diary_20230409、ミニどら焼き、クロワッサン、和解調書。 | 都のブログ

都のブログ

ブログの説明を入力します。

おやつを雑に袋から出したら立った、part2 ミニどら焼き。

(ぁ、part1はインスタしか投稿してないのだった)
ええと何を書いているのか。
生活を変えていく必要が生じてバタバタしています。

こないだ久し振りにクロワッサンのカフェに寄ってパリパリのクロワッサンとクレマ美味しいラテをいただきながら、フワーっと思い起こしてしみじみ感じたことを、ゆるゆると書こうと思います。


決着つきましたね。裁判の。

都合がつく際は傍聴に出向き、前にここでもチラと思うところを書いていた裁判。先生が大臣に訴えられていた件です。
和解交渉という形で、決着がついたと。

大手メディアが掲載してないのか、私のTLでは一つくらいしか記事見なかった気がしますが。先生方が投稿などで報告してくれていたので、内容を知りました。

先生や代理人弁護士さんや専門家の方々のお話を聞いていると、和解交渉の意義が見えてきました。

状況的に、絶対的というほどの政治権力を持った立場(議員であり当時は現職大臣)の人物が、一教員相手に突如(事前交渉など一切なく)訴訟を起こした、という時点で、日本にスラップ訴訟法はないものの、国際人権法に基づき、その明らかな違法性から、充分に勝てる可能性のある裁判であっただろうと。

ではなぜ和解という形を選んだのか、気になりますよね。

ひとつは、ここで勝訴したとしても、上告された場合に高等裁判所や最高裁判所の現状の性質からひっくり返されてしまう危険もある、という意見があったようです。
(地方裁判所で真っ当な判決が出ても、上告で権力に忖度した印象の結果が出してしまうという事例が散見されるかと…)

もうひとつ、とても重要なところだと思うのですが。
この和解交渉は、文書公開を前提条件としてなされたものだそうです。
(和解交渉は原告と被告の間で内示的に交わされ、公にされないことが多いそう)

和解する条件として、議員が宣誓をした上で供述した内容(議員が団体と関係していないとする主張と被害者救済や党と団体との癒着断絶に努める旨)を前提とした上で、先生は該当の投稿の削除に応じたと。

この供述内容は和解文に明記されていました。
「自由民主党所属議員として、今後旧統一教会の被害者の救済や党と旧統一教会の絶縁を含め必要な調査・対応を行う旨を供述したことから」

被害者救済、ここに重点が置かれているように思います。
そして団体と党との癒着の断絶。

被害者を救うことや社会的重要課題である政権与党とカルト団体との癒着の断絶を図るに努めることを、議員は供述として約束し、これを条件に和解が成立した。司法の場がこの問題を公の文書で示した。

そして、無関係であるとする主張を通すためには、議員は上記内容に努める義務が生じる。

それだけでなく、”公人に対する論評、特に政治的姿勢、言動等に関しては、国民の自由な論評、批判が十分に保障されなければならない” という、民主主義の根幹である言論の自由について、ここで改めて確認明記されたとのこと。

スラップ訴訟という明記で記した文脈ではないですが、内容はスラップ訴訟を言っていますよね。

そして、本件訴訟経緯は裁判所にとっても遺憾である、と。

法に基づいて社会で起きる問題を解決し被害者を救うべくあるのが司法の場であり、それ以外の意図で利用されてはならない、という、司法のプライドを見たように思います。

シン・ヘボン先生が証言した際に、裁判官も真摯に耳を傾け、議員側の代理人弁護士も事例の詳細を確認するなど、専門家の意見を聞く姿勢を見せていたように感じました。

このときの裁判を傍聴した記者が、「世耕氏の代理人弁護士の反対尋問や右裁判官の質問内容も申教授のレクチャーを受けている感あり」と投稿していて、あのときの何か落ち着いて厳粛な空気を端的に表現していて、ああ優秀な記者とはこういうことか、と思ったのでした。
(余談)

法廷内の全員が、立場上の差はありつつも、法に携わる者としての自覚を見せていたように思います。 

と。ここまで振り返って確認してしみじみ思うのですが。

先生も会見で仰っていましたが、日本にスラップ訴訟法がない現状で、裁判所が配慮を示し対処した、司法の意義を噛み締める事案であること。

その日本で初とも成り得たスラップ訴訟の勝訴の機会でありながら、被害者救済や自民党と団体との癒着断絶という社会的意義を選んだ、先生と代理人弁護士さんの判断。

裁判という公の場に証人として立つことは、時間的にも精神的にも負担があろうと想像される中、証言台に立ったシン先生。

そして、今回の和解調書。

あの…  歴史的な瞬間て、こんなに人知れず静かに、淡々と起きていくものなのですね?

そうか、ドラマチックに盛り立てられる物事にも確かに重きものもあるだろうけれど。
日常の中で淡々と、正義は刻まれているのですね。

格好いいー 何それ。

格好いいー えー うぇー
(落ち着いて)

真面目な話をしようとしているのに、これでは伝わらない感。
すみません。

異様で非道なことが多い昨今の(露見し始めただけかもしれませんが)日本社会、それでも、前を見据えて動いている人がいるのだという、朗報だったので書きました。

 

行政の施設でSOSを黙殺され亡くなってしまった方の、映像が一部公開されましたよね。

この問題に、今も多くの人が関心を寄せ、社会の責任として捉えていることも感じます。

 

ひとつひとつ、歪みが正されていきますように。


健康に生きましょう。
また。