Photo by Eduard Militaru on Unsplash

 

耀は自分の叫び声で目が覚めた。

突如、はじかれたように起き上がった。

 

 

夢だとわかっても

しばらくは動悸がおさまらず

荒い息を繰り返した。

 

 

わずかに開いたカーテンのすきまからは

夏の白い陽射しがふり注いでいる。

 

 

ぐっしょりと寝汗をかいているのは

朝からうなぎ上りの水銀のせいだけではない。

 

 

耀は何度も目をしばたいた。

恐ろしい夢だった。

何者かに襲われた夢。

 

 

しかも襲われたのは

耀自身ではなかった。

体が浩に成り代わっていて浩が襲われたのだ。

 

 

浩に話して聞かせたらどんな反応を示すだろうか。

「何だよ、それ。縁起でもない」

と口をとがらせるだろうか。

 

 

それとも少しは興味をもって

こう尋ねるかもしれない。

「僕を負かすなんてたいした御仁じゃないか。

いったい、どこのどいつなんだい?」

 

 

それが、なぜだか顔は見えなかったのだ。

いやに生々しく

夢なのか現実なのかわからないほど

真に迫っていたが、相手の顔は見えなかった。

 

 

闇の中からいきなり襲ってきて

喉元をぐいぐいと締めあげてきた。

恐ろしく強い力で反撃する暇もないほどだった。

 

 

目が覚めてしばらくたった今でも

皮膚に痺れたような感覚が残っている。

耀はそっと喉元に手をやった。

 

 

Photo by tabitha turner on Unsplash

 

階下からは食欲を誘う

香ばしいコーヒーの香りが漂ってくる。

すっかり寝過ごしてしまった。

 

 

手元の時計はもう八時を過ぎている。

浩はとっくに食べ終わって

待っているかもしれない。

 

 

耀は軽く肩を回しながら

階段を降りて行った。

 

おや?

 

カウンター越しに、キッチンの中

女主人の後ろ姿は見えたが

浩と馬田の姿が食堂にない。

 

 

食べ終わって部屋に引き上げたのだろうか。

もしそうだとしたら、ずいぶんと早いことだ。

 

 

「あら」

女主人が振り返った。

「やっと一人見えたわ」

 

「はあ」

 

Photo by Brooke Lark on Unsplash 

 

「今日は皆さんずいぶん遅いのね。

朝ご飯食べないつもりかしら。

そろそろ声をかけようかと

思っていたところなのよ」

 

 

カウンターの上には

朝食用のトレイが三つ準備されている。

 

 

「馬田さんのことはわからないけど

浩はまだ来てないの?」

「ええ、そうよ。

よかったら起してきてくれない」

 

 

耀は急に眠気が吹っ飛んだ。

 

 

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浩は自分の部屋に戻っても

すぐには寝なかった。

枕元のスタンドをつけ

ベッド横の小さな椅子に腰をおろした。

 

 

ある人物宛てに携帯電話で

メールを送ろうと思っていたのだ。

 

 

連絡を取っていることは

耀には内緒にしていたが

明日になったら打ち明けようと思っていた。

 

 

誰にも言わない約束だったとはいえ

黙っているのは心苦しかった。

今まで耀との間に隠し事はなかったからだ。

 

Photo by Jp Valery on Unsplash 

 

その時

浩は何か気配を感じ顔を上げた。

どこかで空気が

ふわっと動いた気がした。

 

 

ドアの手前

スタンドの光が届かない闇の中に

誰かが立っている。

 

 

目を凝らすと

姿形がぼんやりと黒い影になって浮かび上がり

かろうじて相手が誰だかわかった。

 

 

いつ入って来たのだろう。

ドアは確かに閉じていたはずなのに。

 

 

「どうしたんですか。こんな時間」

相手は何も答えなかった。

暗がりの中でゆらりと体を動かしただけだ。

 

 

「ちょっと待ってください」

浩は呼びかけた。

 

「あと少しでメール打ち終わりますから。

あっ」

 

 

達磨さんが転んだ。

 

 

目を離したほんの一秒ほどの間に

相手がすぐ近くまで瞬間移動してきた。

今度は浩も驚いた。

 

 

「馬田さん」

 

 

向き直ってはじめて

浩は相手の様子が

いつもと違う事に気がついた。

まるで夢遊病者のように

何を考えているのかわからない

無表情な顔で、じっと見下ろしている。

 

Image by Sammy-Sander from Pixabay

 

外側の体は馬田だけど

内側の精神に何か別のものが乗り移って

全く違うものに変質したようだ。

 

 

もともと不健康に太ってはいたが

青白く顔がむくんでいて

目の周りには黒ずんだ隈ができている。

 

 

「どうかしたんですか」

 

 

馬田はそれには答えず

急に大きく目を見開いた。

その目は一瞬スタンドの明りを受けて

銀色に光った。

 

 

何がおかしいのかわからないが

にやりと勝ち誇ったように笑った。

浩は魅入られて、もう身動きが取れなくなる。

 

 

馬田は、両手を頭上にかざした格好で

全身を使って覆いかぶさってきた。

 

 

いつもの動きの鈍い馬田とは勝手が違う。

おそろしく素早い動きだった。

浩に声を上げるひまさえ与えなかったのだから。

 

 

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image by SuperHerftigGeneral from Pixabay

 

耀と浩が南関に来て四日目の晩。

 

 

日付が翌日に変わろうかという時刻

辺りの家々は闇に沈み

ひっそりと静まりかえっていたが

「五山荘」には小さな明かりが灯っていた。

 

 

風に虫の音が混じり

昼間の蒸し暑さはずいぶんおさまっている。

 

 

耀と浩は、ちょっと前に戻ってきていたが

夜寝る前に必ずその日の

報告と打ち合わせを

すると決めていたので

食堂のテーブルについていた。

 

 

一日の疲れと落胆のせいで

しばらくは口もきけずに

ただ呆けたように座っていた。

 

 

馬田はまだ帰って来ていないが

こちらは別のけしからん理由で

夜遅くまでうろついている。

今日こそ例のものを買うぞと

朝から意気込んでいた。

昨日まであちこち下見して

目星をつけていたらしい。

 

 

耀が大きくため息をついた。

 

「奴はどこにも現れないな。

いったい何を考えているのだろう」

 

「やっぱり伯父さんが言ったとおりだよ。

九鬼は最初から

取引するつもりなんてなかったんだ。

僕たちがあたふたしているのを見て

きっと陰で笑っているだろうよ」

と浩が言う。

 

Image by Dariusz Sankowski from Pixabay

 

二人は「花の樹」の店主から

意味深な言い方で釘を刺されたが

それでひるんだりはしなかった。

かえってファイトがわいた。

初戦を突破した事で度胸がついたのだ。

 

 

他の店に当たった時も

多少の程度の差こそあれ

ほぼ似たような反応を返された。

 

 

九鬼の名を出すと驚いて一瞬

黙りこむ。

次に不快な様で眉をひそめ

「どうしてそんな事を聞くんだ?」

と、敵意のこもった目でにらみつける。

 

 

彼らは急に怒鳴りだしたり

力ずくで追い返そうとしたりしたが

耀たちも簡単には引き下がらなかった。

 

 

粘りに粘って

九鬼が店に現れるかもしれない

時間を何とか聞きだした。

 

 

本当は九鬼の居場所や

潜伏先がわかれば

一番いいのだが

それについて彼らは

最後まで口を割らなかった。

 

 

隠しているのではなく

本当に知らないようだと

二人はあきらめた。

 


 

 

九鬼を探しだすため

二手に分かれて張り込みを始めて

三日目だが

いまだ九鬼の消息はつかめていない。

 

 

「手の打ちようがないな。

こちらとしては相手の出方を待つしか

ないんだから」

耀は言った。

 

「ただ待つ。何もしないで

ひたすら待つというのが

こんなに辛いなんて」

 

 

「約束の期限まで

あと三日しかないんだよ」

と浩が嘆く。

 

 

「いや、まだあと三日ある。

この三日が正念場だ。

三日のうちに何とかしなければ。

 

三日たってそれでもダメなら

その時また考えるさ」

 

 

自分たちに望みを託して待っている

伯父の期待には何とかこたえたい。

二人は明日の張り込み予定リストを

再度確認した。