益城町のキロク | がんばる地上の星たち!高知と松山のまんなか・仁淀川町

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土佐の山間・仁淀川町(によどがわちょう)の(元)地域支援企画員の日記!

1月中旬に熊本県に訪問した。
熊本地震から2年弱経ったいま、改めて視察したもので、少しブログにも書いたのですが、なかでも熊本市にほど近い益城町はなんと熊本地震時に震度7を二回も襲われて、町の中心部住宅街は大半が被災した。
熊本県庁の方も言われていたが、全くと言っていいほど地震の想定や準備などしていなかったのだという。

現地は、私たちが行った時ですら、まだ町内の至る所で復旧工事をやっており、電柱なんかも傾斜し、発災直後から変わっていないような箇所も多々あり、被害の甚大さを感じた。

ブルーシートがまだ掛けられていたり、地震で地中から飛び出したマンホール、宅地の基礎やコンクリート部には大きな亀裂、モザイク状に所々に更地になっている土地。


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益城町役場も被災したらしく、すでに仮設プレハブの建物で業務をしていた。近く被災した庁舎は取り壊すとのことであった。当時のここでの混乱は相当なもんだったに違いない。


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この辺りは大きな断層も通る場所であったがためにかなり被害が出ていた。まだ水路のブロックらも復旧工事に至っていない。布田川断層は三箇所でとにかく大きな地球の割れ目、ズレを見せた。いま、ここ堂園地区のこの地も約2.5mほども水平方向に地表はズレ、魔神にぶっちぎられたようになったのだ。あまりに断層の地質的な価値から災害遺構として残していく動きになっているらしい。


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視察先は直下型地震の地だったので津波はないものの、いかに家屋の耐震化が大切かわかった気がする。というのも、傾向として古い家の順に全壊、半壊したようだと役場の方も言っていた。町でも耐震化の補助金を東日本大震災後に創設するための説明をしてきたが、理解が得られずリフォーム補助金にすり替わり、そして熊本地震を迎えてしまったという。

備えあれば憂いなし。
災害は忘れた頃にやってくる。


SEE YOU!