4歳の息子が、道端でヤマト運輸さんの配送車を見た時のこと

 

「あ、ネコヤマの車だ!」

 

昔のテレビCMで「クロネコヤマトの宅急便🎵」っていうメロディ付きフレーズ

 

あれがわたしの頭に残っているので、息子に以前「あれ何?」って聞かれたとき、「クロネコヤマトの車やねぇ」と教えてたんです。

 

そしたら、なぜか・・・

ネコヤマってニヤニヤ

 

クロネコでもなく、ヤマトでもなくニヤニヤ

ネコヤマて・・笑い泣き

なんでそこ切り取った?泣き笑い

 

なんか、この省略のセンス好きやな~指差し

 

そんなことを思ってたら、思い出したことがあって

 

私の母がデジタルカメラのこと、なんかみんな略称で呼んでたって記憶はあったんでしょうね、「あの、あれあれ、デジタルカメ」って。

最後の「ラ」だけ省略してどうするのよ。そこまで言ったら「ラ」も言おうよ。泣き笑い

 

省略のセンスが隔世遺伝してるなって思って、楽しくなった話でした。

 

 

 

金曜日の朝、夫がいつもより早く起きて、ソファーでゆっくりしていました。少し会話すると、その表情や雰囲気から、不満を抱えていそうだったので「何か言いたいことあるの?(息子の不登園のことで)」と聞いてみました。でも、「いや、俺はいい」と、何か言葉を飲み込んで、不自然な笑みを向けてきました。

 

いや、もう、雰囲気から、不満が漏れ出てるからね・・・

 

「なんかあるなら言って」とお願いしても、なかなか言ってくれず、「ため込んだら一気に噴き出すんだから、言って!」と頼んだり、何度か押し問答した後、夫は今の気持ちや考えを話してくれました。一通り聞いて、わたしも今の気持ちを伝えました。

 

お互い、2週間前と全く変わっていませんでした。

(息子が幼稚園に行きたい気持ちになるまで待ちたい私と、無理に行かせるしかないと思っている夫、です。詳しくは以前のブログ「ひりひりする土日が嫌すぎる」に書いています。)

 

 

夫は「言わされた。言いたくなかったのに。どうせ何も変わってないと思ってた。そんなんなら言わない方がマシだった。」とブツブツ。しょんぼり

 

こうやって文章にしてみると、ただの夫婦間のヒリヒリした会話ですが、意外にも私の心境は「聞いてよかった!話してよかった!」でした。理由は二つあって、

 

①不満はこれだけ(以前に聞いた以上のものはない)と分かったこと。

夫と話をしないときの私は、表情や溜息、醸し出される雰囲気から、実際ある以上の不満や批判を頭の中で想像しがちです。直接聞くことで、現状としてはこれだけ、というのが明らかになって安心しました。

 

そして、

②「言いたくなかったのに」とぶつくさ言っていた夫でしたが、出勤前に「すっきりした!」と言っていました。

 

だから、お互い意見としては何も変わっていなかったけど、話せて良かった・・にっこり

 

そして、一つだけ新しいこととして、夫から「なんで(私が)自分のやり方にこんなに固執してるのって思う」との言葉がでてきました。そして、わたしも「そっくりそのままお返しします」という会話。。。お互い、相手の意見に少しでも寄ってしまえば息子をダメにしてしまうと思って、それぞれが踏ん張っている状態なんだよねって話しました。

 

まさに夫婦間、綱引状態・・・

 

綱引きをイメージすると、お互いひっぱりあって力が拮抗している状態。ということは、自分が苦しいのと同じくらい、夫も苦しいんだ。

 

それに、最初の話し合いで、1学期は息子の意思を尊重して、無理やり行かせることはしないってことになったので、主人としては自分がやりたい方法を我慢しているってこと。この点では夫のほうが、もどかしくて心配でやるせない気持ちを抱えているんだよなと。いっぱい溜息が出てしまうのもしょうがない。だって苦しいんだもんね。

 

こんな風に考えるようになって、なんだか、夫に対して労いの気持ちがたくさん湧いてきました。

 

苦しい気持ちのときも毎日、会社へ行って頑張って働いてくれてありがとう。ほんとにありがたい。ありがたい。にっこり

 

 

今週は幼児相談のはずでした。

でも、行けなかった・・・悲しい

 

息子が嫌がって嫌がって、外出するの無理でした。

予約をしたのは1ヵ月前。予約当日の息子の状況は分からなかったわけですが、結局ドタキャンになってしまい、申し訳ない気持ちいっぱいでキャンセルの電話をしました。悲しい

 

いや、もうね、確かに、、、今までずーっと、何かの予約を入れることって出来てこなかった。。あらかじめ日時が決まっていても、息子を連れて予定通り行けることなど、ほぼ無いのだから・・・ネガティブ

 

だけど、今回の相談会場は家から歩いて4分ほどのところ。すごく近いし、わたしにしては楽観的に、今回は行けるような気がしてました。でも全然無理でした。悲しい

次に受けられるのは1ヵ月ほど先になります。そのときも行ける保証はないですが。。

 

息子に発達の凸凹があるのかどうか診断を受けたことはなく、今後、療育センターで正式に診断を受けたい場合にも、この地域ではまず、今回受けようとしていた幼児相談を受けないといけなくて。。

 

不登園になって1ヵ月半、ずっと停滞感みたいなものがありました。毎日毎日、長時間動画を見てる息子の姿を眺めては不安になり、生活リズムが崩れては不安になり。

 

今回の幼児相談で心理士の方に話を聞いてもらい、息子の様子を見てもらって、少しでも参考になるアドバイスがもらえるかもという期待がありました。まぁ、45分の短い面談なので、何がわかるというものでもないんでしょうけど、多分わたしが、少しでも進んでる感覚が欲しかったんです。

 

その望みも潰え、いろんな思いを紙に書き出しました。そして感じたことは、今、行き詰まってるから外に答えを見出そうとしてる。だけと私はまだまだ内側を見ないといけないのかなということ。だって、もっと自分の不安をつまびらかにして恐れを癒しておかないと、誰に何のアドバイスをもらっても、結局振り回されるだけになる。


結局ここに戻りますが、また今夜もインナーチャイルドケアです。「幼稚園なんだから休んだって大丈夫だよ」と励ましてもらうことも多いですが、実際わたしはまだまだ怖い。何が怖いのかもっとクリアにして、ひとつひとつ癒して、私の目を曇らせてる観念を手放して、思い込みなしに、そのままの息子を見てあげられるように今夜もインナーチャイルドケアです。

 

「小さい子にとって、母親は特別な存在」

これはよく聞いてきたことだし、我が子に接していても、そういうが実感ありました。

 

夫が、4歳息子から塩対応を受けているとき(例えば抱っこさせてもらえないとか)、「あらら、気の毒」みたいな、どっか余裕というか、他人事というか、上から目線で見てるような。一般的にも、子供にとって母という存在は特別だし、わたしも我が子にとってはそうなんだ、と思っていました。

 

日曜日の昨日は、私一人で出かけました。息子はいつも通り外に出たがらず、夫とお留守番。デパートとスーパーに行き、2時間半くらいで家に戻りました。大荷物を抱えて汗びっしょりの私がリビングに着くと、夫と息子は二人で遊んでいて、

 

夫「あっ、誰か帰ってきたよ」

息子「(振り向きざまに私の顔を見てから)はぁ~っ(溜息)」

 

た、溜息!?なっ、なにーーー!!

そのとき出た言葉は「お帰りとかないの!?めっちゃ失礼やし!むかつき」だけでしたが、、心の中では

 

「きーっ、腹立つーーームキー

「父の日のプレゼント(夫用)買いに行ってたんですけど!!おーっ!

「君らの食糧買ってきたんですけど!!おーっ!

「息子君のお土産まで買ってきたんですけど!!おーっ!

「お帰り!くらい言ってくれても良くない?ひどい!えーん

「息子は嬉しそうに玄関までお迎えに来てくれることもあったのに・・・えーん

 

完全に鼻をへし折られました。ドクロガーン

 

そして、前回のブログにも書きましたが、週末を迎える前からとても憂鬱で、私自身が「一人になりたい」という気持ちが強かったから、息子の態度も当然なのかも(私が家族との時間を喜んでないから自業自得)みたいな考えも出てきていました。。そしてその後は、「気にしないようにしよう」で放置。

 

今日は月曜日ですが幼稚園自体がたまたまお休みなので、いつもより心穏やかに過ごせるはずと思っていました。だけど、なんかモヤモヤするので昨日のことを思い返してみると、心が揺さぶられたこの件を思い出しました。

 

インナーチャイルドケアをやって、「腹立つー」という怒りの奥には、「わたしが思っていたほどには、息子から慕われていないのか・・」という切なさ、屈辱感、無価値観、劣等感、「これまでは夫を見下してたんだ」という罪悪感、「調子乗ってた」という恥ずかしさもありました。それに、自業自得と思う背景に、いくつかの思い込みもありました。

 

それらの感情一つ一つをインナーチャイルドから受け取って、自分の思い込みを確認して、フラットなものに置き換えてみると、だいぶ気持ちが楽になりました。

「ま、そういう日もあるよね。そういうこともあるよね。」と気楽にとらえることができるようになりました。

 

これからも、こまめにインナーチャイルドケアをやっていきたいと思います。

 

おやすみなさいふとん1

 

 

 

 

 

週末、、、それは、土日が休みの夫と対峙するタイミング

 

息子が不登園になってから一ヵ月以上が経っています。

 

そもそも夫と私は、不登園に対する考え方が違っていて、

 

<夫の考え>

力づくでも連れて行くべき。好き勝手にさせると我慢も覚えないし、集団の中でうまくやる方法を身に着けられない。社会にうまく適応できるように、幼稚園という練習の場を与えてやるべき。嫌がっても、無理にでも連れて行っていた年少の時と同じやり方を続けるべき。最後は「たのしい」という日も出てきていた。年中でクラス替えがあって、慣れなくて行きたがらないのは普通のこと。今まで通り行かせればいいだけ。

 

<わたしの考え>

力づくで連れていくことは、息子の心に傷を残すことになると思うようになった。力づくで連れて行っても、不登園や不登校を繰り返すようになるかも。もしくは、きっとどこかで歪(ひずみ)が出る。今は、これまでの不満やストレスを吐き出すとき。家を安心安全な場所にして、本人が行きたくなってから行かせたい。年少の時は無理に行かせていて、だからこそ、不満や怒りをため込んで癇癪がひどくなっていたように思う。幼稚園の今だからこそ、親の方も見守ってあげる余裕も持ちやすいと思う。

 

こんな感じです。

 

夫は常々、無理させてでも行かせたいと思っている。ただ、最初に夫婦で話し合ったときに「一学期は見守る」と言ってしまった手前、手出しできずにストレスを溜めている状態。そのストレスが噴き出すのが土日です。

 

ため込むよりは、言ってくれるほうがずっと良いんだけど、やっぱり心がひりひり痛みます。

 

先週、先々週の週末に夫と話したときは

  • 私の「息子に寄り添う」やり方は、甘やかしに過ぎない
  • 息子はどんどん言うことを聞かなくなっている
  • このままだとやりたい事しかしないワガママな人間になる
  • 私は考えすぎて袋小路にハマるタイプなので、自分はシンプルな考えをもってバランスを取りたい
  • 発達障害があるかもとか言っているけど、私が考えすぎて、わざわざそっちに寄せようとしているように見える
  • 切り替えが苦手な息子のために(例えば動画を見終われないとき)、魅力的で楽しい代替を用意することは、息子に媚びているみたいで嫌だ
  • 母である私はもっと厳しくすべき
  • 俺まで息子になめられたくない  などなど
 
こんな感じです。
 
はっきり夫に、「そんなことないよ、大丈夫!!!」とは言えない私。
常々、息子を見守るスタンスでいるものの、心の中では「わたしの対応、これで大丈夫?息子このままで大丈夫?」というおおきな恐れをもっている。中途半端な自分を責める気持ちもある。
 
なので今週も、何度も何度も、不安になったり憂鬱になったり。
そして、「こわいこわい」というインナーチャイルドのケアを何度もやっています。
 
こわいことは他にもいっぱい。
 
息子の動画の長時間視聴。今日は特にすごくて、朝八時半から、夕方五時過ぎまでノンストップで見ている。あぁぁぁぁ、もう消え入りそうなほど怖い。
 
あれもこれも、インナーチャイルドの癒し案件。こんな毎日です。