2021/06/28 | くらやんのブログ

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私の文章に出会っていただき、読んでいただきありがとうございます❣️日々の生活の中で感じたこと、学んだことを書いています。みなさんのお役に立てれば幸いです。

【感動の1週間〜その1 道徳の授業編〜】

学級担任をしている学年主任の「先生、失礼なこと言ってたらごめんね。」
という言葉で、その流れは始まりました。

6/18(金)の授業の合間の渡り廊下の立ち話で、
「道徳の教材の中にね、左手が不自由な子が自分の話をする教材があるとよ。先生、直接話してくれない?」
と申し訳なさそうにお願いされました。
すぐに
「いいですよ〜✨😊⤴️」
と、返事をしました。

放課後、6/22(火)の道徳の授業の打ち合わせをしました。
私ができるのは、学級担任の思いに寄り添うこと。
メニューとして、
110分バーション
50分バーション
ショートバージョン(これは今から作るけど〜)
と提示したら、50分バーションに決まりました。
実は、自分のライフヒストリーを話をする機会を大学生の頃から20代までは何度も頂いていました。
それで
ここ最近は、2年生所属になった時の立志式に向けた教育活動の中で話をしました。

そして、学級担任は学年主任でもあるので「どうせなら学年の子供たちみんなに聴かせたい」というので学年道徳を担当することになったのです。

打ち合わせが終わりそうな時、
「藏屋先生、来客です。Aさんが先生に会いに来ています」
と呼び出されました。

Aさんは装具をつけて歩いています。その足を手術するために、今入院していて外出で帰ってきたそうです。
以前の投稿で、この生徒との出来事は詳しく書いています。
簡単に言うと同じ障害をもっている私だからこそ共感し、チャレンジを提案し、応援することができることがあるのです。
Aさんの場合、初めて同級生に自分の障害のきっかけを尋ねられて、それが辛くて大泣きして私のところにやってきました。
最終的には自分で学年全員の前で事情を話すことを決めて、実行したのです。

その生徒に、
「次の火曜日に私の話をすることになって打ち合わせしてる時に、あなたが来たんだよ✨💕😆」
と報告すると、
Aは「先生の話ですか?いいなぁ〜」
と言いました。
だから、内緒で動画を撮って見せてあげようと思いました。
サプライズ✨サプライズ💕😊

火曜日がやってきました。

子どもたちは初めて、障害とともに生きてきた私の経験を聴きました。私が話すので、非常勤の先生、校長先生、教頭先生も聞きに来られました。

いろいろなことができるようになるように練習したけれど、いじめ、家業の倒産して目立たないように生きてました。小学校の修学旅行のお小遣いは新聞配達した兄からもらいました。自分の人生を振り返った作文を弁論大会で読んで仲間ができたことがうれしかったのです。法の下の平等を学んだ時、障害者はかわいそうという同級生の言葉に涙が溢れて悲しかったんです。医師になる夢に向かって勉強していたけれど、高校の進路相談で手がないことを理由に進路変更を勧められて夢を奪われて辛くてたまらなかったんです。それから嫌われてもいいから自分らしく生きよう決めたらたら親友と恋人ができました。大学生になってその恋人が事故で亡くなって生きる意味が分からなくなりました。けれどこのままじゃダメだと思った時に心理学に出会って学ぶことで生きる気力が湧いてきました。教育実習で生徒に言われたかわいそうに怒りが湧いてきました。大学5年生の時はバイトをしたとき私に気づいた子どもを母親が「見たらいけない」と背中を向けさせたことで子どもに違うものは無視するように教えた母親への怒りを感じたことなど社会から学んだことを伝えました。

教員になってから、初めて受け持ったダウン症のKくんは単語でしか話せなかったけれど、歌謡曲を100曲以上歌詞を書かせ、歌わせ、同級生との交流が生まれ、漢字が読めるようになったので、タイピングで漢字変換を教えたら、数年後はネットするようになり、新聞を読めるようになり、15年以上経っても毎日3時間勉強し続けていたことから、あきらめないで続けることの大切だと伝えました。

そのKと一緒に行った修学旅行の遊園地で、知的障害を理由にジェットコースターに乗せてもらえずに、Kは悲しみと怒りで私をビンタしました。帰りのバスで私はずっと泣きました。ビンタされた体の痛みではなく、教え子が差別されたことでKのこれまでの心の傷の深さと自分が差別されることは何ともなくなったけれど大切な教え子が差別されたことが耐えられなくて、声を出さないようにしても漏れるくらい泣きました。そんな私を見て、Kは笑わそうとします。そんな私たちを見ていた同級生は、修学旅行から帰ってから、遊園地に手紙を書きました。しばらくして、遊園地の社長さんが謝罪に来られました。そして、その遊園地では知的障害があってもジェットコースターに乗れるようになりました。中学生には社会を変える力があることを伝えました。

そして、私が学んだ教訓と記念写真でムービーを作り見せました。

何人か泣いてました。
いつも私に「大好き」と言う子は号泣していました。
学年主任も大泣きしてました。
校長先生も校長室に帰って涙を流されたそうです。

私もみんなの反応があったかくて涙が出そうでしたよ!

放課後、聴いてくれた子どもたちから感想が届きました。
一生懸命聞いてくれていて涙が出てきました。
「私が先生だったら出来ないと思う」
と数名の子供たちが書いていました。
だから、あなたが辛さを乗り越えたら、その経験は未来の誰かのためになって幸せに変わるから、あなたの辛さを乗り越えよう、応援してるよって返事を書きました。

この話を、他の学年の先生に話したら、「実はうちの子は多指症で生まれたの」
とその時の話をしてくださいました。

みんな痛みをもって今ここにいること、
そして私が話をしたことで聴いたこと、
すべてに感謝しました。