に病院というところは、親族のサインを欲しがるところなのです。
私の場合は幸いに親族が身近にいましたから、不自由はありませんでしたが、
同室の患者さんに「おひとりさま」がおられ、病院側と長時間に及ぶ話し合いを
されていたのを目の当たりにしました。

現在のように「おひとりさま」が増加状況にある以上、保証人や同意書のサインに
代るシステムを早急に講じる必要があると言わざるをえません。
「身元保証代行業」を行う民間業者がありますが、詐欺まがいの業者も多々あり、
玉石混交といった状態です。
やはり行政が主体となった信頼性の高い機関が必要ではないでしょうか。

いかがでしたか?
今回は入院、手術にまつわる金銭的な補てんと保証人等について解説いたしました。
次回は、抗がん剤に関する体験談を書かせていただきます。
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Inflammatory breast cancerとは『炎症性乳がん』のことです。
今、私が患っているのが、これです。

炎症性乳がんは、いわゆる皆さんがご存知の『乳がん』とは少し違います。
しこりはありませんが、皮膚が赤みを帯びたり、乳房が凹んだり、外観に変化が起こります。
これは脇のリンパ管にがん細胞がつまることで、皮膚に炎症が起こるからです。

さて、炎症性乳がんには、特徴が4つあります。
1.非常に珍しい特殊型であること
2.初期症状が『乳腺炎』と酷似していること
3.毒性が強く、増殖スピードが速いこと
4.いきなり『ステージⅢ』


この4点です。
では、どれくらい珍しいかというと、ある調査では全乳がんを100%するならば、
炎症性乳がんは1%ほどだそうです。
しかも初期症状は『乳腺炎』と酷似しているため、
ベテラン医師でも見分けるのは難しいと言われています。

私の場合も『乳腺炎』と診断されました。
ほとんどのケースが乳腺炎で終わるため、様子をみることにしたのは
医師としては当然の判断だったのでしょう。
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乳がんは比較的進行速度が遅いとされています。
発見からステージⅣまで10年ほどかかることもありますが、
炎症性だけでは別物です。異常に増殖力が高いのです。

しかし、本当に怖いのは『早期発見、早期治療』という
ピンクリボンの理念があてはまらないことです。
ステージⅢとは、『リンパ節にがんができる』状態ですから
炎症性乳がんにはステージ0もⅠもⅡもなく、確認された時点でステージⅢなのです。

一般に比較的若い世代でガンを患う人に対して、世間の認識は
『本人が不摂生していたのではないか?』『定期健診にも行っていなかったのではないか?』
などネガティブなイメージを持ちがちですが、本当にそうでしょうか?

私のように毎年欠かさずマンモグラフィー検診を受け、
ちょっとしんどくなるとすぐに病院に駆け込むような人間は
医者から言わせれば、『最も病気から縁遠いタイプ』のはずですが、
いくら気を付けていてもなるときはなります。
これは運命(さだめ)なのかもしれません。
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さて、皆さんは『心の声』というものを信じますか?
心の声、あるいは、身体の声というものです。

2013年9月の終わり、日課のウォーキングの途中で私は右胸にピリピリした、
痛みとも痒みともいえぬなんともいえないものを感じました。
しかし、こういった痛みは女性なら誰もが経験するものですから、
この時は格別気にすることはありませんでした。

ところが、風呂場で左右の胸の形が違うのを見た途端、心の声が叫びました。
『乳がんではないか』と…。
翌日、すぐに医院へと足を運びましたが、診断は『乳腺炎』。

心の声は「違う」と叫びましたが、数値に出ない以上、医師の言葉に従うほかはありません。
釈然としない私は、すぐに別の医師に相談しましたが、
「あの先生が言うなら間違いないよ。」と答えるだけでした。

そこで、これ以上、意見を訊いても今の段階ではムダだと悟った私は、
間違いなく『乳がん』とわかる数値が出るまで待つことにしたのです。
待つこと2ヶ月。右胸がまるでシリコンを入れたように固くなるまで待ちました。

そして、乳腺炎は立派な『乳がん』に進化しましたが、
誤算だったのは、それがただの乳がんではなかったことです。
医師の言葉を借りれば、「一番たちの悪いガン」だったのです。

まだ炎症性乳がんの正体を知らなかった私は、最初の診断で
見つけられなかった医師に対する不信と2ヶ月待った自分を責めました。

ですが、炎症性乳がんの初期症状を見分けるのはベテラン医師でも難しいと
知った今では、医師の判断が正しかったこと、そして、たとえ1ヶ月早く分かったとしても
治療にさほど変わりがなかったことも理解できます。

ただ、心の声は正しかったとこれだけは言えます。
治療を始めてからの私はこの後、何度も心の声を聴くことになるのです。
次回はどのような治療経過をたどったかを解説していきます。
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今や役者としてよく知られている石橋凌が再びシンガーとして活動するらしい。
ロッカーの頃を知る人間にとって、役者を始めたときの違和感が忘れられない。
役者としてはまだまだ未熟で、声も腹から出すことができず、
もがいていた彼を役者として仕込んだのは元妻の原田美枝子だった。

だが、石橋は妻以外の女性との間に子供を作り、原田とは離婚。
妻に不満があったわけでないだろうが、役者としては数段格上の原田に
いつも何かしらの引け目を感じていたに違いない。
そして、石橋は妻以外の女性に癒しを求めた。

そんな彼を当時の原田は理解できず、許すことができなかった。
石橋の行為を裏切りと感じ、その傷は愛するが故に言葉にならぬほど深かった。

事実、原田と別れた石橋が役者としてどんどん頭角を表すことに反し、
少女時代から様々な監督から薫陶を受け、鮮烈なイメージを観客に見せ続けていた
原田が以来、いまひとつ精彩を欠いているのはこれと無関係ではなかろう。

さて、石橋凌だけでなく年齢を重ねてから
復帰、復活、再結成を行なうことがよくみられる。
こういった傾向を一部には商業主義と非難する向きもあるが、
これはごく自然のことではないだろうか?

人はある年齢を超えると振りかえることが多くなる。
それも自分が最も輝いていた時代が自然と思い出される。
石橋凌はやはりシンガーだったのだろう。

KissやEaglesのように世界的人気を博したバンドには明暗がある。
名声も収入も手にしたが、メンバー間の軋轢は深くなり
失ったものも多かったはずだ。

二度と顔も見たくないと罵り合ったメンバーたちにも時は容赦なく過ぎていく。
良いことも悪いことも、いたわりあったことも憎みあったことも
全ては時が流していく。そして、愛しい思い出だけが残る。

誰にも美しい頃がある。それはスポットライトではなかったかもしれない。
けれど、自分が最も輝いたであろう時代に人は返る。
死が他人事ではなくなった今は彼らの気持がよくわかる。

近頃、10代の頃によく聴いていた音楽を聴き返すことが多くなったのも
そのせいかもしれない。
精神的に最も充足していた時代、それが10代だった。

他人との距離がうまく取れず、もがき苦しんでいた当時、
自分を救ってくれたのは音楽だった。
音楽がなければ、あの息苦しい数年間を生き抜けたかどうかはわからない。

『ガロ』を読み、ルー・リードの詩に心打たれ、
ブルースを聴き、レゲエに身体を揺らせ、
パンクに激しく呼応したあの頃、私は根なし草だった。

家に不満はないが、いつも何かしら焦燥感を感じていた私は、
毛穴から身体に入れるようにむさぼるように音楽を聴いた。
身体の芯からうち震えるような感動、まるで電気が走るような感覚、
そういう聴き方は10代特有のものなのだろう。
私にとって10代の時に聴いた音楽は、いつか輝いていた光だったのだ、

『それはスポットライトではない。』-1977年京大西部講堂にて浅川マキライブ。
この時はじめて渋谷毅と共演し、以来、良き理解者として関係は続いていく。
私はこのライブをラジオ番組で聴き、録音し、テープがのびるほど聴きこんだ。
そして、本物の彼女に会うまで20年以上かかった。

当時、マキさんはまだ30代半ばになるかならないかだったが、
すでに自分をババア扱いにして自虐ギャグを炸裂させていた。
このライブの印象はとても強く、大学に行くなら京都だと勝手に決めていた。


stef1


猫のステファニー、通称チュー君が
先週の火曜日に亡くなりました。
最期まで立派でした。
骨髄不全、白血病などを患いながらも
トイレも水も自分一人で行きました。

水だけしか受け付けなくなってからも外には必ず出かけました。
行きたい場所がちゃんとあり、しっかりした足取りで歩いていくのです。

近頃は若い黒猫がうろつくようになったので、
自分の縄張りが最後まで気になったのでしょう。

チューとの時間は濃密でした。
16年間、ケンカに病気と病院に行かない年はないというくらい
お世話になっていたチュー君でした。

世話がかかるほど可愛いと言いますが、本当です。
今も2匹の猫がいますが、やはりチュー君とは違います。

毎日毎日飽きもせず抱っこしてチューにキスしました。
そして、「大好きだよ。」と言い続けました。
あまりしつこくすると前足でガードをしてくるのですが…。

家族からは「甘やかし過ぎ。」ととがめられつつ、
最後まで甘やかし続け、一緒にいました。

1月13日火曜未明3時半ごろから呼吸のリズムが乱れてきました。
呼吸の合間にカチカチと音がして、時折り身体が震えるのです。
チューの身体を優しくなで続け、抱きしめました。
見える方の眼を少し開くのですが、見えているかどうかはわかりません。

静かな静かな呼吸が続きます。
消え入りそうですが、静かな呼吸です。
これが2時間ほど続きました。

そして、突然前足を伸ばし、私の顔に圧しつけました。
「クウ」という声が出ました。

また、呼吸が戻ります。
でも、その呼吸はもっと静かなものでした。
静かに、静かに、やがて、そのまま静かに息をするのをやめたのです。
これが早朝5時45分でした。

乱れることも騒ぐこともなく、まことに見事な
その死にざまは一種荘厳な気さえしたものです。
猫ながら、いや、猫だからこそ立派だったのでしょう。
人間ではこうはいきません。

その死は一瞬でした。
息を吐いて吸って、吐いて、
そのまま二度と吸うことなくチューの魂は抜けていきました。

思い通りにいかぬ肉体を離れたチューの魂は
宙を舞い、嬉しそうに飛んでいったのでしょう。
もう重い身体がないのですから。
チュー君、16年間ありがとう。

そして、もう一人たった44歳で突然亡くなった
シンガーOrigaに哀悼の意を捧げます。
ロシア美人そのままのOrigaへ。

nakamuramari1


何気にTVをそのままして用事をしていると、
聞き覚えのある歌声が……

…あッ、これって中村まりさんじゃん!
しかも〝The Cuckoo Bird”なんで?

とTVを見ると新ドラマ『全力離婚相談』の挿入歌。
これがかなり長い。ドラマの最後も入るので圧巻。

これだけでドラマに興味のない人も惹きつけられたでしょうね。
ちゃんとした主題歌もあるのだけど、
まりさんの歌が鮮烈すぎて全くかすんでしまった。

まりさん、これでメジャーの仲間入りかな。
NHKに一度起用されると結構使ってくれるので、
今後はラジオトークなどにも出てくれるかな?
ちょっと嬉しい新年のニュースです。

独立した曲がなくて番宣でごめんなさい。


hissatsu1
昨年から欲しかった『新・必殺仕置き人』のDVDを手に入れました。
というのも昨年末に必殺シリーズの名プロデューサーだった
山内久司氏の死去が報じられたからです。
とはいえご本人は昨年夏に逝去されていたのですが、
ご本人の意志で年末まで伏せられていたとか…ご冥福をお祈りいたします。

そこで、必殺といえばシリーズ最高傑作との評価が高い
このシリーズを購入せねば…という気持ちになったのです。

キャストは、ご存知中村主水(藤田まこと)念仏の鉄(山崎努)巳代松(中村嘉葎雄)
絵草子屋の正八(火野正平)おてい(中尾ミエ)という裏稼業の面々の他に
中村せん(菅井きん)、りつ(白木真理)のお二人。
さらにこのシリーズだけ殺しの元締め寅の会という組織が出てくるのも魅力。

とにかくオープニングから引き込まれる。
ギューンと歪みに歪んだギターサウンドから始まり、
今も誰のギターかはわからないが勝手に山岸潤史だと思い込んでました。

放映は1977年1月から11月までの計41話あるのですが、
購入した寅の巻きは最終話を含めた後半12話が収録されています。
回を増すほどに脚本も役者も良くなっていますから、
やはりこれは買いでしょう。

恥ずかしながら、当時の我が家のTVは大型でしたが、白黒TVだったのですよ。
しかも昔の電化製品は壊れない!
壊れたらカラーTVを買おうと言っていたのですが、壊れない。
とうとう私が大学2回生になるまで壊れなかったのですよ!

こんな話、とても友人にさえできませんでしたから、
芸能人の衣装の話になると無口になる私でした。
友達に家に行ってデビルマンの体がブルーだったことを知ったのですよ。
私は赤だと思っていただけに結構衝撃でしたね。

というわけで、このDVDで色付きの仕置き人たちが観られることに
喜びを感じておるのですよ。
最終話、念仏の鉄が女郎屋で目にも鮮やかな柿色の女郎の着物を
まとって事切れるのですが、それがカラーで観られるのですよ。
嬉し入ったらありゃしない。

では、エンディングテーマの「あかね雲」を聴いてください。
歌っているのは当時12歳だった川田ともこさんです。
下のバージョンは19歳になった時に再録したものです。
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2014は病気に始まり、病気で終わった1年でした。
来年はもう少しましになるよう頑張ります。

年末にB・B・KingとBobby・Blandの2度目のライブ盤(1976)と
Bobbyの"Two Steps from the Blues"、そして、Eagles Box6枚組を購入。

特に、BBのライブ盤はそれと知らずにリアルタイムで
聴いていたものなので身体の中に染みこんでいるのですよ。
全部歌えるしね。

Eaglesはボックスなのに1980円だったのですよ。
しかも紙ジャケ。解説も何もありませんが、この値段は文句はありません。

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いやー、このジャケ見ただけで即買いですね。
ええ写真です。

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本もたくさん買いました。
新潮文庫100年を記念した中・短編ばかりを年代ごとに集めた
アンソロジーももうシリーズ5冊目です。
まだ読めていませんが、お正月に読むことにします。

お薦めは、『死んで生き返りましたれぽ』村上竹尾著のコミックです。
臨死体験された著者が退院できるまでを描いた闘病記録ですが、
植物状態のように見えても『こころ』は失わないことがよくわかりました。

少し前に流行した脳科学者の言ってることが
いかに嘘っぱちかがよくわかります。

著者は脳浮腫になり、脳が脳としての機能を
果たしていない状態でも『こころ』は生きているのです。
医療関係者のみならず全ての人に読んでいただきたい好著です。
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文化庁メディア芸術祭は1997年から始まったというから
今年でかれこれ17年が経つ国際的なイベントです。

『アート』『エンターテインメント』『アニメ―ション』『マンガ』の
4部門において世界中から作品を募集し、選ぶ点です。
といってもやはり日本人が受賞することが多いのですが……。

今年『マンガ』部門で大賞を射止めたのが
津原泰水氏の小説を漫画化した近藤ようこ氏の『五色の舟』です。

戦時下の日本に生きる5人の『異形の者たち』の生活に
未来を予言できる牛の身体に人間の顔を持つ件(くだん)という
やはり異形のモノとの接触により少し異なる歴史を歩むことになる
戦後日本を描いた傑作です。

年齢も性別も生れも違う5人に血縁関係はなく、
あるのは『特別』という共通点だけ。
そんな彼らが家族よりも家族らしく流浪芸能民として
戦時下を生きます。

彼らは『特別』であるが故に異形とされ、
時として畏怖され、時として珍重され、
時として蔑視の対象となるのですが、
果たして異形とは何なのか?
普通とは何なのか?
単なる多寡の違いではないのか?

ひょっとすると一般規範の範疇から外れた
アウトローたちのほうがある意味自由ではないのか?
など様々な問題提起をさりげなく提示します。

後半、件の噂を聞きつけた『お父さん』が家族と一緒に岩国を目指しますが、
ここから話は時間軸へと大きく舵を取ります。

もし、原子爆弾が落とされなかったら……
もし、マッカーサーが異形なら……
もし、特別でなかったら……等々

その『もし』を可能にするトリックスターが件というわけです。
件は、今よりも少しだけベターな舟(=時間軸)への
乗り換えを可能にすることができるのです。

『件』は、西日本に古くから伝わる妖怪の一種なのですが、
なぜ牛の姿をし、なぜ未来の予知能力があるかは不明とされています。
戦時下の日本では特に『件』の目撃談や噂が流布し、
人々のいつ終わるともしれない戦争への不安が
『件』という姿を取ったのではないでしょうか。

5人が岩国に赴くのも実際に岩国の下駄屋に『件』が生れ、
『…大きな爆弾が落とされ、戦争が終わる』
と予言したという話が伝わっています。

近藤ようこ氏は原作に加筆、新しいアイデアを加え、
重いテーマでありながら最後には読者を光明へと導きます。
これも彼女の力量でしょう。

中世ものを描かせたら右に出る者はいないとされる近藤氏ですが、
私は彼女の作品によって『身毒丸』を知り、
中世文学の面白さを知りました。
この度の受賞、本当におめでとうございます。