濡れた手でコンセンサスと危ないよ
by 真戦ノ波動さん
1964 YOKOHAMA
1964 YOKOHAMA
高名な外国人に頼んだデザインが、日本の街で見るとただ野暮ったいだけで冴えなかった。
ヨーロッパの街並みなら、これが意外とうまく収まったと思う。しかし、瓦屋根の小さな家が並び電柱が林立している日本にはまったく合わなかった。
1960s England
Oldsmobile F-85 Cutlass, 1964
1963年1月、デッカレコードでオーディションを受けた彼らは「もう、ギターバンドは古いよ」と言われて採用されなかった。ところが、1964年夏の時点で The Beatles を知らない人は世界にいなくなっていた。
解散から60年、今も彼らの音の研究は終わらず、これからも長期にわたって語り継がれる。
もしデッカレコードに採用されていたらEMIのジョージマーチンと出会う事がなく、普通のロックバンドで終わっていたことだろう。もしポールマッカートニーが左利きでなかったら、もし彼らが3本マイクで唄っていたらなど数多くの偶然が生んだ奇跡のバンドである。
1964年のこの段階で既に観客の声に負け、彼らは自分の演奏や歌が聞こえなくて困っていた。今と違って演奏者用モニターがないから、スピーカーより後ろにいるドラマーは音が聞こえず、仲間の動きに合わせて叩くしかなかったと語っている。
The Man From U.N.C.L.E. NBC 1964-68
1960年代は、007シリーズのヒットから、映画やテレビでいろいろなスパイものが製作された。そのブーム中の最大ヒット作品がこれだ。
1966年にテレビで始まった Mission Impossible(スパイ大作戦)もそのブームの延長線上にある。秘密諜報員ジョンドレイク(1964)などという渋い名作テレビシリーズもあった。
日本での公開は1965年4月。1964年9月の公開から僅か3か月で世界興行記録1位の大ヒット映画になっていた。
本国イギリスではポスター撮影時に小道具のPPKが間に合わず、急いで調達したのがワルサーのエアピストルだった。もし日本だったらエアピストルも一般には販売されていないから、撮影そのものがキャンセルで大変な問題になる。日本を除く世界中のポスターでボンドがエアピストルを持っているのは、ただの手配ミスが原因だ。
日本だけはMGCのモデルガンがあった為、映画評論家の水野晴郎氏がそれを持って撮った部分をはめ込んでいると聞いた。ポスター撮影時のショーンコネリーが実銃のPPKにサイレンサーを装着して持っていたら、更にカッコイイ写真が撮れた可能性もある。マニアが見ると、やはり細部がモデルガンと違うのである。
Aston Martin DB-5
インターネットがなかった時代。
日本には何度か立ち直る機会があった。しかし、その度に増税が経済を停滞させた。
哺乳類にはオスとメスがいる。それだけのことだ。
「心の中で私は女性です」などと主張しなくても良い。そういう人もいると社会が前から認めているのだから、何故それほどまでLGBTの権利を認めろと騒ぐのかが分からない。
2020年の大統領選挙では、こういった不正行為が各所で行われた。映像の記録も残っている。