シンデレラの継母みたいな女 | Mrs.Waywardのひとりごと

Mrs.Waywardのひとりごと

アメリカ暮らしの中で体験すること、感じること。

私の実母は、私が6才の時に(一応)病気で他界。

本人が「生きたい」と願えば生きられたはずだった。

 

けれど、母は、同じ「いきたい」は「いきたい」でも、

「逝きたい」のほうを選んでしまった。

身体よりも、心が諦めてしまっていた。

(自殺ではありません、誤解のありませんように)

 

とにかく、母が亡くなって1年半もしないうちに父はお見合いで再婚。

 

シンデレラに出てくる意地悪な継母。

 

あれを地で行くのが私の継母だった。

 

11才と7才の姉と私。

 

実家というのは、夏は暑く、冬は寒い土地柄。

私達姉妹は、暑かろうが寒かろうが、共有する子供部屋に押し込まれ

ご飯の知らせを告げるインターフォンがブッブッブッとなった時だけ

階下へ降り、台所で姉と二人で食事をした。

 

食事の内容も、父や継母とは私達二人は違うものだった。

洋服やその他の物も、欲しいものなど手に入ることは無く、

継母が与えてくれるものを使う。

 

食事以外は、階下に降りてくることは許されず、テレビも漫画も

何もかも禁止。他にすることもなく、家にあった日本文学全集を

むさぼるように読んでいたら、それすらも禁止された。

結局のところ、継母は姉や私が好むことはことごとく取り上げたかった

のだと思う、別に教育とか躾けのためとかそういうことではなく。

 

その話をまさに今日、子供達にしたら、「自分にも本読むの、

禁止して~ニコちゃん」とお気楽なものため息4 ハァ

 

今のアメリカでは親がいかに子供に読書をさせようかと苦心して

いるのだから皮肉なものだけど、当時の私には読書くらいしか娯楽

が無かった。

 

一番こたえたのは、冬の寒さ。姉と私が暮らす子供部屋では、

息を吐くと白くなり、手足はいつもかじかみ、私の小さな手の薬指と

小指はいつもシモヤケが出来ていて、学校の掃除や家でしなくては

ならない雑巾がけの際に冷たい水が滲みて本当に辛かった。

 

正直、継母から受けたイジメ(というより虐待)は、全て書こうとすれば

本が何冊も出来上がるほど。(のちのち書いていきたい気持ちはある

のだけど)

 

11才の姉は私よりも継母に対する反抗心が強く、「こんなに反抗する

のは、頭がおかしいからに違いない!」と、継母は姉を精神病院に

連れて行き、脳波をチェックさせたこともあった。帰って来た後、

姉が悔し泣きに泣いていたのを覚えている。

 

継母の虐待は、彼女の息子(私の腹違いの弟)が生まれてから更に

拍車が掛かり、姉と私の居場所は無くなる一方。

 

父親はどうしていたの?と聞きたいでしょう。

 

父親は、日本では誰もが知っている有名大学卒の頭のいい、

そしてハンサムな男だったけど、自己中心で外面がいいだけで

決して愛情深い人間ではなかった。

 

私の実母には本当にヒドイ暴力亭主だった父。そういう理由もあって

母は36才という若さで死んでしまったのだけど。

 

後妻が来た当初、一度だけ彼女に手を挙げて、実家に帰られてしまい

謝罪しに行って、継母の両親にこっぴどく怒られた後は、もう彼女に

手を挙げることも、どんなに姉や私が苛められていても庇ってくれる

こともなく、父親はとにかく知らん顔を決め込んでいた。

 

父からの、姉や私への暴力はあったけれど。

 

こんな生活の中、姉と私が心待ちにしていたこと、それは、高校を

卒業して一刻も早く家を出ること。毎年、本当に指を折って数えていた。

 

「あと4年…」

「あと3年…」

「あと2年…」

「あと1年!」