織田有楽斎は戦国好きなら逃げるのが得意な人として有名な織田信長の弟さん。
お茶の世界では、国宝「如庵」を作った茶人として有名。
織田有楽斎が生前に集めた茶道具は孫が引き継いだのですが
遺書が展示されていましたが、それを読むと
孫に妻子がおらず、今では散逸されていて
まとまったものがないようです。
今回は、各地の美術館から集められていました。
大阪城が落城の際に割れてしまったが
塗師によって修復され
また平成になって再度修復された
「唐物文淋茶入れの玉垣」
が出品されていました。
九十九茄子もそうですが
塗師の継ぎの技技は素晴らしすぎます。
呼継茶碗 桃山時代 16~17世紀 永青文庫
欠けたところに違う茶碗をあてがい修復を施しているのですが
めちゃくちゃオシャレになっていました。
青磁輪花茶碗 銘 鎹 南宋時代 13世紀 マスプロ美術館
青磁に打ち込まれた3つのかすがいが
リズムを刻んていて素敵でした。
ところでマスプロ美術館って存じ上げなくて
会場でググりました。
愛知県にあるようですhpより
青磁輪花茶碗 鎹(馬蝗絆 ばこうはん)
時期南宋(12th C.)
- 平 重盛(1138〜79)が、南宋の国と天目山に3000両の喜捨した。その返礼に青磁の茶碗が贈られてきた。これがその茶碗で、1セット2個。龍泉窯、南宋時代の砧手で、青磁の色、形、共に最上手のものであった。
- 足利義政が後に、この茶碗を手に入れたが、熱湯のためかヒビ割れができたので、明の国に取替えを要求。しかし、このような茶碗はもう焼成できないと、2個ともヒビ補強にカスガイを打って返却されてきた。その後、馬蝗絆 (イナゴ絆)と呼ばれ名声を博し、青磁といえば、先ず馬蝗絆が筆頭にあげられるようになった。
- 馬蝗絆は、足利将軍家に伝えられた以後、織田三五郎(信長の弟である有楽の孫)に伝来、その後、角倉家、平瀬家等に伝来。1951年、東京の久米邸で、この兄弟2個が出会い、比較鑑賞された。
面白い試みとして
国宝「如庵」
二畳半台目向切を
色々な方法で再現していたことです。
映像で見せたり
紙を使って再現したり
でも、一番良かったのは
如庵の大きさを床にテープで再現していたのですが
勝手に、ここが躙口ね
こう入って
床を拝見し
釜、道具、
席に着くと
あら。。。斜めに切った柱が奥行きを感じさせるのではと
想像が膨らみました。
鳴かぬなら 生きよそのまま ホトトギス
有楽斎
いいですよね。