(今回は古い写真の使いまわしだ)
日本では第一次規制直後に売られたKOKUSAI製品。
モデルガンが黒かった頃はフレームに王冠マークがあった。金色になってしまうと意味がなくなり、金型を修正した跡がある。
適合するものがなかったのでカートリッジは特注品である。大量に作れば安いのだが、5個だけ頼んだため高い買い物になった。32口径カートリッジなら装填できた可能性もあるが、リボルバーでその口径の銃は持っていなかった。
初期の物はMGC初代チーフの完全コピーだったらしい。複製品というより違法コピーであり、仕組んだのは国際出版、実行は十条金型である。以後、MGC製品が国際出版の月刊Gunに載ることは1971年までなくなる。贋作は現代なら裁判沙汰になる酷い行為だが、当時の日本ではそんなことがまかり通っていたのである。
写真の物は内部がMGCより大きく改良されていて、ほぼ実銃と同じになっている。
窓から差し込む光の影で、表面に縞模様が出ている。
Apr.16 2024
※ 今日Yonyonさんのホームページを見ていたら、MGCが国際出版に再び広告を載せたのは1979年と書いてあった。
私もその時代の本を持っているのだが、倉庫に入っているため、調べることなく「1971年」と書いてしまった。MGC本体でなく販売店の広告にMGC製品が載っていることはあったが、第二次規制の後でも簡単に関係が修復されていなかったことは却って興味深い。
市販時のシリンダーは前撃針方式だった。これは米国カスタム品。
Hubley Automatic FN 1910
左 - 1960年代初頭に日本で売られていた唯一のスライドが動く輸入玩具銃 。¥1300くらいだが、当時としてはかなり高価だった。大人でも簡単に買えるものではなかったのである。
MGCはこれを仕入れて大改造し、ほぼ実銃と同じ構造のコマンダーにまで昇華させた。ハンマーが撃針を叩き、それがカートリッジ後部のプライマーを叩く機構だった。
本来が子供用の玩具だからサイズは小さく、ガバメントと同じ形でもFN1910と同じだ。
右側に置いた実銃ブローニングをMGCがモデルガン化して発売したのが1965年。購入には住民票が必要という販売方式を採り、それに反発したアメ横の販売店側と対立したきっかけとなった。
このFN1910(32ACP)は、ラスベガスに引っ越して買った最初の一丁だ。2000年以降のカリフォルニア州では販売に制限がつく製品だったから、ネバダに移り住んで良かったと実感した。
もう一人の従業員が銃を持っていたらしく、強盗は慌てて逃走した。
アメリカの警察。
3分30秒のところで射殺。
優しい日本の警察。
道具は使い方を知る必要がある。
小池を追求しないマスコミ。常に一方的敗退である。
昨日や今日でなく、何十年も嘘だけを頼りに生きてきた小池百合子にかなうわけもない。彼女は今後も勝ち続ける。エジプト政府やカイロ大学には既に十分な見返りを確約しているはずだ。
真相は前からバレている。しかし、そんなことは気にもしないのが小池百合子の強さだ。
自分では「卒業した」と言わず、常に「大学が卒業を認めている」としか言わないのが小池。
面白いのは、彼女が卒業したと言い張る学部が当時存在しなかったことだ。
まだできてもいなかった新駅を持ち出して「いつもその駅で降りていました」と言ってしまう失敗である。
スカイツリーがなかった時代なのに、「あの展望台からの眺めはいつも私の心を癒してくれました」と語ってしまうのと同じなのだが、指摘されると「ここでいう“私”は私自身でなく、皆さんの感想を代弁したまでです」と言い張れるのが小池百合子の強さだ。