Sunpoのブログ -15ページ目
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3.11は沖縄名護で開催されたティダノワ祭で過ごした。家族や友人への愛と感謝を深めることができた、素晴らしい空間だった。

2時46分、あの大震災からちょうど1年。会場にいた全員で黙祷を捧げた。思いも掛けず、目頭に涙がこみ上げた。おそらく哀しみの涙だと思う。僕の知り合いに、直接の被災者はいない。それでも哀しみは深い。当事者の方は、前向きに黙祷をすることができたのだろうか。より一層、胸が痛む。
目を明けると、やはり涙している人たちがいた。きっと同じ類の感情がこみ上げたのだろう。その温かい人間性を感じ、少しほっとして、また絆が深まる思いがした。

様々なアーティストが魂のパフォーマンスを見せてくれた。みんな深い愛を持って、怒りと哀しみを音にのせて訴えかけていた。(フライングダッチマンはやっぱり熱かったし、三宅洋平カッコよかったなー。)

合間の学びの時間も素晴らしかった。子供の未来の危険性がわかり易く説明されていた。わざわざ名護にまで足を運んだ、田中優さんはじめ専門家の方には頭が下がる思いだ。

しかし、そんな訴えも届かない人はいる。
黙祷の涙の意味もわからなければ、原発反対の必死の訴えにも無反応。学びの時間にも耳を傾けない。多分、なるようにしかならない、という思想だろう。いやそれすら、考えていないかもしれない。
これが無関心層ってやつだ。

ティダノワのテーマはタベモノ×コドモ=ミライ。
みんなが真剣に学んで考えて、守って、つくってやらないと本当にミライはないところまできてしまった。

政治は変わらない。政治をつくっているのは国民ではなく経済だからだ。経済を変えよう。経済は消費がつくる。この消費のシフトチェンジはとても楽しいことだ。何も痛みは伴わない。楽しいことならきっと伝わる、広がる。

主催者のUAが言った。
「わたし達だけでは足りない。みんなで種を撒こう。もう何をすればいいか、みんなわかってるよね?」

楽しくオシャレに種を撒いていこう。僕のコドモが収穫できるように。
運というのは必ず存在すると思っている。
何が運良くて、運悪いとかいうわけではないが、どれだけアンテナを張って、積極的に準備をしておくかでその運にスムーズにのっかれるかが決まる。
では、その乗っかるべき運はどう見分けるのか。そこには自分の中で確固たる信念と価値観を構築する必要があり、そのためにもやはり、様々な情報を採取し、自分でかみ砕いて肚におとすことが必要だ。
つまり、運の流れをつかむにはアンテナをより高くより広範囲に張り巡らせることが重要であり、その運にのれた人が、理論的には先見性があると言われたりする。運も実力のうちというのは、まさにその通りで、その人の努力によるところが大きいと自分なりには解釈している。そのサイクルを持続的に続けられる人こそ、人生の運にのれるのだ。

運命というのは、またちょっと別物かもしれない。
天災であったり戦災であったり、全員に因果関係があるとは説明がつかない。地球全体のバランスで見れば理屈付けられるかもしれないが、個々の運命としてはあまりに理不尽過ぎる。
3.11で奪われた命と遺された命はとてつもなく大きな悲しみだけをうんだ。これが運命だとすると宇宙の流れはなんと残酷なことか。意味があるとするならば、この悲しみをできる限り繰り返さないように、準備することだろうか。それとも悲しみを経験すること自体に、もっと他の意味があるのだろうか。この答えはまだわからない。この先も、わからないかもしれない。
僕は当事者ではないから生半可なことは言えない。
ただ3.11には、全身全霊で黙祷を捧げ、失われた命の弔いと共に、遺された命が深い悲しみの出口に差し掛かってくれることを願う。
シュタイナー教育を代表とする自然教育。その対極に位置する偏差値教育を相変わらず主軸とする日本の教育。大学名をやたらと言いたがるし聞きたがる連中も多い。国連加盟国の中でこういった自然教育が公教育として認められていないのは日本と北朝鮮だけらしい。(見方によっては、つまり日本も洗脳教育ということだ。)

学ぶというのは、とってもいいことだと思う。

学び方が問題だ。いや学ばせ方と言うべきか。
偏差値の高い大学に行くため、大きな企業に入るため、将来のため。それはもはや知識を覚えるだけで、学んでいるのではないのでないか。

学びたいから学ぶ。その学ぶ目的が自発的に発生する。そんな教育が必要だ。それ以外の知識は本質的に不要である。必要になれば学べばいい。不思議なことに、そうすることで一般常識といわれるものは与える教育よりも高レベルに身に付くらしい。

はっきりいって、自分は偏差値教育のような与える教育で育った。やはり、ペルソナや超自我が深層心理に大きくあり、自発的に学ぶ能力は弱いと感じる。

与える教育と生命や自然を軽んじる社会になってしまったことには、深いつながりがある。毎年3万人以上を超える自殺者やサリン事件、原発事故、格差社会、凶悪犯罪などなど、現代の社会問題とのつながりをあげだすときりがない。

我が子には引き出す教育をできる限り提供してあげたい。そのために、環境の提供に加え、引き出す教育について学びたいと思う。
それが我が子の平穏な未来につながると信じて。