キャラメルドーナツ食べました。
書こうとすることはたくさんあって、やろうとすることもたくさんあって、相変わらずその1/10もできないままでいます。
いまは心にどさっと溜まった感情をどうにか纏めようとして、つらつらと書くので、各所宛の手紙と日記と映画の感想とをごちゃ混ぜに書くと思います。
(後で選り分けて纏め直して送ったり投稿したりする予定、でも時間掛かるかも)
(話違うけど増版データ重すぎてアップロード時間かかり過ぎ問題: 余談)
『ソウルの春』を見てきました。 (相変わらず下調べせず)
ものすごく久し振りに作業や打ち合わせやアルバイト以外で時間を使いました。
この日は先輩とご飯を食べて、お子さんを育てるという生活の中でたくさんの経験をしてきたお話が聞けて、移動して映画館へと(ギリギリだった)、その後で新宿のパレスチナ連帯のアクションに向いて来ました。
幾つか観たい作品候補ありつつも、いま自分にこの機会が必要な気がして選んだ映画です。
正直言うと、私は学びが足りず歴史を把握することができていなく、年号や時系列を知り自分の感覚で物事を掴めていないことが多いので、この状態でフィクション作品を観ることは危険だろうとも思っていました。
それでも単純に、ファン・ジョンミン氏が主演であることに期待度が高かったので観ることにしました。
『工作 黒金星と呼ばれた男』『ナルコの神』に圧倒されていたので。
同じく、『工作』にも出演していたイ・ソンミン氏、チェ・ビョンモ氏も出演で。
イ・ソンミン氏は『ミセン』『未成年裁判』を観ていたので共演に更に期待がありました。
『無垢なる証人』のチョン・ウソン氏、『毒戦 BELIEVER』のパク・へジュン氏、『キルミー・ヒールミー』のアン・ネサン氏、『秘密の森』のイ・ジュニョク氏、『離婚弁護士シン・ハンソン』のキム・ソンギュン氏、『ヒーラー ~最高の恋人~』のパク・ウォンサン氏、それからヒョン・ボンシク氏も出てたんですね、気付かなかった…
そしてチョン・ヘイン氏、オ・ジノ少領(少佐)役だったのですね… 泣きすぎて誰だか分かってなかったです。
錚々たる顔触れで、それだけでもこの作品に集結した力と意志を感じ取りますが。多岐の意味で、凄まじかったです。とんでもないです。
あ、ほとんど誰も投稿見ていないと思うので油断して書いていますが、ネタバレになるので、嫌な方は見ないでくださいね。ごめんなさい。
パラサイトを観た後と、違うけれど似た感覚で、受け取ったものの重さに暫し座席から立ち上がれませんでした。
描く内容の重さと慎重さの背景には画面の精工さと場面展開の巧みさがあり、俳優陣の力や場面を濃厚にする音響などたくさんの要素に魅せられつづけて、なんとか一気に走り抜けましたが。本当に苦しい。
私のあの涙は何だったのか。悲しいでもあるし、悔しいでもある、虚しさもあったし、美しさも見たし、もう訳が分かりません。
私欲で倫理を壊していく幼稚で傲慢な人物と、判断を委ね責任を追う力のない弱い複数の人間によって世界が壊されていく様子、そして奪われていく社会的責任能力を持つ人物や他者を想う者や信頼のもと忠誠を貫く者の尊い命、止まらない暴走…
これが私たち人間社会で繰り返されてきた過ちで、いま起きているガザでの惨劇と重なって、とてもじゃないけれど耐えられない、本当に苦しい。
圧倒的不利な状況の中で立ち向かう者の背中が混乱の中で忠誠を集める、その人間の魂の炎のようなもの。人間として生きる手懸かり。敗北して尚、手元に残り消えず灯火として伝わったであろう炎。
敗北の後、正義を貫いた者が拘束され拷問を受けるなどの置かれた暗い状況も描かれ。対照的に幼稚で傲慢な者たちが、壊された社会を尻目に、その得た権力に浮かれ陽気に下品に踊る姿。
実際の集合写真と照らして映し出される顔触れに、こんなにも愚かで無責任な者が権力を得て社会を支配するということの虚しさと、奪われた命や壊されたものの途方も無さを思い知らされる。
本当を言うと、抗うという意志のもとであっても戦闘を描くこと自体を、そして忠誠を美しく描くことにも、戦闘を身近に感じさせるであろう要素として抵抗があるというか、危険信号を思ったりします。戦闘に身を置かず生きれるはずの者たちに、戦う準備をさせてしまうのではないかと感じる部分があるのです。
というか、日本が過去に犯した過ちが他国に徴兵制度を強いているであろう立場で言えたことではないのですけど。
だからこそ、武器を置く(侵略戦争をしない)と誓った平和憲法を私たちは守り抜かなくてはならないと思います。
と、思いつつ、この作品は、何かそういう次元ではなく、この事柄を美化しない描き方は、深く感情や思考に刺さって抜けずにいます。
先に少し書いたように、映画としての重厚感はパラサイトに似てというかそれ以上で。そしてそのメッセージは、緊迫した世界情勢のいま、受け止め切れないほどに大きくて重い。
途中何度も、早く終わってくれと思っていました。
私はまだ、この作品に対しての感想を纏められないのだと思います。
それは、虐殺を止めれていないからで。そして、いま政府や追従する政党や認識が薄く加担する大衆によって壊されようとしている平和憲法を守り抜く課題を抱えているからだろうと思います。
どう生きるのか。
いまの時点で感想として書けることがあるとするなら。
心に従い、どう生きるのか、問われている。ということかも知れません。
名もなき市民である私は何の影響も与えることもないであろう微力な存在である認識はありますが、歴史の一部でもある自覚があります。
かつては行ってみたいと思っていたライブも、いまの私にはそう思えなくて。
大切な時間を捧げている皆さんごめんなさい。
それでも私は、チケットを買う代わりに、知人に寄付を託したり支援グッズを製作したり周知チラシを印刷したり寄付グッズを購入したりすることを選びました。 先輩方がそう呼びかけてくれるように、気分転換も大事で、いつか遊びに行くかも知れません。
心に従い、生きます。
苦しさに何度も、早く終わってくれと思っていましたが、そう思う度に、ガザでは現実として命の危険や傲慢なものの支配が迫っている状況に終わりを見出せない日々であるのだということが過ぎっていました。
私は心の逃げ場を探すように、最近『ヒーラー ~最高の恋人~』を見返していて。ヒーラーはエンタメ性が強く、社会性のある作品ですが一話一話に楽しませる要素が強いので、意識しないタイミングが多いのですが。
帰宅後ご飯を食べながらつづきを再生したら、パク・ウォンサン氏が出てきて泣きました。そういえば、映画鑑賞中に溢れて止まらなかった涙は、ヒーラーの言論統制時代の回想シーンを観て泣いたものと、同じ涙だったかも知れません。
その時代を生き抵抗した者たちが刻んだ痛みや苦しみや、その熱が沁み寄せる痛みと、幼稚で傲慢な者たちへの怒りと悔しさと。
これを描く力と、作品に向き合おうとする市民の多さと。
隣国でありながら私たちとは歩み方が違うのだろうかと思いました。
だから行き着く先も違って、叶えられる社会も違うのだろうかと思いました。
それでも、私は観てなくて申し訳ないのですが、いま『虎に翼』が重要な課題を題材にメッセージを打ち出して、市民が自身や他者と対話をつづけている様子に、制作陣や俳優陣がその立場を自覚して取り組んでいること、受け取り考える市民の存在を尊く思い、敬意を抱きます。
私たちの社会が、この人間社会が、虐殺を止めれる社会であることを願います。
武器を置く力が、この日本にありますように。
虐殺を黙認しない力が、世界にありますように。
壊されない倫理が、軌道修正する知性が、ここに在りますように。
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(wiki)
ソウルの春:
1979年10月26日大韓民国の朴正煕大統領が暗殺された10・26事件の直後から翌1980年5月17日の非常戒厳令拡大措置までの民主化ムードが漂った政治的過渡期を指し、チェコスロバキアの「プラハの春」に由来する言葉である。全斗煥(チョン・ドゥファン)の粛軍クーデターと光州事件の武力鎮圧で挫折したが、1987年の6月民主抗争で民主化がすすんだ。
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(wiki)
言論統廃合:
1980年の5・17非常戒厳令拡大措置により政権を掌握した全斗煥が言論を掌握するために行われた、第五共和国時代の大韓民国における言論統制政策である。
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