子どもの頃の家庭環境 | しるくらし。

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学校へ行かない選択。
子どもとの関わりなど。

発達や生きづらさの話しなど。

名古屋市内にて不登校の親の会を開いています。

対話、安心できる温かい場にしていきたいです。

お母さんのがっこうオンラインサロン。

 

そこのメンバーの発案で

面白い企画が始まりました。

 

それに伴って、自分の家庭環境(子供時代の)について書いてみたくなりました。

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とにかく会話のない家庭だったんです。

父はいつもピリピリしていて

(ってかそもそも家にいなかった)

母が口を開けば喧嘩してた。

 

 

父は怒る人だったので、

私は父が帰ると怖くてビクビクしてた。

 

母親は言うこと聞かない私に対して

「お父さんに言うよ」ってのが、

脅しの常套句だった。

 

まぁ、そんな脅しもいつ頃からか

効かなくなっただろうけど。

 

 



対しては母は

とにかく干渉がすごかった。

 

母の生きがいだったんだろうな、

私のことが。


兄弟のいる家庭が羨ましくて仕方なかった。


きょうだいがいたら、

干渉が緩和される気がしていたから。

 

先回り、口出し、心配がすごかった。

 

「あなたのことが信頼できません」

と言うメッセージを、うちを出るまで

30年以上受け取り続けた私。w

 

 


 

家庭内で、

会話をしてこなかったので、

人とお話しするスキルが、

身につかないまま大人になりました。

 

2人ならまだしも、3人以上になると、

どのタイミングで話せばいいのか、

何を言えばいいのかもわからないのです。

 

 


親の顔色を見ながら過ごしてきたので、

誰かと居ても、その人の機嫌が気になって仕方がない。

 

会話を楽しむ、

お料理を楽しむ余裕なんてありません。

 

私が何か言うと

人を怒らせる気がして仕方がない。

 

人といると疲れる自分に、

いつ頃からか気がついてゆくのです。

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もちろんのこと、

家庭に笑いなんてものは皆無です。

 

怒った顔が常になり、

外に出るときは、

笑顔の仮面をつけるようになりました。

 

根暗で、うまく笑えなくて、

何を話せばいいのかわからない自分を

隠すことで精一杯です。

 

疲れるのは当然です。

 

 


 

小学生の高学年くらいから、

人間関係に悩むようになりました。


親に相談したことはありません。

 

相談したところで、

親に余計な心配をかけるか、

下手なアドバイスをもらうだけだと

思っていたから。

 

 

母親は、私に

父親の愚痴を聞かせました。

 

 

【お母さんを守ってあげなきゃ教】の

出来上がり。

 

いま、心屋仁之助さんの

「頑張ったね〜」という曲が

頭の中でリフレインしています。笑

 

 

 

 

こんな家庭でした。


 

私はアドラー心理学を学んでいます。

 

以前はうまくいかないことは

全て親のせいだと思っていました。



今はただ、

自分を作り上げてきたものの一因、

とだけ思っています。

 

 

そして、

「こんな家庭環境だった」というのは

「私がそう感じていた」という

私のなかにあるものです。

 

 

きっと親は親で、

違う印象を持っているでしょう。

 

 

この家庭環境で私が出来上がりました。

・ 

 

私は今、大好きな自分になろうと

努力しています。

 

くさいかもしれませんが、

ここは頑張るとこなんですよね、

私の中では。

 

 

そしてこの家庭環境を否定することは、

大好きな自分の否定だと思うんです。

 


 

この環境があり、

今の私がいる。

 

今の私は、自分のこと、

好きになりかけています。


だって、好きな自分になろうと

努力しているから。


そんな自分、嫌いになれません。


 

ダメな自分も

「ええじゃないか♪」笑 

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一応言っておくと、

子どもたちの不登校は、

私にとってとても大きな出来事でした。


そしてそれはギフトでした。

 

もちろん”今から思えば”の話です。

 

悩みの中にいるときは、そんなこと

微塵も感じれませんでしたから。

 

 


 

もし今悩みの中にいる方がいたら、

そんなこと無理に思う必要もないですよ。

 

思いきいり落ち込んで、悩んで、泣いて、嘆いて、悲しんでください。

 

どんな感情を持とうが、

何を感じようが、思おうが、

とにかく自分を許してほしいです。

 

 

 

私の場合は、

たまたま不登校がきっかけになり、

母に対して子どもの頃から嫌だったことや、言えなかったことが言えました。

 

 

 

だから、”今は”ギフトだったなぁ、と

思えるだけの話です。

 



 

 

話が飛びましたが、、

こんな家庭だったのです。

 

 

ただ、それだけの話です。

 

 

お読みくださりありがとうございました。

また続編を書きますね^^