記憶旅行 04 | 風丸の駄文

風丸の駄文

いろいろと駄文を重ねてます。
共感、反論あるかと思いますが、ご容赦ください。




転機となった20代の一幕-1

20歳の頃に、このまま地元にいたら自分はろくでもない人生を送ることになると、

ある日、地元を離れる決意をした。

とりあえず知ってる人が誰もいない街に行こうと思い立ち、

スポーツ新聞の三行広告を見て、

"住み込み可、食事付き、完全二交代、月収24万以上"

のくだりに釣られて下関に向かった。

そこで約2年弱、パチンコ屋で仕事をした。

仕事も順調に覚え、同僚との人間関係も円滑で、申し分ない生活を続けていたんだけど、

とある事件をきっかけに、そのパチンコ屋を辞めることになった。


具体的な意図はなく、単に都会への憧れが強かったせいもあって、

下関から離れたボクは福岡県の北九州へ移ることにした。

小倉という地元と比較すると遥かに都会な街だったし、

未知の世界に足を踏み込むワクワク感がエスカレートし始めていたのかも知れない。

しばらく前職と同じパチンコ屋に勤めたものの、ある程度まで仕事を覚えて物足りなさを感じたのか、

はたまた頭の片隅にあった
"一般的な仕事"というものをしたかったのか、

自分で部屋を借り、自活しながら職場に通う、という、いわゆる"普通"になりたくて、

"日払い9000円以上可、電気工事の補助的な簡単な仕事です"

の募集を見て転職しました。


入ってみたはいいものの、

"電気工事の補助的な簡単な仕事"は

オモテ向きで、実際は

その電気工事の仕事を契約してくるところからやらなきゃいけない、

"営業"とか"セールス"という類の仕事でした。


約半月は、仕事がとれなくても9000円は保証されるから、

カツカツだった生活も少し潤って、さて、

これからどうしよう?

と思っていたら、会社から

「そろそろ歩合制に変えてもらわないと困る」と。

は?

同僚から会社のしくみを、ある程度聞いてはいたから、来る時が来たと思ったけど、

よくよく聞いてみると完全歩合制、フルコミッションなので、

仕事がとれないと収入はゼロ。

どうしたものかと考えてはみたものの、

仕事は結構楽しいし、同僚も上司も良い人が多かったから、続けることにした。


ただ、飛び込み営業で、フルコミッションとなると板に付くまではなかなか収入につながらない。

ましてやもともとが内向的というか、

あまり自分から他人に声をかけるようなことをしたこともないし、得意ではないから、

一時はせっかく借りたワンルームマンションも解約して、会社の寮に移ることにしなければやっていけないくらい貧困状態に陥った。


なんとなくコツは分かってきた。

が、なかなか契約は取れない。

ついでにプライベートでは、ヤンキー、ヤクザブームだった時代背景に任せて良からぬ友人との交流も盛んだったため、

寝不足や体調不良が伴い、精神が病みそうになった。

仕事は契約さえ取れるようになれば、稼げる。

それは給料日に目の前の上司の封筒の厚みを見れば分かるし、

内向的と言えど営業も結構楽しい。

良からぬプライベートでの交友関係さえクリアすれば、仕事に没頭できると踏んだボクは、

社長に直談判して意気込みを伝えると同時に何か妙案でもないかと相談した。

社長曰く、
「君の頑張りたい気持ちは応援してやる、いっそ福岡の本社でやってみないか?」と。


同じ福岡でも北九州と福岡市では文化風習が全く違う。

それに数カ月だけど、ようやく築いた同僚との関係。

いろいろ後ろ髪を引かれる要素はあったけど、悪友の誘惑のほうがイヤだったから、

思い切って福岡本社に移ることにした。


と、ここまでがほんの2、3年の出来事で、

短期間ながら慌ただしい期間だった。


この、営業の仕事におけるエピソードや、後々自分の大きな"武器"になった経験などは改めて書こうと思います。

さて、福岡本社で仕事を始めることになってから、

どうやらこのあたりからボクの人生の方向というか、矛先が変わり始めていたのかも知れない。

では、次項まで。