突然失礼します。私は紅子さんからブログ管理を託されましたMarion Walter(仮名)と申します。

紅子さんは、治療のため8月末から入院されています。

当分ブログ更新はできませんが、復帰を目指して頑張っていますので、皆様しばらくお待ちください。

携帯メールはつながりますので、いただいたコメントはなるべく本人に転送します。

返答はすぐにできないと思いますが、早期の回復を祈って、気長に見守ってください。

よろしくお願いします。
『生老病死』は生きる上で切っても切れないもの。

つい数年前まで能天気に暮らしていたのに、

ある日突然、病の宣告。

今は、外出もままならない身体になってしまった。


そんな時、本当に突然にやってきた『ある人』

メールのやりとりが何度かあって、昨年一度だけお会いした。

その人が薦めるのが『洗礼』。


わけがわからない間に『お祈り』をされ、聖書を贈られ、

洗礼を受けろと仰る。

その上、「私のような人間が救われるのは教会しかない」と仰る。


『正月明けに東京まで来て、素晴らしい牧師の説教を聞け』とも仰ったが、

そんなお金はないし、第一、東京まで行くのはしんどいので、

丁重にお断りをした。


メールで声を掛けてくれた当初はキリスト教にも興味を持ったが、

先方のあまりの熱心さに惧れを感じ、しだいに避けるようになった。

贈られた聖書も本棚に置かれたままになった。


私の家は仏教徒なので、洗礼を受けるのは

やはり後ろめたい気がするし、洗礼を受ける心構えもない。

洗礼というものは人に言われてするものではないと思うからだ。


苦しんで、苦しみぬいた末に洗礼を受けるのがまっとうなやり方ではなかろうか。

私はまだそれほどの苦悩をしていない。

故に洗礼を受けるにふさわしい人間ではないのだ。


いや、その前に『救われる』とは何なのだろうか。

その人は『私を救いたい』とのたまう。

その人から見れば、私は溺れる子羊なのだろうか?


「教会に行けなければ、訪問説教もありますよ」と言っていたな。

ああ、家に牧師さんが来たらどうしよう。


安らかな心でいたいとは思うけれど、洗礼までは…

彫刻家舟越保武や作家遠藤周作のように、苦悩を乗り越えていくために

洗礼を選んだ人たちに憧れもあるが、私はまだその心構えすらできていない。


それに家族の手前もある。

仏教徒の両親を前にして洗礼を受けるなど、とてもできやしない。

日本には信教の自由はあるけれど、それは決して自由にできるものではないのだ。

救われるって何だ?
先の大戦終結から数えて今年は70年になるという。

そこでふと日本のことを考えてみました。

なぜ日本が戦争をしなければならなかったのか、

その遠因は『鎖国』にあるのじゃないかってね。


確かに江戸時代の約300年間は平和だったけど、

科学技術、医療分野などなど理系関係は完全に時代遅れになっちゃった。

織田信長や豊臣秀吉が地球儀を眺めて、世界を見つめていたのに、

300年後の日本人は地球が丸いことも知らなかったの。


自分たちが『ガラパゴス』だとわかったのはペリー来航のおかげ。

賢い人たちが開国をしきりに説いて、ようやく大政奉還。

翌年の1868年には新政府による明治維新が始まります。


実のところ明治以降の日本は、列強西洋諸国に追いつけ、

追い越せの一点張りだったようにみえます。

とにかく当時の帝国主義に準ずるべく戦争に次ぐ戦争。


日清戦争(1894~95)、日露戦争(1904~05)、第一次世界大戦(1914~18)

などを経て、昭和に入ってからは、満州事変(1931)、盧溝橋事件(1937)、

そして、真珠湾攻撃(1941)によって日米開戦となります。


日本はミッドウェー海戦(1942)の大敗をきして以降、終戦まで敗北に次ぐ敗北。

そして、落とされる必要もなかった原子爆弾を2発も落とされることになります。

背景には明らかにアジア人蔑視があったことは否めません。


彼らはヒットラーがどんなに悪辣なことをしても

ドイツに原爆を落とそうとは考えなかったはずです。

日本はアジア人故に原爆の実験台に選ばれたのです。


いかがですか?

鎖国300年のツケが数えきれないほどの戦争だったのです。

一級国に認められる為には戦争が必要だったとは、

今考えれば真に愚かなことではありませんか。


時々思うのです。江戸時代に鎖国などせずに海外貿易を続けていれば、

どんな国になっていたかなって。

着物でスポーツをやったり、ギターの代わりに三味線でロックしてたり、

浮世絵がグラビアだったり、結構、江戸があちこちに残りながら、

舶来品も上手く取り入れていたかもしれません。


戦後70年、これから日本はどんな国になるのでしょう。

それは私たちと私たちの子供たちが作るべきものなのです。

乱筆乱文失礼いたしました。
やっぱり入院しちゃいました。

あまりの痛みに七転八倒する有様に

猫ちゃんもビックリ!?



診察中に相談すると、すぐ手配してくれてその場で入院。

嬉しかったけど、入院の用意をしていなかったので、

後から荷物を持ち込むことに…。



不思議に病院に行くとあれだけの痛みが和らぐのです。

そのせいで七転八倒する姿は病院関係者は見たことが無いのです。

それでも入院した当夜と翌日の夜は、あまりに痛くて

痛み止めをもらいに行くほどでした。

しかも謎の高熱まで出る始末で、この先どうなることやらと不安になるばかり。


それでも痛みの強さを計算して、痛み止めを3種出してくれました。

●オキシコンチン5㎎×2
●リリカ×2
●ロキソニン×1

これが1回分で、朝晩2回。
ロキソニンは毎食だから3回。

これ以外に頓服としてオキノーム5㎎を一日一回が処方されました。
ちなみにオキシコンチンとはトヨタの元女性役員が日本に
ネックレスの中に持ち込んだオキシコンドンと同じものです。

いやはや処方されている合法的なものなら、
何もネックレスに忍ばす必要はないはず。
やっぱりやましい代物だったのですよ。


余談になりましたが、この処方であれほどの痛みが

嘘のように消え、代わりにこれまで痛かった背中の

痛みが再び現れ始めました。難儀です。



次回からは放射線照射治療が始まる予定です。

とにかく続報はお盆が明けてからということで、

皆さまご心配おかけいたしました。

ブログも復活します。
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暑い日が続きますが、皆さまお変わりございませんか?

こちとらは、結構難儀なことになっております。

以前から右足の太もも裏の足の付け根を中心に

痺れのような違和感があったのです。

ハラヴェンには手足のしびれも副作用で出ますから、

それかな…とも思っていたのですが、

それにしても手足の先ならわかりますが、

なんとも奇妙なところが痛むな~と思ってたんです。

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それが先週7月31日ですよ。

ギャラリー見物をしたり、イタリアンレストランに行ったり、

最後は我が町の名店シニアソムリエが選んでくれるワインバーで

調子に乗ったのが悪かったのか、はたまた、たまには…ということで

ワインを2杯ほど飲んだのがいけなかったのか、

帰宅してからしばらくすると右足にこれまで経験したことが

ないような痛みに襲われたのですよ。

痛み止めはあるもののこの痛みに関してはあまり効かないのです。

土曜、日曜は本当に我慢の二日間でした。

翌日の月曜日は、点滴兼診察日なのでそれまでの辛抱です。

この痛み、裏太ももなので椅子に座ると痛むのです。

横になっても痛みますが、一番痛くないのは『立つ』ことです。

夜中も痛くて堪りませんから何度も起きて、

階下に降りたり、部屋をウロウロしたりしてなんとかしのぎました。

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さて、診察です。

私はあちこちに骨転移しているのですが、

腰のあたりにも飛んでまして、それがだんだん悪さをしているとのこと。

それじゃ、どうするの?というわけですが、

血液検査によると肝機能も低下しているので、CTやエコーで調べてみてから

異常がなければ、放射線照射をしましょうということになりました。

足の痛みはガン細胞が神経まで到達してしているので

神経痛のような痛みになっているのです。

とにかく痛いのです。

鈍痛がずっと絶え間なく続くので、あまり眠れないし、

椅子に座るのもごく短い間ならできますが、長時間は無理。

温めるのがよいのですが、夏ですからエアコンつけながら

患部はホッカイロで温めるという変則プレイ。

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痛み止めとしていただいたのが神経痛などに効く

『リリカ』というカプセルです。

釘を刺されたのは、効かないからといってやめないことです。

効果が出るまで数日かかるのがこの薬の特徴だそうです。

さらにアルコールが入っているので寝る前に服用せよとのこと。

まだ飲んでから一日しか経っていませんが、

たった1錠でそこそこ効いています。

もちろん椅子に座ったり、横になったりすると

突然痛くなるので、立って歩き回る状態は続いています。

怠けずに動けってことですかね。

とにかく今週一杯はリリカに頼ります。
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患者力って何だ?

これまでいろいろと書いてまいりましたが、
今回は『患者力』について考えてみたいと思います。

でも、『患者力』って何でしょう?
医療総合サイトの「ここカラダ」によると、
『自分と自分の大切な人が健康に暮らすために、納得のいく治療を受けることができる力』
とあります。

具体的にどうするかというと最も大切なことは、『医師まかせにしない』です。
ところが、これが意外に難しい。
かくいう私も同様でした。

1年前の私は、医師に病気を治してもらおうとしていたし、
また、それが当たり前だと考えていました。

その結果、何が起こったか?
1度目の抗がん剤が効果を発揮した後、2度目の抗がん剤を投与。
しかし、セオリー通りにはいかず、病状が進行、転移、ステージⅣへ。

主治医に対する信頼も揺らぎました。
『なぜ、放置したのか…治療するために入院したのに、
結果的に進行するはめになったのは誰のせいなのか…』と。

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ステージⅣになった時点で私は余命を考えました。
半年…それとも、もう少し?
実際、この時はすぐにでも死が訪れるものと思っていたのです。

しかし、紆余曲折を経ながらも1年が過ぎました。
秋が来て、正月を迎え、春にはお花見をし、今、日盛りの夏を迎えています。
『案外、生きられるものだな…』
これが嘘偽らざる感想です。

この間、免疫療法だの、ノニだの、高濃度ビタミンCだの
巷で良いと囁かれているモノは全てやってみました。
まあ、どれも50歩100歩でしたけど。

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セカンドオピニオンで知ったこと

セカンドオピニオンを受けたのは今春です。
なぜ、今ごろ?と思われる方もいらっしゃるでしょうが、
治療しているのに病状が悪化していることに疑問を持った
家族の強い勧めがあり、受けることにしたのです。

セカンドオピニオンの意味はなんとなく知っていましたが、
保険適用外』であることはこの時初めて知りました。
1時間程度の面会に約4万円。
なるほどガン保険が明記するはずです。

この時の面会は有意義でした。
『医師の仕事はベストであろう選択肢を提示すること
そして、患者の仕事は治すこと。』

それまで『患者力』など考えもしなかった私に面会した医師は、
患者はどうあるべきかをそれとなく示唆してくれたのです。

私はこれまで自分が主体になって治そうとは思っていませんでした。
医師に治してもらおうとしていたのです。

今では主治医に対するわだかまりはありません。
一層、信頼度が増したように思います。
いつかはハラヴェンも効かなく日がくるでしょうが、その時はその時です。
患者力で日々楽しく過ごすつもりです。
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行ってきました"Mad Max Fury Road"
噂どおり面白かったですね。
何しろ映画の8割強をCGなしのリアルスタントで撮影した
かいがあるってもんです。

エンディングのスタントキャストの名前が多かったこと…
半端じゃないっす。
CGシーンは砂嵐シーンやシャーリーズ・セロンの左腕の義手部分など
ごく限られた部分しか使ってないのですよ。

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シャーリ―ズ・セロンも女性ながらよく頑張りました。
撮影中は生傷が絶えなかったことが伺えます。
ちなみにこの撮影のために本当に頭を剃ったとか…女優魂炸裂ですな。

この映画、これまでのいろんな映画のオマージュorパロディが満載で、
これまた笑わしてくれます。

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冒頭の悪玉のインモータン・ジョーはプレディダーだし、
ジョーの息子はトータルリコールを思い出しちゃったし、
途中の峠に出てくる他の一族はジョージ―・クリントン風だったし、
とにかくよくぞここまでキャラ作ったぜって感じです。

とはいえ一番笑っちゃったのが、インモータン・ジョー軍団の
士気を上げるために編成されたメタル軍団です。
多数の和太鼓の重低音に乗っかるのが
ダブルネックギターを振りかざすギター野郎です。
この人も最後は戦いますからね。

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この人はIotaという名で知られているオーストラリアのミュージシャンです。
メイクのせいでほとんど顔はわからなかったけどインパクトは抜群でした。

だけど、この映画の出演者のほとんどが過剰メイクで、誰が誰だかわかんない。
主役のトム・ハーディですらオープニングから30分くらいまでは顔がまともに出ない。
生の顔を極力出さないってのが監督のこだわりだったかも。

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冒頭MAXは兵士の輸血用=ブラッドバッグ(血液袋)として
マシンの正面にくくりつけられ移動するのです。
彼の身体には『ハイオク血液』がたっぷり入っておるのです。

この状態から脱出するもしばらくは顔面マスクは取れず、
敵と戦いながらもヤスリでこすり続けるのですよ。
このへんもリアルにこだわる演出ですな。

ところで、インモータン・ジョーはあっけなく亡くなるのですが、
マックスとの絡みは全くなかったそうです。
時間的な問題かどうかはわからないけど、そのあたりも関係してるかも。

とにかく面白かったので、機会があればご覧くださいな。
久しぶりに本物のアクションが楽しめますよ。
では、またね。
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行ってきました『大関ヶ原展』。
東京の大評判を受けて、合戦地に近い京都での開催地は、
レンガ造りの元郵便局を活かした古風な作りと
モダンな建築物が融合した素敵な京都文化博物館ですから
嫌がおうにも期待が高まるというもの。

6月2日~7月26日までですが、
前期と後期とでは多少展示品が異なるのは
最近のパターンです。

さて、目玉はなんといっても関ヶ原合戦屏風ですが、
これを見る際に是非覚えておきたいのが東西軍の軍旗です。
これがわからないと何がなんだかわからない。

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とはいえ、最も美しい軍旗&家紋は?と尋ねられたなら
私は迷わず石田三成と答えるでしょう。

誰もが知る『大一大万大吉(だいいちだいまんだいきち)』は、
文字だけで構成された美しいデザインです。
このようなものは古今東西を見ても他には思い浮かびません。

さて、その意味ですが、
『万民が一人のため、一人が万民のために尽くせば太平の世が訪れる』
という有難いお言葉でございます。
言葉そのものは鎌倉時代ごろから使われていたそうです。

石田三成はとかく評判が悪い武将ですが、こと軍旗&家紋に関しては
優秀なデザイナーだったことがうかがえます。
それにしても美しい。

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名高い関ヶ原の合戦後、時代は徳川へと突入していくわけですが、
関ヶ原合戦図や屏風が地方に多いのは、先祖がいかに徳川に仕え、
今があるかを子孫に伝える目的があったためです。

ですから、制作された時代も江戸中期から後期、なかには幕末といったものまで。
そういった図版は使っている絵具や筆さばきからすぐにそれとわかります。
なにせ金箔は一切使ってませんからね。

狩野派というより土佐派のごとく殊更雅に描いているものも多くありました。
当時は誰も戦いを知りませんから、摸本を参考に一生懸命描いた感じですね。
健気です。

さて、この展示で最も人気があった武将は誰でしょう。
そうです、鹿の角に、木製の巨大数珠でおなじみの武闘派『本田忠勝』です。
肖像画も豪快ですよね。

展示終了後にはおなじみのショップがあるのですが、
そこでも甲冑のレプリカやら屏風のレプリカやら、肖像画のレプリカが
置いてあったのですが、一番人気は『本多忠勝』の肖像画でした。
予約シールが少なくとも50近くありましたからね。

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着用して写真が撮れる甲冑のレプリカも展示即売。
私が見たときは3体あり、左から徳川家康、真田幸村、本多忠勝の順でした。

意外にも本多忠勝は100万いかず、徳川家康のものが120万くらいでしたかね。
幸村はその間でした。
あんなの買ってもお店屋さんならいざしらず、
そうでないとよほどの豪邸でないと無理ですよね。

こういったまさに甲冑といったものが展示されているかと思えば、
まるで戦う気がないという体の甲冑もありました。

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脇坂安治が太閤豊臣秀吉から賜ったという名品です。
胴の表面は黒漆、金蒔絵で描かれた絵は狩野探幽の手によるものです。
前面に布袋図、後面は菖蒲が描かれています

展覧会ではこれで戦ったと紹介されていましたが、絶対に戦っていませんね。
美術工芸品を戦場に見せに行っただけでしょう。
しかも甲冑には珍しい青色で染めています。
まるで歩く美術工芸品ではありませんか!
やる気あんのか!って思わず言っちゃいましたよ。

とにかく甲冑や屏風、絵巻、日本刀などなどお宝がたくさん
陳列してありました。豪華でしたね。

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笑いも満載です。
ものすごく大笑いしたのが『金扇馬標(きんせんうまじるし)』です。
とにかく巨大。
こんなの突風が吹いたら持ち手は飛ばされるよな~ってな感じです。
西軍を笑わそうとしているとしか思えません。
お茶目でしたね。

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耳が長いので『兎』のようですが、
デザインの元は中国は唐の役人が被る冠です。
それにしてもこんなので馬に乗り、突撃したら大変だろうな。

藤堂高虎という人は、秀吉同様に足軽から身を起こし、
戦国武将であり、加藤清正と並ぶ城作りの名人という凄い人物です。
しかも身長が180cm以上あったとかという伝説があります。
楽しかったので、是非お出かけを。
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7月8日の早朝。
突然の訃報。
石やんの訃報。

あまりに早いその報告に
しばし呆然とし、言葉も出なかった。

石田長生(いしだおさむ)は、
昨年の秋に東京から大阪に居を移した。
ずっと離れて暮らしていた老母のことを考えてのことだった。
そして、老母を看取り、最期を見送った。

その後もホッとする間もなくライブ活動を再開した矢先の
今年2月、喉に違和感を感じ、診察、食道ガンと判明。
2月末までのライブまでやり切ると治療に専念した。
それが3月。

「必ず戻ってくるよ。」
そう言っていた石やん。
その言葉を信じた。

退院したらライブに行くよとも誓った。
なのに、こんなに早く先に逝くなんて…
ずるいな。

手術を勧められたはずだが、
こんなに早いのは手術をしなかったのだろう。
他の患部なら迷わず手術に踏み切っていたろうに。
最期まで病気と闘っていた石やん。
ゆっくり眠ってください。

最後の言葉はCharの還暦イベントへの激励だった。
石田長生
享年62歳

もっと生きてほしかった。
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うちの子です。男の子です。
グレといいます。
この夏で13歳になります。

アメリカンショートヘアの血が色濃く入っているので、
一応アメショーの端くれです。
ただし、尻尾はまるで柴犬さんの如く丸まってます。

生後1ヶ月~2ヶ月くらいに拾ってきました。
猫の性格というものは生後3か月くらいで決まります。
人に慣れない性格はきっとこの頃のものなのでしょう。

あまり甘えない子です。
多頭飼いでしたから他の猫ちゃんに気を使い、
表で過ごすほうが多い子になりました。

冬は寒いので家にいるほうが多いのですが、夏はすぐに外に出ていきます。
お腹がすくと帰ってきます。

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10歳の頃、歯周病が高じて、口内炎になり、奥歯を抜きました。
以来、犬歯や前歯はありますが、奥歯がないのでご飯も飲みこむ感じで食べます。

今年1月に先輩猫のチュー君が亡くなったので、
グレの生活も少しは変わるかしらと注意していましたが、
中空を見上げながら、奇妙な声を出すことが多くなりました。

声を掛けるとやめますが、時には夜中にそんな声を出すこともあります。
調べてみると認知症の疑いが考えられたので、
何か良い手はないかと探してみました。

すると、アメリカにオメガ3と6を配合したキャットフードがあると知りました。
そこで、早速ネット購入したのはよいのですが、なんと『チキン味』。
グレはなんでも食べますが、唯一食べないのが鶏のささ身なのです。

わざわざ買ったのに無駄か…と一度は落胆しました。
でも、試しにあげてみると、食べるわ、食べるわ、
「僕はこんな美味しいモノ生まれて初めて食べたよ。」
といった感じでした。

さすがアメリカ、ペットフード先進国と感心したものです。
まだ、このフードに替えて間がありませんが、
一日一度は奇妙な声を出していたグレが今は一度も鳴いていないのです。
こんなに効果が早いとは思いませんでした。

グレはまだ若いですが、歯がないのが弱点です。
まだまだ元気がいてほしいそんな思いでいっぱいです。
今は、生後10ヶ月の女の子エピと過ごしていますが、
相変わらず仲が悪いというか、お互い知らんぷりという関係です。

エピも無事に去勢手術が終わり、元気です。
とにかく私が移動するたびについてきます。
たぶん、私の身体を心配しているのでしょう。

トイレにもお風呂にもついてきて、出てくるまで待っています。
もちろん寝るのも一緒です。
女の子は優しいな~としみじみ思いましたね。
グレとエピでした。