2390 Early Beatles | 国内規制適用外

国内規制適用外

日本製輸出仕様と実銃

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夕方になると身代金が半額になる  

 by   ぱて。さん

 

 

 

 

 

 

 

 

かなり若く見えるが、既にポールがヘフナーを持ちジョンがリッケンバッカーを使っている。

少し金回りが良くなってからの一枚だ。

 

 

 

1957年の写真。日本の中高生より大人に見える。この少し後でもジョージは就労年齢に達していないとされ、ハンブルグからリバプールに追い返されている。

 

 

 

ベースはスチュワートサトクリフ。その後彼は恋人と暮らすため脱退してハンブルグに暮らす。そして、ポールがベース担当になった。これもまたビートルズが視覚的に成功した一因になる。

彼らは2本のマイクで右がジョン、左がポールとジョージのバックコーラスになる曲が多く、この左右非対称の構図が大変に良かった。

ジョージがまだ小柄で、ギターが大きく見える。

ビートルズが大成功した後は歌と演奏のできるバンドが流行り、次々と数多くのグループができた。しかし、4人の体形がバランス良く揃って全員の見た目が良かったことは他のグループよりだいぶ有利だった。音楽的に傑出していただけでなく、やはり視覚面でも恵まれていたのである。

 

 

 

クォーリーメンの名が付くレコードジャケットらしき物がある。

リバプールの地名が知られたのはビートルズが出世してからの話だからかなり怪しい。本当だろうか?

おそらく、だいぶ後になってから彼らの自作テープ音源を集めた物だろう。

スキッフルは音楽の分類であり、1950年代後期にイギリスで大変に流行った。

 

 

1961年の写真。この年の1月にデッカレコードのオーディションを受けた時、「ギターバンドか・・・、もう古いと思うよ」と言われ不採用になる。しかし、その1年後には大変な人気バンドになり2年後は世界でビートルズの名を知らない人などいないグループになった。デッカレコードは大変な儲け話を逃してしまったと言える。ドラマーはピートベストか。

今の若い人たちはビートルズが何人編成だったかを知らない。メンバーは4人。彼らがブライアンエプスタインに出会ったこと、エプスタインがEMIレコードのジョージマーティンに引き合わせたことからすべての歯車が合った。つまり、実質6人組の編成だったとも言える。

ビートルズがアメリカに行ったのは1964年2月。ジョージだけは行ったことがあるが、他の3人はそれまで誰もアメリカを知らなかった。同じ英語国で大西洋側から近いアメリカとイギリスだが、当時の世界はそんなものだった。

 

 

 

 

 

 

コーギーがうまく階段を降りる。