diary_20230906_日記、映画、福田村事件 | 都のブログ

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ガパオライス

アイビーが絡む”9”、久し振りにカフェでガパオライスを食べました。

 

何年か前に、色々なものを空目して、カフェ看板のガパオライスも、ギンビスのアスパラガスも、”ガラパゴス”と読んでしまったことがあったことを思い出しました。

 

微妙に(?)脱線しました。

 

ネタバレになるかも知れないので、嫌な方は読まないでくださいね。

ネタバレになると思うので、嫌な方は読まないでくださいね。

(2回言ってみた)

 

立ち仕事でヨボヨボになり、合間の作業の他にも予定を入れてしまっていたので、もぅ体力無さ過ぎ問題…と思いながら、昨夜もメモをまとめながら床に転がって寝てしまいましたが…

だるいしどうしようか、、と思いつつも、拝見してきました。映画。『福田村事件』

 

そういえば、少し前に高麗博物館主催の学習会というか講演に行ってきての感想というか頭によぎったことをつらつらと日記に書きましたが。

お仕事でヨボヨボとはいえ、説明いただいた中から受け取れたほんの一部の情報を感情的に受け止めて、あとは自分の考えや想いばかり見てしまっていたので、詳細を調べず、書き逃げしてごめんなさい。

(後で過去日記に追記しようと思います)

 

相変わらず下調べもせずに、事前情報なく拝見しまして。

資料や証言に基づいて構成されたのでしょうね。日付を追って事柄を辿り、ぁぁそうか、刻々と日を追って世界が変異したというか、沈んでいたものが吹き出してしまったのだと、詳しく知らなかった時系列を自分の中で確かめていました。

 

深刻で重要な事柄を題材にした作品ですが、時代を映し出すような生活感や風景や対話や、その描かれ方のため、退屈なしんどさは無く。

ただし、日常のそこかしこに私たちが知っている偏見や差別感情や格差やハラスメントが溢れているという、そう、私たちはこういう世界を辿って生きてきたのだということを、いまもそれはつづいているのだということを、確かめるようにその世界はありふれていて。

そして、風景に溶けた音響が場面で動き出したときの効果的な恐さ。

映画としての魅力と存在感に長けた作品だと思いました。

 

そして、幾つもの、訴え掛けるべきとして放たれていた台詞。

種族という区分けの線引きが払われたときに思い知る行為の残虐さへの気付き。

個人で判断することをやめてしまった同調という世界の下す責任能力の無さ。

区分けを無くしたら、人が人を殺すということの異様な残虐性を、誰も受け止めることはできないということ。

 

 

後からサイトを少しだけ確認して、森監督のメッセージを拝見しましたが。

生物としての生存する知恵の集合からくる同調というか、対する異質さへの攻撃性についてが書かれていたかと思います。

そこと紐付くように思い出したことで、以前ビッグイシューの記事で特集があったように覚えていますが。

カテゴライズという脳の負担軽減や経験値による合理化でもある情報処理能力と、そこで生まれてしまう区分けに関する偏見についてなどを、考えていました。

人間の習性や起こり得る事態を知って、意識的に、踏み外してしまうことを避けなければならないのだと、学びます。

 

拝見できてよかったです。

ありがとうございました。

脚本、制作、演出、俳優陣、関係者皆様、お疲れ様でした。

 

 

脱線しますが、時間を間違えて傍聴できなかった裁判。

外に出てお会いしたフリー記者の方が概要を教えてくれました。

入管で起きている幾多の事件や暴力に垣間見る、人を人として扱わない感覚の異様さを、合わせて考えたいと思います。

 

 

追記、週末配信で元気をもらっていたドラマ、悪霊狩猟団カウンターズ シーズン2 (カウンターパンチ)、おもしろかったです。

展開の惹き付け方も、コミックテイストから心理的な奥行きまで題材を広げたところも、俳優陣も素敵でした。

しばし浸ります。

 

健康に生きましょう。

また。

 

セットのコーヒー