麗華は小走りに

療養所の建物の中に駆け込んだ。

店が忙しくて

家を出るのが遅れてしまったのだ。

 

 

これまで夕方に来たことがなかったので

電車から降りて

ここに来るまでの道のりが

ちょっと寂しく感じた。

 

 

建物の中もいつもより薄暗い。

もう野外でのパーティーは

始まっているのだろう。

 

にぎやかなざわめきが

庭の方から聞こえてくる。

 

 

祖母の部屋まで急いだ。

部屋の窓からも花火が上がるのが見えた。

 

 

 MCがマイクで何か叫んでいる。

どっと歓声が沸き起こった。

 

 

「おばあちゃん。起きられる?

ちょっと行ってみようか。

お外は楽しそうなことやってるよ」

麗華は祖母を抱えて車椅子に乗せ

廊下に出た。

 

 

この棟は重症者が多く

夜は部屋にこもっているからなのか

廊下の灯りも節約している。

 

 

いつも見慣れた場所なのに

昼と夜とではまるで雰囲気が違う。

 

 

麗華は車椅子を押しながら

庭への出入り口までは結構遠いことを

痛感した。

 

 

誰もいない廊下で聞こえるのは

車椅子の音と自分の足音だけ。

 

 

どこまで歩いてもたどり着けない

まるで夢の中にいるようだ。

 

 

部屋から明かりがもれて

中には病人と看護師さんがいるのが見えた。

知らない人たちだけど

ちゃんと人はいるのだから

そんなに怖がることはないと

麗華は自分に言い聞かせた。

 

 

その時、背後からコツンコツンと

靴音が響いた。

力強い男性の革靴の音だ。

麗華は後ろを振り返った

 

 

祖母のカウンセラーと名乗った少年。

猫のような丸い輪郭

ふんわりとしたマッシュルームヘア

アルフォンス・ミュシャの描く女神の顔。

 

 

麗華は長い間ぽかんと見つめていて

あとから思い返して恥かしくなった。

彼はそんな風に見られることに慣れているのか

ずっと笑顔のままだ。

 

 

「カウンセラーと言っても

まだ大学生だから

先輩について補助業務なんだけどね。

 

インターンシップでここには

週3日ほど来ているんだ」

 

(大学生なのね。

じゃあ私と同じ年?

二十歳ぐらいかしら)

 

 

「祖母がいつもお世話になっています。

私、林です。

林麗華と言いますが…

あのお名前伺ってもいいですか?」

 

 

「えっ、僕のことですか?

僕は乾(いぬい)圭一郎といいます」

少し照れくさそうに

名乗り合った二人は顔を見合わせて笑い合った

 

 

「僕はここに来てまだ間もないんだけれど

先輩から君のおばあちゃんのことは

ちゃんと引き継いでいるから

安心して色々聞いてね。

 

 

そういえば次の日曜日は

ここの入居者のパーティーがあるよね。

“夕べの集い”だったっけ。

 

 

僕は一応来る予定だけど

君はどうするの?

おばあちゃんもできるだけ

車椅子で参加できるといいな。

夜には花火が上がってきれいだよ」

 

 

若い二人が話している様子を

陰からじっと見ている人物がいた。

 

「おや、まあ」

眼鏡をかけ直して久部恵子は見つめた。

「そういうことなのね」

 
 
 
夕暮れ時で黄金色の光が
あたりに満ちていた。
 
 
療養所の室内から中庭に出入りする
スロープのところに
一人の少年と思しき背かっこうの
ほっそりとしたシルエットが見えた。

 

 

少年は麗華に背を向けて立っているので

顔は見えない。

麗華はスロープに徐々に近づいて行った。

 

 

少年は気配を察したのか

少しこちらに横顔を向けた。

柔らかな頬。

 

 

間違いない。この人だ。

すぐにこの人だとわかった。

金猫は美少年の形を借りて現れる。

 

 

スロープですれ違う時に

彼がちらっと麗華の方を見たが

恥ずかしくて下を向いてしまった。

 

 

そして次の日もずっと彼のことで

頭がいっぱいで

翌翌日療養所を訪ねた。

 

 

 

入所者は昼から夕方にかけては

サンルームでゆっくりとした時間を過ごすのが

常である。

 

 

麗華も祖母の車椅子を押して

サンルームに向かった。

 

 

気づかないうちに少年を探していた。

多くの人がいる中でも

すぐに少年を見つけることができた。

 

 

「あっ」少年と視線がぶつかって

麗華は慌てて目を伏せたが

彼は近づいてきた。

 

 

「待って、この前、来ていた人だよね。」

麗華はそっとうなずく。

「僕はここのカウンセラーで

君のおばあちゃんも担当しているんだ。

たいへんだよね。おばあちゃん」

 

 

自分のことを知っててくれたと思うと

麗華は喜ばしさがこみ上げてきた。

 

 

彼の顔を間近で見てあらためて

顔の造作のひとつひとつが整っていると思った。

 

 

猫のような丸い輪郭

ふんわりとしたマッシュルームヘア

アルフォンス・ミュシャの描く女神の顔。