真実の口から古代ローマ遺跡があるパラティーノの丘(フォロ・ロマーノやコロッセオなどがある)は、すぐ近くだったんだけど、“旅行の最終行程で行く”ということでそちらとは反対の“テヴェレ川の向こう側”であるトラステヴェレへ行くことにした。
“テヴェレ川の向こう側”にあるので、ローマを二分するといわれるテヴェレ川にむかう。
ローマ市内を流れる川・・・ということでもっと穏やかな流れを予想していたんだけど、けっこう流れが速い。
サンは水辺が大好きで海やプールを見かけたら泳ぎたくなるし、川辺にいたら足を浸したくなる・・・んだけど、この緑色は、足をつけるのもムリそう・・・。
だからといって、ゴミが浮いているわけではない。水そのものが緑色なんだよね。
と、そもそもこのテヴェレ川の語源が「澄んでいない川」に由来するものだと聞いて、ローマ時代からこんな色だったのかと納得。
歴史の教科書でローマ建国の章に“狼の乳を吸おうとする幼子二人の像”を目にされた方もいらっしゃると思います。
ローマ神話によると、王家の勢力抗争の結果、このテヴェレ川に流された双子ロムルスとレムス。
哀れに思ったテヴェレ川の精霊が拾い上げ、狼に子育てを依頼した。
像はそのときのもの。
その後、羊飼いに拾われた双子は、“パラティーノの丘”で育てられるんだけれども、後日、自身の出生を知り、王家を正しい姿に戻す。
そして、その王家にとどまることなく、新たに自らの王国を興すべく場所を探した結果、自分たちが育った“パラティーノの丘”を選び、ローマが作られた・・・、と言われている。
ちなみに場所選びの際にロムルスとレムスが諍いを起こし、結果、ロムルスの推した“パラティーノの丘”が選ばれたんだけど、レムスが推した場所というのが“アヴェンティーノの丘”。
諍いを起こし結局はレムスは死んでしまったわけだから、まったく違う場所を推したのかと思いきや“パラティーノの丘”からチルコ・マッシモという古代戦車競技が行われていた場所(映画ベン・ハーでの戦車競技でも有名)を挟んだダケ。
ワタクシが「テルミニ駅→サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂→パンティオン→ナヴォーナ広場→名もなき遺跡→真実の口」まで歩いた距離のことを思えば、目と鼻の先なワケです。
どっちでもいいやん~!と思うものの「神話」ですからね。
思いがけなく話を大幅に脱線させてしまいましたが、このテヴェレ川というのは、ローマ建国を語るになくてはならない川というわけです。
そんな旧い時代から登場する川なので
当然、ローマ時代の橋↑も残っているわけで・・・・。
必然、コレ↓もローマ時代からの橋なのか?という話になり・・・
聞いてみると、これはただの作りかけの橋らしい。
えっ?けっこう年数経っているように見えるけど・・・。
ただ、今サンはパラティーノ橋におり、この作りかけの橋までの距離は10Mぐらい。
(ここからは、まったくの想像ですけど・・・当初ココに「“ローマ時代からの橋”とつなげるための橋を作ろう」と考えていたものの(例えば戦争とかで)資材が足りなくなり、途中で断念したものの後日「やはり、橋は必要だ!でも作るんだったら最新の技術で作りたい!!」となり、このパラティーノ橋を作った。だったら、前の作りかけの橋を取り壊せばいいんじゃないか?と日本人ならなるけれど、ココはイタリア。「取り壊すのに費用もかかるし、何よりめんどくさい・・・」となったのかなぁ?と勝手に物語を作って自分を納得させた)
この作りかけの橋がなかったら奥にある「ティベリーナ島」が写っていたハズ。
400キロ近くあるテヴェレ川唯一の中洲。
先ほどとおりすぎたマルケルス劇場の前の通りから渡るファブリチオ橋は、紀元前に造られたもの。
対岸のトラステヴェレへ渡るチェスティオ橋はマルケルス劇場の石材を使って造り替えられたもの、と非常に歴史的価値のある島なんだけど、足も棒になりつつあるため、パラティーノ橋から眺めるだけにしておいた。
ティベリーナ島は船の形をしている・・・とかで古代にはギリシア医学の神エスクラピウス神殿の前に船の先端部分が模されており、船に乗っている神殿をイメージしていたんだろうなぁと勝手に思い込む。
現在は、その神殿跡地にサン・パルトロメオ教会が建っており、病に悩む人が今なお、お参りするのだとか。
隣には、ちゃんとした現代の病院もある。
向かって右側が今からいくトラステヴェレ地区。
左側・・・といっても見えないけど、上の神話で「レムスが推した“アヴェンティーノの丘”」。
こんなに近いのに・・・と話を蒸し返すサンでございました。
それでは、また次号お会いしましょう。Ciao!
(ご注意)まったくの思い込みで書いている部分もありますので、旅行の参考になさらずに~

