ふとした”街歩き”(3)貸しボートってのがあるが? | がんばる地上の星たち!高知と松山のまんなか・仁淀川町

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土佐の山間・仁淀川町(によどがわちょう)の(元)地域支援企画員の日記!

今回は前回に続いて、高知の街歩き的な
ブログである。



前回までのブログはここ→ ふとした”街歩き”(1)

             ふとした”街歩き”(2)
さて、

本屋(金高堂)を出た私は
いまは、ここ、ヤナギマチにいる。




アーケードと並行してあるこの南側の道路は
わりと並木道、歩行者専用で雰囲気もいい。
ヤナギなんてのは1本もないけどね。



カフェや公園があってのんびりして気持ちがいい。
ここ、ときどきフリマもやっているしね。


さらに
昔ながらの店舗が並ぶ「大橋通り」を抜けて「大橋」の
方向、天神橋方面へ行く。

天神橋商店街がある。


本町であるが
ここいらも藩政時代は武家屋敷がならぶエリア。
あの板垣退助生誕地はほど近い。



だから、ほら、こんな旗がひらひらしている。
和菓子屋さんでは板垣退助饅頭もあったし。



ひょいと脇道があったので見たら
昭和40年ごろにタイムスリップしたかのような
通りがある。これは、20mくらいしかないが、飲屋街。
いい雰囲気ですね~。




天神橋が見えてきた。
朱色の欄干が、なんだか、はりまや橋みたいである。
この先には潮江天満宮や歴代藩主や金子直吉さんが眠る墓所のある
筆山があるが、今回はそっちへは行かない。



鏡川を上流に見る。
なんともひろびろ、鏡のようだ。ゆーーーったり!



高知市内にはいたるところに旧・町名看板が設置されている。
これ、凄くいいと思うんですよね。
旧名は本当にまちの歴史だし、文化ですよ。
ここいらは、西唐人町という。豊臣政権時代に長宗我部氏に連れて
来られた朝鮮人たちが生きた場所がここの鏡川沿いだった。
堤防の上に住み、豆腐屋家業の特権を得て生きたのだ。
東唐人町は魚屋が住んだ。





ふと見ると、川岸にボート小屋が?
こんなのあったっけ?



連絡先まで書いてあるのでやってるのだあ。
しかし、誰かがボート漕いでるのなんか見たこと無いけどね。

 



これが、筆山(ひつざん)。
鏡川に映る姿が「筆」に似ていることから
そう呼ばれる。来るまで山頂付近、墓所も行けますよ。





鏡川沿いを歩くのは気持ちがいい。
時折来んな、旧家もあるのが風情がある。
これは旅館っぽいが?



さて、このあとは自宅に直行したので
このブログはおしまいですが、また、歩こう♪



SEE YOU!