たそがれ館へようこそ -11ページ目

「帰ってくれ」
と背を向けた男の前に
耀はすばやく回り込んだ。
「お願いします。
僕たちわざわざこのために
遠くからやって来たんです。
帰るわけにはいきません」
耀は胸元から白い封筒を取り出すと
「受け取って下さい」と差し出した。
男の顔色が変わった。
「やめてくれ。
いらないよ。そんなもの。
そういう問題じゃない」
と厳しい口調でたしなめた。
「失礼しました。
気を悪くしたならば謝ります」
耀は内心ほっとして封筒をひっこめた。
「お兄さんたち
まだ若いんだろう。
いったい何を考えているんだ。
あんな奴に関わると
ろくなことはないぞ。
みすみす将来を棒に振ってもいいのかね」
男はあきれたように言った。
耀たちが九鬼と
何か商売の取引をしようと
しているとでも勘違いしたのだろうか。

「違います。
僕たちだって何もあんな奴と好き好んで―」
浩が口ごもったのを耀がフォローする。
「詳しい事は言えませんが
僕たち何も後ろ暗い事はありません。
それだけは信じてください。
どうか力になって下さい。
お願いします」
男は腕組みをして渋い顔のまま
しばらく思案した。
「九鬼義一郎。
あいつの事ならよく知っているさ。
身過ぎ世過ぎのためには
付き合いたくなくても
付き合わなければならないんでね。
あいつはいかがわしい奴
インチキ紳士さ。
金はうなるほど持っているけど
ありとあらゆる
胡散臭い事に手を出しているって話だ。
いったい九鬼の何を知りたいっていうんだ。
えっ?」
「どこで会えますか」
耀は相手が気を変えないうちに
せっかちにたずねた。
腹立たしげな色が
再び男の目に浮かんだ。
「さあ、どうかな」
とわざとらしく
あさっての方向を向くと
独り言のようにつぶやいた。
「そういう名を名のる奴なら
週のうち何日か
ここから数10メートル先の店に
顔を出すって言っていたかな」
二人が身を乗り出すと
「一度しか言わない」
と男は念を押して
早口で店の名を告げた。
「断っておくが
あくまでもこれは又聞き
もれ聞きのたぐいで保証はしない。
間違っても『花の樹』の主人が言ったなんて
言ってもらっては困る」
耀と浩は大きくうなずいた。
「さあ、これで終わりだ。
これ以上は何も話さない」
と一方的に話を打ち切った。
二人が礼を言うと
はじめて憐れむような
何ともいえない奇妙な表情をした。
「いったい何があったのか
知らないけどさ。
あまり首突っ込まないほうが
いいと思うよ。
ことわざにもあるだろう。
好奇心は猫を殺すって」

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耀と浩はカフェレストラン
「花の樹」に着いた。
伯父の話によると
「花の樹」の店主は
南関町の飲食店同業組合の
とりまとめ役で、
九鬼の動きについて
よく知る人物の一人だそうだ。
レンガ張りの外壁には
アンティークのガス灯が設えられ
玄関前にはミニバラ
ベチュニアやゼラニウムの
寄せ植えが飾られている。
まるでそこだけが
ヨーロッパの街の一角のように
洒落た雰囲気を醸し出していた。

「ちょっとまだ早かったかな。
開店前のようだ」
耀たちが話していると
ちょうどタイミングよく店のドアが開いた。
中から出てきたのは
キャンバス地のエプロンをつけた
中肉中背の四十がらみの男だ。
黒板のメニューボードを
両腕で抱え表に運び出している。
彼がこの店の店主にちがいないと
耀たちが思ったのと、
男が二人に気づいたのはほぼ同時だった。
「あと一〇分ほどで準備できますよ。
中で待ちますか?」
男は笑顔を向けたが
二人はとっさのことで口ごもってしまった。
耀たちの用件は
中でゆっくりと腰を落ち着け
コーヒーを飲みながら
口にするような話題ではない。

この男の気分次第では
店を追いだされるかもしれない。
前もって予行演習していたのに
いざとなると怖気づいた。
「少しお時間いただけますか」
耀はぎごちなく切り出した。
「実は僕たちお話を伺いたくて
こちらに来たんです」
店主らしき男は、ちょっと驚いて
二人をしげしげと見つめた。
「何の話?」
「ある人物を探しています。
九鬼、九鬼義一郎です。
彼のことご存知ですよね」
その名は思っていたより効目があった。
男は一瞬、息をのんでしばらく沈黙したが
「なんてことだ」
と小さく口の中でつぶやいた。
「帰ってくれ」
「えっ」
「見ればわかるだろう。
今開店前で忙しいところだ。
後にしてくれ。
いや、もう来なくていい。
そんな話なら二度と来るんじゃない」
背を向けた男の前に
耀はすばやく回り込んだ。
「お願いします。
僕たちわざわざこのために
遠くからやって来たんです。
帰るわけにはいきません」

耀と浩は翌朝から本格的に動き始めた。
向かったのは町の中心の繁華街で
耀たちの泊っている「五山荘」からは
ほぼ10㎞の距離にある所だ。
耀は浩が運転する車の中で
一枚の紙をじっと見つめていた。
百雄伯父から渡されたもので
数件の住所が書きつけてある。
今のところ手がかりとなるのは
この住所だけだ。
「ここを訪ねて行ってくれ。
そして奴の居場所を突き止めて
借用書を取り戻してきてほしい」
耀が強く握りしめたため
紙はくしゃくしゃになってしまった。
二人は町の中心まで来ると
大通り近くの駐車場に車を停め
外に出た。
リストに上がっている中で
最初に向かったのは、
大通りにある「ヴァレイ・ホテル」。

UnsplashのHuy Nguyen
茶系のシックな外壁を持つ
五階建ての老舗ホテルだ。
レストラン、バー、喫茶店を備えていて
観光客だけでなく
地元の人も多く利用しているという。
ガラスの自動ドアを通って中に入ると
館内は照明がうす暗くひっそりとしていた。
床には毛足の長い絨毯が敷かれ
自動ピアノがクラシック音楽を奏でている。

受付の女性が、慇懃な態度で
「いらっしゃいませ」と挨拶をした。
ラウンジのソファには
年配の客が数人まばらに座っていて
ある者は新聞を広げ
ある者は雑談に興じていたが
Tシャツに綿のパンツ
履きつぶしたスニーカーという
出で立ちの若者が入って来ると
鋭い一瞥を送った。
耀と浩は早足で通り過ぎた。
「今日は下見をするだけにしようか」

二人は内部の様子をひととおり
確認するとホテルを後にした。
次に大通りを渡って南側へと向かう。
北と南では町の様相は一変した。
北側がオフィス街なのに対し
南側は商業地区であり
ファッションビル、ブティック
雑貨店、飲食店などが軒を連ね
さらに細い裏通りには
バー、スナックなどの小さな店が
ひしめきあっている。
二人は、カフェレストラン「花の樹」前に着いた。
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