3.11は沖縄名護で開催されたティダノワ祭で過ごした。家族や友人への愛と感謝を深めることができた、素晴らしい空間だった。
2時46分、あの大震災からちょうど1年。会場にいた全員で黙祷を捧げた。思いも掛けず、目頭に涙がこみ上げた。おそらく哀しみの涙だと思う。僕の知り合いに、直接の被災者はいない。それでも哀しみは深い。当事者の方は、前向きに黙祷をすることができたのだろうか。より一層、胸が痛む。
目を明けると、やはり涙している人たちがいた。きっと同じ類の感情がこみ上げたのだろう。その温かい人間性を感じ、少しほっとして、また絆が深まる思いがした。
様々なアーティストが魂のパフォーマンスを見せてくれた。みんな深い愛を持って、怒りと哀しみを音にのせて訴えかけていた。(フライングダッチマンはやっぱり熱かったし、三宅洋平カッコよかったなー。)
合間の学びの時間も素晴らしかった。子供の未来の危険性がわかり易く説明されていた。わざわざ名護にまで足を運んだ、田中優さんはじめ専門家の方には頭が下がる思いだ。
しかし、そんな訴えも届かない人はいる。
黙祷の涙の意味もわからなければ、原発反対の必死の訴えにも無反応。学びの時間にも耳を傾けない。多分、なるようにしかならない、という思想だろう。いやそれすら、考えていないかもしれない。
これが無関心層ってやつだ。
ティダノワのテーマはタベモノ×コドモ=ミライ。
みんなが真剣に学んで考えて、守って、つくってやらないと本当にミライはないところまできてしまった。
政治は変わらない。政治をつくっているのは国民ではなく経済だからだ。経済を変えよう。経済は消費がつくる。この消費のシフトチェンジはとても楽しいことだ。何も痛みは伴わない。楽しいことならきっと伝わる、広がる。
主催者のUAが言った。
「わたし達だけでは足りない。みんなで種を撒こう。もう何をすればいいか、みんなわかってるよね?」
楽しくオシャレに種を撒いていこう。僕のコドモが収穫できるように。
