〚息子は元不登校〛皆と違う自分でもまあいいか♪~(´ε` ) | 【Haru】子育てと自分育てと心のことと

【Haru】子育てと自分育てと心のことと

息子の不登校は私に自分を見つめることの大切さを教えてくれました。家族や周りの人々との日々の出来事、心の学びからの変化や気付きを書いています。


こんにちは

はるですひらめき







   次男は小学5年生から5年間の不登校を経て現在は

   ネットの高校に在席。

   私はカウンセラーを目ざしています。

   心の学びからの気づき、

   日々の3人の子育てのことなどを書いています☆





今4月6日に書いています、今日は満月ですひらめき



こちら、今日はあいにくのお天気で満月が見えません〜


でも外に出てみたらいつもより明るい曇り空で



満月の光を感じられましたよニコニコ










さて、今日は自己否定についてです。




私は自己否定が強かったんですが、




それを見て見ぬふりしてずっと生きてきて。




次男の不登校を機に向き合うことになりました。




なんでこんなに自己否定が強かったのか?




って考えてみました。





私がだめな理由は?








皆と違うから。(捉え方や好み、笑いのつぼが違うとか)

ひとりひとり違って当たり前ですが真剣にそう思っていました泣き笑い




集団が苦手だから。

(大勢の人がいたらその皆から嫌われてはいけないと思っていたから、いちいちみんなの顔色をうかがっては疲弊していたな〜と今思い出しました。そりゃ楽しくないわ〜)

これも私の個性で悪いものではないって今は思います。




他にもたくさんありましたが。。。





その中でも、



皆と同じでないと駄目




これは育っていく過程で




すりこまれた情報なんです。




だから皆と同じでないとだめっていうのは1つの価値観で、

他の価値感を採用することもできる。





多種多様な価値観がありますよね。





例えば皆と違うって面白いという価値観を採用することもできるんです。




あと、人間は群れで生きる動物だから、




一匹狼では生きていけない、




本能的にそう捉えてしまうのもあるらしいです。




でも皆同じな訳がないですよね飛び出すハート




そう、皆ひとりひとりが特別な人間で、


 


見た目も中身も違っているのは自然なこと。




そして、違っているから孤立して生きていけない




ということは実際には無いかと思います。









自分はみんなと違ってもいいって、以前の私は全然思えなくて。




皆と違う部分=短所 と捉えていました。




皆と違う自分をそれでもいいと思えたら、




皆と違う自分の子供のことも





そのままでいいと思えるようになってきます。





子供はそんな母親から自然と感じ取ります。




次男も自分を強く否定するような意識が無くなってきているなと感じています。




UMIで様々な自分と向き合い、




自分を知り、




自分を受け入れる、




そして相手を受け入れる、




ということができるようになってきました。





これは実践的で日々の生活に直結していることなので、




出来るようになってくると、驚くほど軽くなるんですアップ




世の中色んな自分と向き合う手法があります。




今しんどいと感じる人々もそれぞれにやりやすいやり方で、




生きやすくなっていかれるといいなと思います。





ではでは〜



最後まで読みいただき
ありがとうございます花