この2年くらいで、ずいぶん生きづらさがやわらいだ。

 

生きづらさをなんとかしたくて
いろんな講座を受けたり、必要な情報に触れたりしてきた。

 

日々、じわじわと変化していたみたいで
普段はあまり気づかないのだけど

 

「ああ、変わったな」と
自分でもはっきり感じる瞬間があった。

 

それは、息子の卒園式。

 

登園拒否を経て
少人数の園に転園して迎えた卒園式で

 

園長先生がこんな話をしていた。

 

「必要なことしか起こらない」

 

いろんな出来事があった1年で
「どうしてこんなことが…」と思うこともあったけれど

 

振り返ると、すべて必要なことだった
そんな文脈の話だったと思う。

 

当時のわたしは
卒園の安堵と同時に

 

小学校への不安や緊張も抱えていた。

 

また行き渋りが出るのかな、とか
胸がギュッと苦しくなるようなことが


起きるのかな、とか。

 

でも

 

「必要なことしか起こらない」

 

その言葉を聞いたとき
すっと腑に落ちた。

 

そして、じわっと安心感が広がって
不安や緊張がほどけていった。

 

環境が変わるし
大変なこともあるかもしれない。

 

それでも

 

きっと、必要なことしか起こらない。

 

「こうなったらどうしよう」から
少し自由になれた気がした。

 

未来は、どのみち
必要なことしか起こらない。

 

だから、きっと大丈夫。

 

この“未来への安心感”は
生きづらかった頃のわたしには、なかったもの。

 

生きやすさって

 

こういう安心感のことなのかもしれない。

お正月🎍、義実家にて。

 

何気ない会話の中で
80代の義父が、ふと一言。

 

「どこで買ったかね…🤔
あれあれ…
タカネットジャパタ」

 

……

 

ん?😳

 

一瞬、思考が止まる。

 

旦那と目が合う👀

 

次の瞬間、爆笑😂😂

 

「タカネットまでは良くても、ジャパタて…🤣」

 

そこからもうダメで


2人でお腹抱えて笑った🤣🤣

 

本人はというと

まったく悪びれる様子もなく😌


いつも通り。

 

なんならちょっとドヤ感すらある😏

 

さすが、長く生きてきた人は違う✨

 

そして思う。

 

何ヶ月も前のこの一言で
今でも思い出してニンマリできるって😊

 

もはや才能👏

 

日常に爆笑を仕込んでくれた義父に、感謝🙏✨

 

 

わたしの大事なノート照れ

 

起業塾で学んだこととか


気づきを書き留める、わりと神聖なやつおねがい

 

よし、書こうと思って開いたら

 

…… 無気力

 

でかでかと一言。

 

デスノート

 

いや、待て。

 

なんで赤。

 

しかも、ちょっと不安定なカタカナ。

 

ああ、これ


カタカナ覚えたてのやつが


全力で書いたやつだ。

 

犯人、確定 キメてる

 

小1男子。

 

やりやがったな。

 

でも、ふと思った。

 

「練習のために書く」でも


「覚えるために書く」でもなくて

 

“書くこと”そのもので


いたずらを仕掛けてきたんだなって。

 

カタカナ覚えたてで


一生懸命書いた「デスノート」。

 

書き取りの宿題を

 

泣いて嫌がる彼が、


「ワクワクや面白さで書く」


をはじめて経験した瞬間だったのかもしれない。

 

そう思ったら

 

赤字の「デスノート」が


なんだか少し、尊く見えた照れ

二年半前、子育ての悩みと生きづらさを解消したくて、インナーチャイルドケアの講座を受けていた。教わったとおりのやり方でインナーチャイルドケアをこん詰めてやって、やり尽くした頃だったと思う。


当時4歳の息子の状態は変わらずで、毎日、息子と家の中に缶詰状態で、キツイ状況はほとんど変わってなかった。そんなある日、出社する前の夫が子供を見ててくれる間、急いで食材を買いにスーパーに行った。つかの間のひとり時間で、いつもなら嬉しいはずの時間だったけど、その日は気持ちが落ちて落ちてどうしようもなかった。そしたら、自分の中から「軽くなりたい」って声が聞こえた。腹の底の方から、絞り出すような声。こんな経験は初めてだった。


今、考えたらそこが大きなターニングポイントだった。


軽くなるために、わたしはそれまで完全にナシにしてた領域に、情報を探しに行くようになった。


それは、スピリチュアルな領域だった。なぜ完全にナシの領域だったかというと、私が育った環境は、母がある宗教に熱心で、わたしは生まれてからずっと週2ペースで教会に通い、そこの価値観に浸った状態で生きていた。スピリチュアルなことは、その宗教的な教えに反する部分がたくさんあって、だから、情報に触れること自体ご法度だった。闇堕ちの入口みたいだった。


だけど、自分の深い深いところから上がってきた「軽くなりたい」という叫びに、もう四の五の言ってられなくなった。


それまで、それ系は一切合切シャットアウトしてたから、知らなさ過ぎて、スピリチュアルもオカルトも同じように捉えてた。だけど、あるブログで紹介されてたリンクのYouTubeをみたら全然違ってた。

そのスピリチュアル系の発信の内容はすごく明るく軽やかで、わたしがそれまでイメージしてたものと、まったく違ってた。


それでも最初は怖々みてた。今まで宗教の中で聞いてきたことと真逆な部分や、全然違うこともたくさんあった。「そんなこと言ってはダメ、思うだけでもダメ」みたいにされてたこともあった。わたしはこれ聞いてて大丈夫なんだろうか、、、という気持ちになることも多々あった。


突然、「引っかかったな!」ってデビルマンが出てきて、闇堕ち、地獄行きが確定されるんじゃないかという妄想までわいてきた。


それでも、いっぱい見ていっぱい聞いた。


怖さもあったけど、結果的に何も起きなかった。完全に大丈夫だった。


その後もたくさん、自分にしっくりくるスピリチュアルの発信を見たり聞いたりした。それで、どんどん楽になっていった。それまで絶対だと思ってたことが絶対じゃなかった。どんどん意識が広がって、固定観念がとれて軽くなっていった。自分の心が軽くなるにつれ、少しづつ家族の状態も良くなっていった。


津留晃一さんの言葉にこういうのがある。

「自分を愛する」とは「自分の意識を広げること」


それまでナシだった部分に手を伸ばしたら、意識が広がって、生きづらさがどんどん解消していった。意識を広げるって自分を愛することなんだなって実感した。



通りがかりの自動販売機が、なんか凄いことなってたニコニコ
どのボタンでどのドリンクが出てきてくれるのか、、、
だいたいの検討はつくものの、、ちょっとしたスリルを味わえそうな、そんな自販機なのでしたニコニコ