先日、電話を掛けたのに不在で心配になった日本の父。一昨日、もう一度掛けてみると電話が通じた。前回の記事で、「85才の父」と書いたが、まだ今年の誕生日は来ておらず、現在84才だった![]()
けれど高齢なことには変わりない。開口一番、「新型コロナ、大丈夫?」と訊くと、今のところ大丈夫だとのこと。心からホッとした。
物心ついた頃から記憶にあるのは、母親(私の実母)に暴力を振るう父。体裁ばかり気にして思いやりに欠けていた父。継母からの虐待から私や姉を守ってくれなかった父、そんな姿ばかり。
私も姉もここアメリカで大学に行き、のちに結婚してそれぞれ家庭を築いたが、父親から一切の経済的援助を受けたことは無かった。
(正確に言えば、私が結婚した時、父は10万円を郵送してきたが、そのピン札の一万円札は今でもほぼ手つかずに封筒に入ったままだ。)
それでも私も年を取り、今は、もう恨む気持ちも無くなった。恨む気持ちが薄れていくと同時に、父を哀れだなと思う気持ちが強くなった。
父は現在、独身の弟(私の腹違いの弟)と暮らしている。住宅ローンも無いし、年金でそこそこの生活が出来ている。弟は二つほど仕事を掛け持ちして家計を助けているようだ。
弟は多分このまま結婚することもなさそうなので、父には、身近に孫も居ない。アメリカには28才から10才まで、5人もの孫がいると言うのに、
父は孫の誰一人として実際に会ったことはない。年老いた今の父にとってこれほど寂しいことはないのではないか。
姉や私が18になって家を出て行ったあと、まだ50才そこそこで若かった父は、これでやっと、妻と子と穏やかに暮らせる、とホッとしたと思う。私にとっては継母と腹違いの弟だが、父にとっては自分の妻と息子だから。娘達がもう居ないという事実より厄介払いができた安堵感の方が強かったはずだ。
月日は流れて、継母も亡くなり、跡取りである弟も未だ未婚で結婚する予定も無し。アメリカで暮らしている娘達とは、今更仲の良い親子として振る舞うには、絆はあまりにも薄く、長い時間が経ち過ぎている。
年老いてからの父は、親として、私や姉にしてきたこと、してこなかったこと、を言葉に出さずとも深く後悔している、と私は感じている。
私は過去は過去として、今はもう割り切って「普通の親子のように」振る舞って時々電話をし、子供達の写真などを送ったりしている。けれど、姉にはそんな感傷的な気持ちはさらさら無いようで、父に一切連絡を取っていない。
(父から聞いて)継母が亡くなったことを姉に伝えたのも私、姉が癌にかかったことを父に告げたのも私。
継母がまだ健在だったこともあり、若い時の私は父に連絡などしなかったものだが、今は気になって仕方ない。いつか来るだろう、電話をしたらもう父が居なかった、というその日が訪れるのが怖くて仕方ない。
父の家系は私の知る限り長寿が多いのだが、今のところ父の姉の綾子伯母さんが92才でもっとも長生きしているそうだ。けれど、綾子伯母さんはすでに痴ほう症を患っていて、父が行けば弟だとはわかるものの、ちゃんとした会話は成り立たないらしい。
父に言った。
「じゃあ、お父さんは綾子伯母さんを超えて長生きしなくちゃね。」
(ボケないままで長生きしてね、とは言えなかったが)
電話で話す限り、父は頭はかなりしっかりしていて、最近、高血圧気味だということを除いてはとても元気そうだ。今でも毎日、外を1時間ほど散歩していると言う。私、アラフィフだけど、毎日1時間も歩けないと思う。ある意味、父の方がずっと健康かもしれない。このまま、出来るだけ長く、身体も頭のほうも衰えずにいて欲しいと思う。痴ほう症になってしまってもう電話で会話も出来なくなってしまったら、生きていたとしてもどうなんだろう。ボケる前に逝って欲しいというのは身勝手だろうか。
父が言った。
「少し前に送ってくれた、子供達の写真。末っ子のね、顔を見て驚いた。俺の小さい時の顔にそっくりなんだよ。あの、恥ずかしそうにはにかんだ表情とか、そっくりでビックリした!俺の子供の時の写真があったら送ってあげたいくらい。」
私の息子が父に似ているって?それを聞いて私の方がビックリした。
オットに似ているとは思っても、私自身や、ましてや私の父に似ているなどと思ったこともなかったから。
残念なことに、父の幼少時代の写真は、私がまだ3~4才だった頃に火事で自宅が全焼(家族は全員無事)した際にすべて失ってしまったそうで、道理で私も父の幼い時の写真を見たことがなく、似てるかどうかなど知る由もなかった。
いつも早く早く電話を切ろうとする父だったが、この時ばかりは、話が弾み、「まだ見たこともない(そして今後も多分会うことのない)孫息子が自分に似ている」という事実が、嬉しくてたまらないようだった。いつもより明るい父の声に、なんだか、嬉しいような、切ないような気持ちになった。