数年ぶりにパックンチョを食べた。

今回の絵柄は、プーさん界隈。

もちろん、一個一個、絵を見てから口に入れる。

こういうところ、我ながら真面目だなと思うほっこり

そして、たまに出てくる。

「……ん?」

「これ、どっち向き?」

「……何をしているプーさん?」

 

今日のプーさんは、

逆立ちしてたり
魚釣りしてたり🎣
いろんなポーズをしてたり

さらにコスプレしているプーさんもいる。

 

中には、

「これは……プーさんってことでいいですかね?」

と、確認したくなるくらい、ほっぺが膨らんでいるものまでいるゲラゲラ

 

そして、このドーム状の形。

これがまた、絵柄を微妙に歪ませてくる。

だから一個手に取るたびに、

「んーー……これ、なんだろ?」

と考える。

お菓子を食べているだけなのに、
なぜか小さな謎解きが始まる🧐

そして、分かった瞬間、

「なるほどね」

と、ひとりでニンマリするにやり

……なんか、楽しい。

 

そういえば、1〜2年くらい前にも、

「どうでもいいことを自分に許す」

というタイトルでブログを書いたことがあった。

そのときは、アイロンビーズで、

自分の好きな「変な顔のハート」を
いくつも作っていた❤️

 

「こんなの何になるんだろう」

とか、

「こんなことしてる場合じゃない」

とか考えずに、

ただ、自分が好きだから作る。

変な顔のハートを、せっせと作る。

そして、それを写真に撮ってブログに載せる。

……うん。

我ながら、なかなかいいことしてたじゃないかウシシ

 

ただ。

そういう時間が、圧倒的に少なかった。

やっぱり私は、

「ちゃんとしなきゃ」
「意味のあることをしなきゃ」
「役に立つことをしなきゃ」

に、かなり長いこと囲まれていたんだと思う。

 

だからこれからは、

「どうでもいいことを自分に許す」

を、もっとやってみたい。

どうでもいいことを、
どうでもよく楽しむ。

意味なんてなくていい。

役に立たなくてもいい。

「なんか好き」
「なんかおもしろい」
「なんかニヤニヤする」

それでいいニコ

 

パックンチョのプーさんを見て、

「これ誰?」

ってニンマリしている私も、私にやり

そんな私を、少しずつ表に出していく。

49歳。

真面目をこじらせてきた私の、

自分を解き放つ練習🕊️

いきなり自由人にはなれなくても、

こういう小さな「どうでもいい」を、

ひとつずつ増やしていこうと思う。

今日もひとつ、

どうでもいいことを楽しめた。

それだけで、なんだかいい一日だ🍪ニコ

 

 

 

 

 

「愛は与えたとき初めて、愛になる」

 

コミュニティの主催者さんが

 

チベット密教の高僧の方から聞いて

 

シェアしてくださった言葉。

 

これを聞いた時、私はすぐ頭で理解しようと思考を巡らし、

 

自分でそれっぽい解釈を付けてはみたけど、しっくりくるものは見つからず、

 

その直後、主催者さんから解釈や説明を聞けると期待して

 

待っていたのですが

 

「自分で感じることがとっても大切だと思っています」

 

とのことでご説明はなく、一瞬・・・「えっ・・・えー?」

 

となりました。

 

「つまり何?」がすぐに分からないと

 

気持ち悪くなってしまう自分に気づいた瞬間でした・・・ショック

 

だけど、少し時間をおいてみると

 

たしかに、言葉になる前の感覚を大事に味わうってことが

 

今の自分には大切なことなんだなと腑に落ちて、

 

一夜明けた今朝

 

「愛は与えたとき初めて、愛になるって?」を心に把持しつつ

 

自分の「アイスコーヒー飲みたい」の願いを叶えるために、

 

コンビニに向かって歩いていて

 

「以前に比べて、わたしはずいぶん自分に優しくできるようになってきた」

=自分に愛を与えることができるようになってきた

 

と思ったのですが、その時ふと、

 

・「愛を他のだれかに与えることについてはどうかな?」という問いと

 

・「受け取ってくれる誰かがいてくれるから、”与える”ってことができるんだ!」という思い

 

が湧いてきました。

 

これからも少しずつ「愛は与えたとき初めて、愛になる」を

 

味わっていきたいし、

 

こんな風にすぐ答えが出ない問いを

 

楽しみたいと思いますニコ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この2年くらいで、ずいぶん生きづらさがやわらいだ。

 

生きづらさをなんとかしたくて
いろんな講座を受けたり、必要な情報に触れたりしてきた。

 

日々、じわじわと変化していたみたいで
普段はあまり気づかないのだけど

 

「ああ、変わったな」と
自分でもはっきり感じる瞬間があった。

 

それは、息子の卒園式。

 

登園拒否を経て
少人数の園に転園して迎えた卒園式で

 

園長先生がこんな話をしていた。

 

「必要なことしか起こらない」

 

いろんな出来事があった1年で
「どうしてこんなことが…」と思うこともあったけれど

 

振り返ると、すべて必要なことだった
そんな文脈の話だったと思う。

 

当時のわたしは
卒園の安堵と同時に

 

小学校への不安や緊張も抱えていた。

 

また行き渋りが出るのかな、とか
胸がギュッと苦しくなるようなことが


起きるのかな、とか。

 

でも

 

「必要なことしか起こらない」

 

その言葉を聞いたとき
すっと腑に落ちた。

 

そして、じわっと安心感が広がって
不安や緊張がほどけていった。

 

環境が変わるし
大変なこともあるかもしれない。

 

それでも

 

きっと、必要なことしか起こらない。

 

「こうなったらどうしよう」から
少し自由になれた気がした。

 

未来は、どのみち
必要なことしか起こらない。

 

だから、きっと大丈夫。

 

この“未来への安心感”は
生きづらかった頃のわたしには、なかったもの。

 

生きやすさって

 

こういう安心感のことなのかもしれない。

お正月🎍、義実家にて。

 

何気ない会話の中で
80代の義父が、ふと一言。

 

「どこで買ったかね…🤔
あれあれ…
タカネットジャパタ」

 

……

 

ん?😳

 

一瞬、思考が止まる。

 

旦那と目が合う👀

 

次の瞬間、爆笑😂😂

 

「タカネットまでは良くても、ジャパタて…🤣」

 

そこからもうダメで


2人でお腹抱えて笑った🤣🤣

 

本人はというと

まったく悪びれる様子もなく😌


いつも通り。

 

なんならちょっとドヤ感すらある😏

 

さすが、長く生きてきた人は違う✨

 

そして思う。

 

何ヶ月も前のこの一言で
今でも思い出してニンマリできるって😊

 

もはや才能👏

 

日常に爆笑を仕込んでくれた義父に、感謝🙏✨

 

 

わたしの大事なノート照れ

 

学んだことや気づきを書き留める、わりと大切なやつおねがい

 

よし、書こうと思って開いたら

 

…… 無気力

 

でかでかと一言

 

デスノート

 

いや、待て

 

なんで赤?

 

しかも、ちょっと不安定なカタカナ

 

あ~、これ


カタカナ覚えたての奴が


全力で書いたやつだキメてる

 

犯人、確定! 

 

小1男子

 

やりやがったなニヤリ

 

でも、ふと思った。

 

「練習のために書く」でも


「覚えるために書く」でもなくて

 

“書くこと”そのもので


いたずらを仕掛けてきたんだなって。

 

カタカナ覚えたてで


一生懸命書いた「デスノート」

 

書き取りの宿題を

 

泣いて嫌がる彼が、


「遊び心やワクワクや面白さで書く」


をはじめて経験した瞬間だったのかもしれないおねがい

 

そう思ったら

 

赤字の「デスノート」が


なんだか少し、尊く見えた照れ

 

この小1男子くんが4-5歳のころは癇癪で荒れて荒れて、

 

自分にもこんな風に日常の出来事を定義しなおしたり

 

味わったりする余裕はなかった・・・

 

だけど、今はこうして味わうことができるラブラブ

 

すべての体験にありがとう合格