私が結婚した後は、フルタイムで仕事をしていたこともあって
カリフォルニアへ行く機会は減り、会うことは滅多に無くなった。
12年程前、ほとんど音信不通だった父から手紙が届いた。
長女(父からすると孫)の写真を送ってほしい、と書いてあった。
私や姉のことにはどうにもこうにも無関心だったはずの父が
手紙を書いてきたことにビックリしたと同時に、父が私達へしてきた
こと、してこなかったこと、諸々に後悔しているのが感じられた。
姉と相談し、もう70を超えてしまった父のこと、これからどれくらい
元気でいるかわからないから元気な内にと、一緒に日本に帰省する
ことになった。家族は連れずに私達二人だけで。
この旅行を機に、私と姉にここまで亀裂が入ってしまうとは当時
は思ってもみなかった。ひさびさの、楽しい日本滞在、になるはず
だったのに。
日本滞在は一週間。継母がまだ健在だったので実家ではなく、
あえてホテルに泊まった。
実家へ父に会いに行った際、歳をとってやや穏やかになった継母
が私達を出迎えた。かつては(私達を)殺したいほど憎んでいた
はずだが、この時はまるでお客さまのように私達に接してきた。
継母は、持っていったお土産をうれしそうに受け取っていた。そして、
アメリカでは特に珍しくもないが、私の結婚指輪のキラキラ光る
ダイアモンドが気になるらしく、継母の目は始終そこへ釘付けだった
のを覚えている。
羽振りがいいとでも思ったのだろうか。あんなにイビリ倒した私達
姉妹が、親のサポートも無しにアメリカで大学を卒業し、結婚もし、
就職もして、家も持って立派に生活している。
きっと、自分が虐待したことは忘れ、
「私の育て方が良かったに違いないわね」
と胸の内では思っていたのかもしれない。
最後に、「あの、…いろいろと、悪かったね。」
と継母はバツが悪そうに呟いた。あれほどの精神的、肉体的な
虐待も、これだけれチャラにするつもり?
『ふざけるな!』と心では思うも、口では「父をお願いします」
と答えていた。
継母とはそれが最後だった。数年後に彼女は糖尿病を発症し
免疫が低下したところで敗血症になり亡くなった。