私には、子供がいない。
正確には、子供を生むのが怖くて、色々あって、結局子供は持たなかった。
昨日のブログを書きながら、まだ納得していないところがあった。
あの時点では、あれは全くの真実。嘘ではない。
でも、扉の向こうに、まだ、何かがあるのも分かっていた。
もっと言えば、それが何であるか、も実は分かっていた。でも、言葉にできなかった。
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女で、一級品である自分。
それは自分で認めてやらなくてはならない。他の誰に認めてもらっても納得できない。
では、どうやって認めてやればいい?
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母はいつも、子育てに関して、成績発表におびえているような感じだった。
子供たちは、ちゃんと育っているか。私の子育ては、間違っていないか。
学校の成績はよく、体育もできて、性格も良い子。
そんな子供に、育てなければ。
今になってみれば、それは親として当然の望みで、心配事項で、でも完璧に育つとはどこか思ってはいない、ということは分かる。
でも、子供が産める年齢の間、私はずっとおびえていた。
母の希望は叶えなければならない。子供の頃からそうしてきたように。
でも、そんな「母」にはなれない。なれそうもない。
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男ではない、そして母になりたくない私は、女としても二級品。
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化粧ができない理由は、そんなところにもあったのだろうと思う。
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そして、今日。
ふと。
男でも、「母」でもない自分。
左端を「男」として、右端を「母」とした物指しがあったとして、私は真ん中あたりをウロウロしている。
中途半端。
でも。
左端に位置する、完全な男っているのか?
右端に位置する、完全な母っているのか?
みんな、それぞれの位置で、みんな中途半端。
でも、みんな一生懸命。
扉が開いた、と思った。
中途半端な、お人形の私が、ぼんやりした顔で、足を投げ出して座っていた。
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その時その時、必死に選択してきた。
間違った選択もあった。ぬるい選択もあった。
でも、その時は、一生懸命考えた。
その自分を認めよう。
完璧な人なんていない。
みんな間違う。
でも、その自分なりの選択をして進む自分を、愛しいと思う。