「黒幕がいるんだ」兄の耀はそう言った。

「メッシュは単なる手下にすぎない

あいつはボスの指図で動いているだけさ」

 

その当時の刑事ドラマの影響か

「ボス」という言葉に力をこめて話した。

 

 

麗華も一度だけ

黒幕らしき男を見かけたことがある。

 

 

ピカピカの黒塗りの車から降りて

横に立っていた。

トレンチコートを着て

帽子を目深にかぶっていたので

顔はよく見えなかったが

紙をくしゃくしゃに丸めて

伸ばしたようなしわだらけの顔だった。

 

 

帽子からわずかにのぞいていた

口元がニッと笑った時にはぞっとした。

妖気が陽炎のように全身を包んでいて

一度見ただけでその姿は強く印象に残った。

 

UnsplashのCraig Whitehead

 

 

あの男はすごい金持ちだけれど

一人で大きな屋敷に住んでいる。

 

 

後に男の名前が九鬼だということが

分かった。

 

 

あの男がボスに違いないと麗華は思った。

本当に悪いのはあの男。

あの男が何かを企んで

メッシュを差し向けているのだ。

 

 

前髪の一部分が白髪のメッシュは

年齢不詳の容貌だが30代だそうだ。

 

 

背は小柄で、顔は赤ちゃんのような

ぽっちゃりとした丸顔に

銀ぶち眼鏡をかけている。

 

 

メッシュが帰った後

伯母はずっとうかない顔をしていた。

「おばさん。どうかしたの」

と麗華はたずねた。

 

 

麗華と兄の耀が

一つ屋根の下に住んでいるのは

両親ではない。

 

 

幼いころに両親を亡くした

兄妹を引き取って

実の子同様に育ててくれた

伯父夫婦には二人は本当に感謝している。

 

耀は大学まで出してもらった。

 

 

「麗華ちゃん。実はね」

いつになく伯母の思いつめた表情を見て

麗華はハッとした。

 


 

 

話は二年ほど前にさかのぼる。

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

 

 

仕込みの香りがただよう夕刻

中華街の目抜き通りから

一本入った細い道を麗華が歩いていると

表に出ている近所の人が声をかけてくる。

 

 

「こんにちは。

今お使いから帰ってきたところよ」

麗華は元気よく答える。

 

 

伯父の林百雄が

オーナー兼料理長を務める「らーめん亭」は

中華街の外れにあるが

いつも常連客でにぎわう指折りの人気料理店である。

 

 

まだ夜の開店まで時間があるので

麗華は店の裏側の自宅に回った。

 

玄関の引き戸を開けて

「おばさん。ただいま」

と言いかけて言葉をのみこんだ。

 

 

たたきにそろえてある特徴のある靴。

黒いワニ柄の靴。

 

あの男だ。

また、あの男が来ている。

 

 

気づかれる前に二階に上がってしまおうと

こっそりと足音を忍ばせた。

 

でもこんな時に限って絶妙のタイミングで

階段横の和室のふすまが開いてしまう。

 

 

現れたのはやはりメッシュだった。

 

歳は30代と思われるが

前髪の一部分だけが白髪になっているので

麗華と兄の耀はメッシュと呼んでいる。

 

 

「じゃあ、考えておいてください」とか

「よろしく」とかそんなことを

聞き取れないほどの小さい声で

ボソボソと男は言った。

 

 

おばさんは男の後ろにつき従って

黙ってうなだれていた。

涙をこらえているようにも見えた。

 

 

 

男は麗華に気がつくと

軽く目礼をしただけで黙って通り過ぎる。

麗華も視線を下に落としたままやり過ごした。

 

 

昔から出入りしていたあの男は

麗華が小さい頃は

「お嬢さん、こんにちは」だとか

「大きくなりましたね」

などと声をかけていた。

 

 

そのたびに伯父夫婦に

「ほら、ちゃんと挨拶なさい」と促されたが

麗華はメッシュが大の苦手だった。

 

 

お愛想を言うが、眼も口元も笑っていない。

 

「お母さんに似ていますね」

などと言われた時にはゾッとした。

 

 

自分でさえ、幼いころ亡くなった

母のことはよく覚えていないのに

なぜこの男が知っているのだろう。

母とどんな関係だったのだろうか。

 

 

伯父夫婦は大事なお得意さんなんだからと

言っていたけれど、子供心にも

単なるお客さんじゃないことぐらいわかった。

 

 

あの男はなぜだか理由はわからないが

この家を見張っていてプレッシャーを

かけている。

 

 

「黒幕がいるんだ」

兄の耀はそう言った。

「メッシュは単なる手下にすぎない

あいつはボスの指図で動いているだけさ」

 

 

その当時の刑事ドラマの影響か

耀は「ボス」という言葉に力をこめて話した。

 

 

金猫の評判を決定づけたのは

三十年前の冬に起きた一件だった。

 

 

暮れも押し迫った頃のことである。

場末の盛り場で、ある男が酒を飲んでいた。

そこへ見知らぬ男が現れ

いきなり刃物で切りつけたのである。

 

 

狼藉者はその場で取り押さえられたため

大事には至らなかった。

だが容疑者は、何度問いただされても、

「金猫のお告げで刺した」と

うわごとのように繰り返すばかりだった。

結局、本当の理由はわからずじまい。

 

 

一方、刺された男にも

覚えがなかったわけではない。

以前、酒に酔った勢いで御神体に悪態をつき

いたずらまでしたことがあったのだ。

 

 

そのため、

「金猫の怒りに触れた報いだ」

という噂が、まことしやかに広まった。

 

 

 

Alexas_Fotos

 

それ以来、理屈では説明のつかない

不思議な出来事が起こると、

「金猫の仕業に違いない」

と言われるようになった。

 

 

街中の小さな祠に過ぎなかった金猫堂も

いつしか人里離れた丘の麓へ移され

今のような大きなお堂になったのである。

 

 

評判を聞きつけ、

「どうにも堪忍ならない相手がいる」

「自分ではどうにもままならない」

「代わりに懲らしめてやってくれませんか」

そんな願いを抱いてお参りする者も増えていった。

 

 

もっとも、その結果がどうなったのかは

それぞれの胸に秘められ

第三者が詳しく知る由もないのだが

そこは気まぐれな猫のこと。

 

 

願いをかけたからといって

吉と出るか凶と出るかは誰にもわからない。

依頼者の心持ちによっては不利な結果が返ってきたともいう。

その話が本当かどうかはさておき

いかにも金猫らしいではないか。

 

 

「金猫はジョーカーみたいなものさ」

誰かがそう言った。

味方なのか敵なのか

最後までわからない。

 

 

それを御利益だと言っていいものなのかと

ご不満の向きもあるでしょう。

まあ、待ってください。

もう少し話を聞いてください。

 

 

最初は不運と思えたことが

後になって振り返れば

「それがかえってよかった」

「長い目で見れば良かった」

ということもある。

 

 

そして今回

麗華が金猫堂で願いをかけたことで

麗華の家族の物語には

少しの変更が付け加えられました。

 

 

兄の耀。

妹の麗華。

中華街に暮らす林家の人々。

その誰もが気づかぬうちに。

 

 

その全容を知る者は

ごくわずかしかいない

世にも不思議な物語があるのです。

 

 

とりわけ麗華の兄、耀はよくやった。

本当に頑張った。

けれども、その話はまだ先のこと。

ここから金猫堂と林家の物語は

始まっていくのです。