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カーテン? 知らないわ
by クラウンさん
チャイナタウンの観光地的メインストリートであるグラントアベニュー。奥を走るのはケーブルカーのカリフォルニア線。
昔は軍の船がよく寄港した街なので水兵の姿が見える。
生まれて初めてサンフランシスコに行った時、添乗員がこの左奥の大きなチャイニーズレストランに案内してくれた。各テーブルに分かれて席に着いたのだが、出てくる一皿の量が日本と桁違いに多く、皆で驚いた記憶がある。サンフランシスコの中華料理は何処に行ってもハズレがない。
1963~1969年まで、カリフォルニアのライセンスプレートは黒地に黄色の文字であり、最初がアルファベット3文字、その後に3桁の数字が付いていた。
以前は使用済みのライセンスプレートが良く売られていて人気商品だったが、2001年9月11日のテロ発生以降は販売できなくなったようだ。
上の場所から1ブロック南の地点で撮ったもの。この時代までは道の両側に駐車できた。それでも実害がない程度の交通量だったわけである。
当時は、パーキングメーターに5セントか10セント入れたら、おそらく1時間くらい停めることができたはずだ。今はたぶん25セントで3分か4分。そうなると大量のコインが必要になるため、カードまたはスマートフォンで支払いをする。
昔の女性はスカート姿が普通だったが、今そのファッションで歩く女性は皆無になった。
マーケットストリートを走る大昔のストリートカー。この写真では見えないが左角がケーブルカーの起点であるパウウェルストリート。
昔、この辺は大変に活気のある所だった。やがて人の移動が車中心になり市電の利用者が減ったせいか少しずつ商店が消えて、ビルがオフィス専用になっていった。
地表を走るストリートカーは1980年に廃止されたが、80年代中期にケーブルカーの運行が休止したとき世界中の市電を集めてこのマーケットストリートを走らせた。これが思いのほか好評だったため、今は地下にある近代的ストリートカーとクラシックなこの車両の二本立てになった。
ケーブルカーの起点。 1960年代の昔はこのように車の通り抜けができた。
左は Bank of America。その後AT&Tが入っていたが、最近空き家になった。右はウルワースという大型ドラッグストア。1980年代前半にその会社はアメリカから撤退し、他のテナントになった。いつ頃からかGAPがここを使っていて、今はついに空き家となった。このブロックの商店は3年ほど前からほぼすべてが廃業し、今では次のテナントがないまま空き家ばかりが並ぶ。
ハイウェイパトロールに同乗。
ただ走って行くだけの動画。
こうして誰もいない道路だと、日本人は逆走する恐れがある。
最近は日本も多くなったが、アメリカは昔からバスやトラックの女性ドライバーが多い。
運転疲労は車体サイズに反比例するから、大型車は女性でも簡単なのである。
アメリカ人がイギリスまたはオーストラリアの人に教える運転動画。日本語字幕つき。
日本仕様の右ハンドル車は、ワイパーとウィンカーがイギリス車の反対になっている。
つまり、日本人だけは越えるべきハードルがもうひとつあるわけだ。
英語で育っているイギリスやオーストラリアその他の国の人達と違い、日本人は標識を瞬時に読み取るのが難しい。
地味だがなかなか面白く、聴く価値の高い話。
先輩たちが苦労して成し遂げた増税路線である以上、国民が何を言っても絶対に引き下げることはできない。
財務真理教の教えは、日本経済の再生より尊い。
次々と確実に暴かれるバイデンの不正蓄財。
しかし、世界最高の権力を持つ大統領は何があっても罪を問われることがない。